アローキャリーとは日本の競走馬である。ホッカイドウ競馬でデビューしたがのちに日本中央競馬会 (JRA) に移籍、第62回桜花賞を制した。ホッカイドウ競馬の北川數男厩舎に入厩し、2001年5月9日札幌競馬場(地方開催)でデビュー。初戦は2分の1馬身差の2着に敗れたが、翌週2戦目のフレッシュチャレンジ(JRA認定競走)で初勝利を挙げた。その後2戦は3着にとどまったが、8月11日に北海道所属騎手の井上俊彦と中央競馬の札幌芝1000mの2歳500万下に出走し、57秒2のレコードタイムで1着となった。しかし、旭川のフローラルカップでは13着と大敗。再び中央に参戦したすずらん賞ではキタサンヒボタンの3着と健闘した。その後、栗東の山内研二厩舎に転厩して12月2日、イギリスの騎手であるキーレン・ファロンとのコンビで第53回阪神ジュベナイルフィリーズに出走した。スタートから逃げてゴール直前まで粘ったが、最後に大外から突っ込んできたオリビエ・ペリエ騎乗のタムロチェリーに差され、2着に終わった。その後中1週で臨んだフェアリーステークスでは1番人気に推されたが、サーガノヴェルの4着に敗れている。明けて2002年、エルフィンステークスではまたもやゴール前でかわされての2着、アネモネステークスでは8着となった後、4月7日に第62回桜花賞に出走。レースの1週間前に騎乗が決まったという池添謙一を背に、道中は同じ山内厩舎のサクセスビューティの2番手につけると、直線に入って一気に抜け出し13番人気の低評価を退けて1着。初の重賞制覇を飾るとともに、ホッカイドウ競馬出身馬として初の桜花賞優勝馬となり、池添にとっても初のGI制覇となった。なお、2着には7番人気のブルーリッジリバーが入り、馬連が34,440円の波乱となった。デビューから12戦目だった桜花賞の後は優駿牝馬(オークス)を回避して休養に入り、秋になってローズステークスに挑戦した。しかし2000mという距離が長かったのか、16頭立ての16着と最下位に敗れる。その後はポートアイランドステークスで7着、スワンステークスでも8着と振るわず、11月17日に第19回マイルチャンピオンシップに挑戦したが、トウカイポイントの18着に敗れ、同競走を最後に現役引退となった。引退後は故郷の矢野牧場に戻って繁殖牝馬となる。2004年に父ブライアンズタイムの牝馬(アロープラネット、栗東・山内研二厩舎)、2005年に父シンボリクリスエスの牡馬(ランチボックス、栗東・浅見秀一厩舎)が生まれている。2006年には父ダンスインザダークの仔を出産する予定だったが、2006年1月5日に心臓麻痺により死亡した。2004年に生まれたアロープラネットは、2007年2月3日にデビュー戦で勝利している。2005年に生まれたランチボックスは、2007年6月24日にデビューし、8月25日にデビュー3戦目で初勝利を挙げた。2010年2月6日に斑鳩ステークスを優勝、オープン入りを果たしている。競馬場の(地)は地方開催、(J)はJRA開催。
出典:wikipedia
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