戸畑区(とばたく)は、福岡県北九州市を構成する7区の行政区の一つである。北九州市の中央部に位置している。区域北部・北西部の海岸は洞海湾に面し、北東部は響灘・関門海峡に面している。北九州市の行政区のうち最も面積の小さい区である。区域北部にある新日鐵住金八幡製鐵所戸畑地区が区の面積の約半分を占める。名護屋崎、牧山古墳の古墳群において、約1,400年前の人骨、鏡、銀鏡、土器の副葬品が発見されている。日本書紀では戸畑は「名護屋」として登場している。戸畑(とばた)の地名が確認できる最古の資料は、1396年(応永3年)の麻生氏の所領目録「惣諸浦塩浜其外所々目録(そうしょうらしおはまそのほかしょしょもくろく)」において、「戸畑浦」として登場しているものである。一方、奈良時代に記された万葉集には「飛幡(とばた)の浦」として、筑前風土記には、「鳥旗(とりはた)」として登場している。旧戸畑市は北九州市の前身の5市で唯一、町村制施行以降北九州市発足まで一度も合併を経験しなかった。北九州市の欄も参照。戸畑は明治の中期までは寒村で、人口も約3,000人であったが、隣接する八幡で1901年八幡製鐵所が操業したことを契機に、1910年に戸畑鋳物(現・日立金属)、1914年に旭硝子、1921年に八幡製鐵所が戸畑に進出したことで、工業化が進んだ。市制施行は旧5市の中で最も遅かったが、昭和初期より区画整理事業を積極的に進め、住宅地としての開発が急速に進み、市制施行時の1924年には約38,000人だった人口が1947年には現在の人口よりも多い約68,000人に、5市合併の1963年にはピークの約109,800人となった。その後は、区内に多く存在した新日鉄をはじめとする社宅から北九州市郊外へ持ち家化が進むなどしたため人口は減少し、最近10年間は漸減傾向にある。近年は1999年に日立金属工場跡地へ戸畑サティ(現・イオン戸畑ショッピングセンター)がオープンしたことをきっかけに住宅地として再評価され、マンション開発がさかんに行われている。なお、戸畑区は昼間人口が夜間人口を上回っており、昼夜間人口比率は117.2%(2005年国勢調査)で、小倉北区の134.1%に次いで2番目(北九州市全体では102.3%、100%を超える区は、前出の2区に八幡東区を加えた3区のみ)である。北九州市では公共施設の削減が喫緊の課題となっているが、そのモデルケースとして、区内にある屋内型の体育施設とプール、テニスコートを一部廃止し、廃止された市立浅生小・中学校跡にこれらを集約した「浅生スポーツセンター」が2016年9月1日から一部供用を開始する予定。 大きな事業所は、区内には以下が存在する。以下に示す市外・市内局番は総務省の公開情報による。近年、通信自由化で従来のパターンが通用しなくなっている。以下、エリア分類不明。なお参考までに、西日本電信電話における一般的な割り当てルールは以下の通り。携帯電話については、NTTドコモ、au by KDDI、SoftBankとも区内ほとんどの地域で利用可能となっているが、山間部で繋がらない地域がある。世代交代が進められていることもあり、3G(第三世代)以降のサービスのみについてエリア拡大のため基地局整備等が進められている。区内に拠点は無く、小倉北区にある重要拠点が直接取材を行う。区内に放送局は無い。放送波受信については、テレビとFMラジオ放送は皿倉山の八幡テレビ・FM放送所から出される電波を、AMラジオ放送は、若松区響送信所から出される電波を、直接受信する。地理的条件からテレビが受信しづらい地区のために、NHK北九州放送局が戸畑・牧山両中継局を設けている。アナログ時代はTVQ九州放送を除く民放4社も中継局を設けていた。
出典:wikipedia
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