デニス・カーン(Denis Kang、、1977年9月17日 - )は、カナダの男性総合格闘家。出生地はニューファンドランド島南岸のフランス領サンピエール島・ミクロン島。アメリカ合衆国フロリダ州在住。アメリカン・トップチーム所属。ブラジリアン柔術黒帯。元Spirit MCヘビー級王者。韓国人の父とフランス系カナダ人の母を持ち、フランス、スペイン、カナダ、アメリカ合衆国など居住地を転々としたことが「多国籍サイボーグ」の異名に由来しており、カーウソン・グレイシー柔術、柔道、空手、レスリング、テコンドー、ハプキドーなどの様々なバックボーンを持つ。スタンドの鋭い打撃にグラウンドテクニックを併せ持ち、その経歴からくる様々な格闘技が溶け合ったファイトスタイルを以て、自らを「新世紀の戦士」と自称する。弟のは韓国で有名なモデル。1998年8月2日、Ultimate Warrior Challengeでプロ総合格闘技デビュー。2000年9月24日、パンクラスでの鈴木みのる戦で日本デビュー。鈴木の腰の負傷によりギブアップ勝ち。2004年7月17日、K-1 WORLD GP 2004 in SEOULで行われたASIA GPの1回戦でガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。1R右ストレートでKO負け。2004年9月11日、韓国で開催されたSpirit MC GPで優勝を果たし、初代ヘビー級王座に認定された。2005年4月3日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の六-で大場貴弘と対戦し、1R腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。2005年7月17日、PRIDE 武士道 -其の八-でアンドレイ・シモノフと1年半ぶりに再戦し、判定勝ち。2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-ではマーク・ウィアーからギブアップ勝ちを収め、同年開催のウェルター級グランプリへの出場権を手にする。2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級(-83kg)グランプリ1回戦でムリーロ・ニンジャと対戦。1ラウンド開始15秒でパウンドでKO勝ち。8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-のウェルター級グランプリ2回戦ではアマール・スロエフと対戦。カウンターの右ストレートでスロエフをマットに倒すと、バックから右腕一本で首を絞め上げ、意識の薄れたスロエフがタップアウト。準決勝に進出。2006年9月24日、恋人であったシェルビー・ウォーカーが死去。2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三-のウェルター級グランプリ準決勝で郷野聡寛と対戦。郷野の戦術に苦しむも、判定で勝利し決勝へ進出。決勝ではファイナリストのパウロ・フィリオの負傷棄権によって準決勝でフィリオに敗れた三崎和雄と優勝を懸けて対戦。カーンは大会前から怪我していた肩を悪化させて決勝戦の前にはドクターストップがかかっていたが、死去した恋人のために強行出場し、序盤は圧倒するも、後半の三崎の反撃に主導権を奪われ、2-1の判定負け。惜しくもグランプリ準優勝に終わった。2007年9月17日のHERO'Sで桜庭和志との対戦オファーもあったが、実現しなかった。桜庭のことを尊敬していて、Tシャツやフィギュアも持っている。2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007で試合の1週間前に急遽オファーを受けて秋山成勲と対戦し、右アッパーでKO負け。2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でゲガール・ムサシと対戦し、三角絞めで一本負け。2008年11月、UFCと契約したことが発表された。2009年1月17日、アイルランド・ダブリンにおけるUFC 93にてUFCデビュー。アラン・ベルチャーを相手に1Rは優勢だったが、2Rにギロチンチョークで逆転負けを喫した。2009年4月18日、UFC 97ではグザヴィエ・フパ=ポカムに3-0の判定勝ちを収め、UFC初勝利となった。2009年11月14日、イギリス・マンチェスターにおけるUFC 105で地元イギリスのマイケル・ビスピンと対戦。1Rは終始圧倒していたが、2Rに逆転TKO負け。しかし好勝負が評価されてファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2010年4月25日に開催された吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜に出場予定であったが、腰痛のヘルニアが悪化したために欠場となった。2010年7月18日、シドニーで行われたImpact FCでパウロ・フィリオと対戦。「PRIDEウェルター級GP2006幻の決勝戦」として注目されたこの試合で判定1-1で引き分けた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。