上田 忠彦(うえだ ただひこ、1947年8月3日 - 2015年4月15日)は、日本の元サッカー選手。ポジションはFW。京都府出身。元日本代表サッカー選手釜本 邦茂氏と同じ、京都市立太秦小学校でサッカーを始める。市立蜂ヶ岡中学校、京都商業高高等学校(現、京都学園高等学校)から法政大学へと進み、新日本製鐵に加入。日本代表としても12試合に出場し7得点を記録した。現役時代はヘディングの強さが特徴のFWで、1970年のアジア大会では釜本邦茂と2トップを組んだ経験もある。現役引退後は京都市の京都J-マルカフットボールクラブの代表者で、サッカーの指導者。また、京都クラブユースサッカー連盟(U-15)の監事も務めていた。2007年からはJ2担当のJリーグマッチコミッショナーに就任した。2015年4月15日、肺癌のため死去。67歳没。!colspan="4"|日本!!colspan="2"|リーグ戦!!colspan="2"|JSL杯!!colspan="2"|天皇杯!!colspan="2"|期間通算60||25||||||||||||60||25|||||||||||||-!通算
出典:wikipedia
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