桂 文三(かつら ぶんざ)は、上方落語の名跡。本名跡は約90年絶えていたが、桂つく枝が2009年5月16日に五代目を襲名した。初代 桂文三(1844年 - 1916年5月16日)は、本名: 渡辺儀助。享年72。後に2代目桂文枝を経て、桂文左衛門を名乗る。2代目 桂文三(1859年 - 1891年5月7日)は、本名不詳。享年32。2代目文枝(後の桂文左衛門)の門下。俗に「提灯屋の文三」という。3代目 桂文三(1858年 - 1917年7月16日)は、本名: 高田留吉。享年59。2代目桂文枝の門下。俗に「赤俥の文三」「盲目の文三」という。墓地は2代目桂文三と同じく大阪四天王寺(壽法寺)にある。3代目・4代目共に阪神大震災のおり倒れたままとなっていたが、5代目文三によって建て直された。4代目 桂文三(1886年 - 1921年10月10日)は、本名: 高田卯之助。享年35。3代目文三の実子。18歳の時、父の門下であった3代目桂扇枝を頼って密かに神戸の寄席に出るが、間もなく父の知る所となり、正式に父のもとに入門し桂小文吾を名乗る。父の方針により京都で修行したが、前座時代は真面目で「模範前座」と言われるほど器用であり、将来を嘱望された。1904年に小文三と改名して大阪の父の元に戻り、1921年4月に4代目文三を襲名するも、その半年後に脱腸の手術が失敗して急逝。初代桂雀三郎(後の2代目桂小文枝)や初代桂三輔(後の初代桂ざこば)らと共に桂派の若手として活躍するが、明治末期に父と共に三友派に移籍。『名古屋甚句』や『オッペケペー』などの音曲も得意とした。3代目文三門下の初代桂ざこばは、4代目文三没後、5代目文三を名乗っていたが、正式な襲名などは行わなかったようで、代数に入れられていない。5代目 桂文三(1967年7月25日 - )は、本名・三宅 胤清。5代目桂文枝の弟子。前名は「桂つく枝」。2009年5月16日、なんばグランド花月にて文三を襲名。詳細は桂文三 (5代目)を参照以上の各代以前にも、初代桂文治門下に文三の名が見え、天保14年(1843年)の見立番付の前座にも、別の文三の名が見られる。生没年不詳(活動時期は明治末期から昭和10年代)。本名: 浅倉喜一郎。こちらはぶんざと読まずぶんぞうと読む。最初2代目三遊亭圓左の門で左傳次(左伝次)、1916年に三遊亭小圓左、1918年に春風亭柳若(師匠等不明)、1920年に圓昇(師匠等不明)。俗初代柳家三語楼の門で三朝楼。1926年に重楼。1935年に8代目桂文治の門で文三になる。
出典:wikipedia
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