ファンタジーファイトWRESTLE-1(ファンタジーファイト・レッスル-ワン)は、日本のプロレス興行。2005年に同じWRESTLE-1の名を冠した「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」が開催されたがK-1が主催していること以外は内容は全く変わっており別企画。また2013年にプロレス団体「WRESTLE-1」が設立されたが組織的関連はない。ただし2013年設立のプロレス団体との混同を避けるためファンタジーファイトWRESTLE-1が旧WRESTLE-1(旧W-1)と表記されることもある。2002年11月17日、横浜アリーナでK-1を運営していたケイ・ワンの石井和義と全日本プロレスの武藤敬司が手を組み「プロレス版Dynamite!」のふれこみで旗揚げ戦を開催。運営協力にはPRIDEを運営していたドリームステージエンターテインメントがあたっていた当時、人気者になっていたボブ・サップを看板選手としてキャッチコピーは「ボブ・サップのプロレスエンターテイメントショー」。K-1と協力関係にあるフジテレビが中継権を獲得して平日19時から一時間というプライムタイムで放送。当時は既にプロレス中継がテレビ朝日の特番も含めゴールデンタイムとプライムタイムから撤退しており久々のゴールデンでのプロレス中継となった。当時、ハッスルも無くエンターテイメント性を全面的に押し出したプロレススタイルはまだ主流ではなかったため業界としても異端であった。だが佐竹雅昭が「Sata...yarn」と言うリングネームで登場してアブドーラ・ザ・ブッチャーと戦ったり小島聡がコーナー最上段に登った時の決め台詞「いっちゃうぞバカヤロー」が彼の台詞と同時に電光掲示板に映し出されるなどの事象やフジテレビの中継内で実況解説含めやたらテロップが多用されたことなどに対して批判的な意見が多く出された。視聴率も平均8.4%とゴールデンタイムとしては失格の数字であった。2003年1月19日、第2戦を東京ドームで開催。鈴木宗男の秘書として当時世間を騒がせていたジョン・ムウェテ・ムルアカが登場したりK-1選手のアーネスト・ホーストがプロレスに初挑戦し「アーネスト・ビースト」なるリングネームでサップとメインイベントで戦いサップを破るなどの波乱が起きる。全日本側は「以後も断続的に、年6回行う予定」と発表したものの主催者発表観客動員数は45,371人であったのに対して会場には空席が目立っており「東京ドームは時期尚早」の声も生まれた。視聴率は前回の横浜大会より2%アップし平均10.4%で最低ラインといわれる二桁には乗せることができた。4月19日、第3戦をさいたまスーパーアリーナで開催。しかし1月に石井が脱税容疑で逮捕されていたことやK-1とDSEとの関係が悪化したこともあり中止になっている。DSEはWRESTLE-1から分かれる形で2004年から独自にハッスルというプロレスイベントを立ち上げた。第2戦の失敗で赤字が膨らみK-1選手のファイトマネーの高騰などで採算が取れないことファンの支持が得られなかったことなども理由とされている。しかし批判されがちな大会ではあったもののPRIDEやK-1で活躍する選手がプロレスを行うことで得たものも多かった。特にケビン・ランデルマン、マーク・コールマン、ヒース・ヒーリングらに関しては非常に評価が高く総合格闘技以外でも対応できるところを見せた(後のハッスルでも参戦し活躍している)。また田村潔司のように興行を見て評価している選手も存在して、あまり格闘技に詳しくない人からは賞賛の声も少なくなかった。
出典:wikipedia
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