『戦国策』(せんごくさく)は、前漢の劉向の撰になり、戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に編集し、まとめ上げた書物。全33篇。「戦国時代」という語はこの書に由来する。もともと『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物があったが、これを前漢の劉向(紀元前77年~紀元前6年)が33篇の一つの書にまとめた。後漢の高誘がはじめて注釈をつけたが、8篇分しか現存しない。隋~宋代に異本が多く出て篇数に混乱をきたしたため、唐宋八大家のひとり曾鞏が再校訂を行い33篇にまとめ直したが、これが現行のテキストである。曾鞏の系統以外には、宋代の鮑彪が国の分類と年代順序を厳密にし、本文にも大胆な校訂を施した10巻本がある。日本では古くは9世紀後半の藤原佐世『日本国見在書目録』に書名が記録される。江戸時代には広く読まれ、林羅山が訓点本を作成するなど多くの漢学者が校注を施したが、中でも横田惟考の『戦国策正解』が定本となった。長沙の馬王堆漢墓から出土した帛書には戦国策と類似したものがあり、『戦国縦横家書』と名付けられた。春秋時代を経て戦国時代に入ると、周の封建制度が瓦解し、小国は大国に吸収、併呑され各国が領土の獲得に狂奔し、いたるところで侵略戦争が行われていた。しかし、各国は武力での侵略を極力回避した。なぜなら、武力による侵略では勝敗にかかわらず国力の疲労をもたらし、他国に乗ずる隙を与えるからで、西周、宋、衛などの小国はもとより、秦、斉、楚などの大国も、極力、平和的外交手段により打開しようとした。その一方で様々な思想が生まれ、法家の商鞅や儒家の孔子などの学者、思想家や、また諸国を遊説し外交を論じる縦横家(または遊説家)などに活躍の場を与えた。『戦国策』中で活躍しているのは、概ねこの縦横家(説客)である。この『戦国策』の記事は、衛の悼公の起こった周の元年(前476)から秦の始皇帝215年(前222)に六国が滅亡するまでの250余年にわたる、戦国遊説の士の策謀の辞である。
出典:wikipedia
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