株式会社アサツー ディ・ケイ()は、日本の広告業界で電通、博報堂に次ぐ第3位の広告代理店。略称はADK(エーディーケー)。1999年1月1日に旭通信社と第一企画が合併して発足した。1999年1月、旭通信社と第一企画が合併して発足。本社を東京都港区に置き、年間売上高で電通、博報堂DYホールディングスに次いで国内広告業界第3位の大手広告代理店である。世界3大広告代理店グループの1つであり世界第2位の売上高を誇るWPPグループ(イギリス)と資本、業務提携関係にあるほか、中華人民共和国の新華通信社(新華社)などとも業務提携関係にある。また、イギリスやフランス、タイ王国や大韓民国、アメリカやアラブ首長国連邦に現地法人や合弁会社を置くなど、海外市場へも広く展開する。1956年に稲垣正夫が中心となり、『株式会社旭通信社』として社員4人で設立された。略称は『あさつう=ASATSU』。「大手と同じことをしていてもだめだ」との方針のもと、雑誌広告に申込ハガキをつける、婦人誌付録の家計簿に広告スペースを設けて買い切るなど、前例のないアイデアを次々に実現して業績を伸ばした。一方でまだ少なかった子供向けテレビ番組として国産アニメの企画制作を開始、現在のコンテンツビジネスの先駆け的な存在となり、業務を拡大した。1987年には、広告業界では初めて旭通信社(当時)が東京証券取引所に上場した。また、幅広い人脈を生かしていちはやく中国へ進出し、1991年に中華人民共和国の新華社と業務提携。1998年には、イギリスのWPPグループと資本・業務提携を行う。1988年以降の国内アニメには、略称のASATSUが使用されていた。その一方、5年前である1951年に第一企画宣伝株式会社が設立され、1961年に『第一企画株式会社』へ商号変更。第一企画は雑誌やアニメに強みを持つ旭通信社とは対照的に企画・マーケティング領域に定評があり、1997年には国内初のインターネット調査パネル「KNOTs」をリリースするなどの先進的な取り組みを行った。その旭通信社と第一企画が1999年1月1日に合併し、現在のアサツー ディ・ケイが発足した。旭通信社時代から引き継いだアニメコンテンツに強みを持つ。その歴史は古く1963年11月8日から放映された『8マン』にはじまり、それ以降『ドラえもん』シリーズに代表される藤子アニメなどの多くの作品の製作に加わっており、『妖怪人間ベム』では原作にADKの社名が単独でクレジットされている。2002年にそれぞれの旧本社を集約する形で、東京都中央区築地のADK松竹スクエア(現・銀座松竹スクエア)へ移転。その関係でADK松竹スクエアは、大手広告会社を扱ったテレビドラマ『サプリ』などの撮影の舞台になった。2014年6月16日、虎ノ門ヒルズ森タワーに移転。移転後の本社オフィスは「パワー・アイデア・キャンプ」と称しており、キャンプのようなオフィスに強い「個」が集い刺激しあってアイデアを生み出す場を目指す、としている。13階受付ロビー階には、藤子・F・不二雄ミュージアムを制作した乃村工藝社と藤子プロ監修による「ドラえもん会議室」などを備える。創業以来、稲垣正夫が社訓として「全員経営」を掲げている。2014年の虎ノ門ヒルズ移転およびコーポレート・アイデンティティ刷新に伴い、長期ビジョンVISION2020を制定して、「コンシューマー・アクティベーション・カンパニー」を標榜している。また「従来の広告ビジネスの枠を超えてビジネスを拡大していく」としている。ADK買付枠のうち制作:NAS表記のものは日本アドシステムズ参照のこと。また、※は創通(旧:創通エージェンシー)との共同。経済産業省資源エネルギー庁が行う「原子力安全規制情報広聴・広報事業(不正確情報対応)」の2011年度分に事業内容を踏まえて応札し、約7000万円で落札・契約した。Twitterやブログなどのインターネット情報をモニタリングする。ADKは「福島第一原発事故の風評被害防止になる事業だと判断した。事業内容については委託された立場なので、同庁の出した事業を進めるだけ」としている。
出典:wikipedia
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