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原宿駅

原宿駅(はらじゅくえき)は、東京都渋谷区神宮前一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線の鉄道駅である。駅番号はJY19。駅名は、開業当時近隣にあった地名、原宿(豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿)から。特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。また、近接する東京地下鉄(東京メトロ)千代田線の明治神宮前〈原宿〉駅との連絡運輸が実施されている。なお、副都心線の連絡運輸は渋谷駅となるため、この駅での連絡運輸はない。しかし山手線車内の自動放送においては当駅においても副都心線への乗り換え案内がなされている。原宿・表参道地区のアクセス駅で、近隣は若者を中心に賑わいをみせているが、明治神宮や代々木公園の森林に接しており、改札内に乗換路線もない(後述)ことから、ホーム上は比較的閑静である。二代目となる現在の駅舎は1924年(大正13年)に竣工した木造建築で、都内で現存する木造駅舎で最も古い。建物は二階建てで、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインとなっている。窓格子は二重斜格子文で、階段に使用されている廃レールには、1950の刻印が見られる。開業時は乗降客が少なかったが、1919年(大正8年)に明治神宮が造営された後には発展を続けた。乗降客が増加した1929年(昭和4年)には竹下口地下道、1939年(昭和14年)には明治神宮側臨時プラットホームが設置されている。戦災からの復興の過程、隣接する千駄ヶ谷地区には連れ込み宿が林立、原宿駅前にも同様の旅館が出現した。しかしながらそれらを一掃しようという運動が近隣住民やPTAを中心に行われ、その結果原宿駅を含む原宿地区は1957年(昭和32年)、文教地区の指定を受け、その結果風俗営業は姿を消した。山手線の島式ホーム1面2線が、通常使用されている。表参道口にはみどりの窓口とトイレが設置され、改札外に地下鉄線への乗り換え口がある。コンコースとホームを連絡するエスカレーターとエレベーターが設置され、改札まではスロープとなっているなどバリアフリー措置が取られているが、竹下口には何もない。発車メロディは、外回り・内回りともに当駅オリジナルのメロディが使われている。なお。2011年3月1日から20日までは期間限定でmiwaの楽曲「春になったら」が採用され、1番線ではサビ、2番線では冒頭部を使用していた。また、臨時ホームでは発車ベルが使われる。両出入口に自動改札機が設置されている。表参道口には簡易Suica改札機も設置されている。臨時ホームは簡易Suica改札機のみ設置されている。(出典:JR東日本:駅構内図)当駅の特徴として、外回り線(代々木駅方向)に1面1線の明治神宮敷地内「臨時ホーム」(3番線ホーム)が、内回り線(渋谷駅方向)の駅手前・代々木駅寄りに1面1線の皇室専用ホーム(後述)がある。「臨時ホーム」は、例年正月のみ使用される明治神宮初詣客向けのもので、1940年(昭和15年)元日から供用が開始された。明治神宮は毎年日本で最多の初詣客が訪れ、山手線は大晦日から元日にかけて終夜運転が行われるが、この際外回り線は臨時ホームで乗降を行い、2番線ホームは使用中止となって方面標も3番線ホームに設置される。改札も明治神宮側の臨時改札口で行われるため、渋谷駅のようなホームとなるだけでなく、表参道口と竹下口は内回り専用となる。駅北側(代々木駅寄り)の貨物線線路から分岐する形で設置されている、皇室専用駅。「原宿駅側部乗降場」、「北部乗降場」、「北乗降場」、「帝室御乗降場」などと呼称され、設置以来お召し列車の発着に使われてきた。この施設は「宮廷ホーム」の通称でも呼ばれ、2013年(平成25年)現在は財務省とJR東日本の共同所有となっている。一般客が乗り降りする山手線のホームとは厳格に区別された宮廷ホームは簡素な造りで、屋根には古レールが使われているなど派手さはない。これは宮廷ホームが造られた当時、大正天皇が病気療養中だったためで、あまり派手な駅を作ると療養中の天皇が利用している姿が人目につき、健康を害している天皇の姿を国民(当時は「臣民」と呼んでいた)が目の当たりにしたら、社会に動揺が広がることにもなりかねないと考えられ、あえて控えめに造られたとされている。このホームが使用される際のみ、原宿駅は運転取扱駅へと一時的に昇格する。通常は当ホームの出発信号機・場内信号機はレンズ部分に黒い蓋をして使用停止とし、山手貨物線本線(通過線)側の出発信号機・場内信号機は閉塞信号機として扱っている。病弱だった大正天皇が宮城(きゅうじょう=皇居の旧称)から沼津御用邸や葉山御用邸等へ静養に出発するための専用駅として設置された。工事は1925年(大正14年)夏、旧原宿駅跡地、および旧原宿変電所跡地とその側線を転用する形で着工され、同年10月15日に完成した。同年12月17日には試運転が行われ、大正天皇が初めて利用したのは、1926年(大正15年)8月10日、葉山御用邸に出発する際であった。しかしながら大正天皇は同年12月25日に崩御、同27日に霊柩列車によってこのホームに戻ることとなった。昭和時代には昭和天皇・香淳皇后が那須や須崎(静岡県下田市)にある御用邸や全国植樹祭などへ向かう(行幸啓)場合などに運行される専用のお召し列車が年に数回発着していた。また、香淳皇后が須崎・那須両御用邸へ静養のために向かう際には、このホーム発の専用列車に乗車していた。昭和天皇がこのホームを利用する場合、三権の長(内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長・最高裁判所長官)、国務大臣、日本国有鉄道(国鉄)総裁、東京鉄道管理局(1969年(昭和44年)4月以降は東京西鉄道管理局)長が揃って「お見送り」をすることが、国鉄時代の慣わしであった。皇族専用ホームは皇族による利用のほか、1979年(昭和54年)には201系電車の試作車展示や、1988年(昭和63年)にはパビリオン列車「アメリカントレイン」の出発式といった、各種イベントにも用いられた。今上天皇の時代になると東京駅を利用することがもっぱらとなり、それ以前に他交通機関の発達もあって鉄道利用が少なく、お召し列車の運行自体が稀になっている。今上天皇が原宿駅の皇室専用ホームを最後に使用したのは2001年(平成13年)5月21日、第52回全国植樹祭から帰った際であり、以来皇室専用ホームを皇族が利用した実績はない。原宿駅・皇室専用ホームが利用されなくなった背景には、山手貨物線が、埼京線の延伸や湘南新宿ラインの運行開始などに伴って過密ダイヤとなり、お召し列車の運行には不適切になっているという事情もあるという。乗降場の周囲では草刈りは定期的に実施されているものの、場内信号機は白い蓋で塞がれており、分岐器が使用停止のまま長らく列車の発着がないためにレールが錆び付くなど、即座には使用できない状態となっている。一方、皇室専用ホームは廃止されたわけではなく、宮内庁では今後、国賓の地方への案内といった場合に使用される可能性が示唆されている。JR東日本によると、2020年の東京オリンピック開催に向けて、当駅の駅改良工事に着手することが発表された。年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとして常設化される他、2階建ての駅舎に建て替え・エレベーターとエスカレーターの増設・トイレや改札口と通路の拡張などが行われる。また、新駅舎は明治神宮口にも設置される。なお、今回常設化される外回り専用ホームにはホームドアも設置され、改良工事後の島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームになる。2015年度の1日平均乗車人員は73,733人であり、JR東日本全体では第61位。近年の推移は下記の通り。その他の駅周辺施設は「明治神宮前駅#駅周辺」を参照。最寄り停留所は、原宿駅、原宿駅入口、明治神宮となる。駅構内のホーム沿いに設置されている大型看板「原宿ファッションジョイボード」(縦3m×横4m)の17面すべてを1週間限定で貸し切り、社会的・文化的メッセージのあるポスターの連作を展示する広告展開企画で、1979年12月から春と秋の年2回開催している。

出典:wikipedia

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