名古屋鉄道の車両形式(なごやてつどうのしゃりょうけいしき)は、名古屋鉄道に在籍する、あるいは在籍した鉄道車両の一覧である。路線規模やナローゲージ・第三軌条線の存在こそ近鉄に譲るものの、かつては指定席・自由席兼用車、路面電車、ディーゼルカー、他社では既に引退した旧型車両などが多く存在し、私鉄どころか当時の国鉄と比べても、大変バラエティー豊かな構成で知られていた。それは、名鉄の経営基盤である中京都市圏がもともと首都圏・近畿圏に比べて人口密度・鉄道輸送シェアともに低いことが根底にあり、多様な路線網と輸送需要をより少ない経営資源(資本)で賄うため、このような構成となっていた。1990年代以降は、それらに加えて経済情勢の変化やJR東海の攻勢により、一層の合理化・効率化を余儀なくされた。利用率の高い路線は異端車両を整理し、利用率が低い路線では縮小・廃止が行われ、その種類は21世紀初頭と比べても激減している。特に非電化・600V区間の路線を全廃したことにより、前述の特徴ある車両が姿を消し、加えて2006年に名鉄が発表した車両置換計画が完了すれば、残る車両を大分類すると"特急車(特別車)・一般通勤車(18.5m級3扉車)・地下鉄直通車(20m4扉車)"の3種となり、他の大手私鉄と違った希有な車種が見られるわけではなくなるが、特急車の"一部特別車"(特別車 + 一般車)固定編成は、名鉄の独自性が最もよく顕れていると言える。かつては、パノラマカーを有料特急から通勤列車にまで運用するなど、汎用性の高い車両を志向していたが、上述の車種整理の過程で本格的な特急車(現・特別車)や通勤車の投入により車両の用途別特化が進んだため、保有車両数が1970年代半ばに比べて約400両も増加したのに反して、車両の形式体系は明確で分かり易いものになった。なお2005年以降の各年度末時点における在籍旅客車両数の推移は2006年度1,136両、2007年度1,130両、2008年度1,110両、2009年度1,090両、2010年度1,078両、2011年度1,060両と漸減傾向にあったが、2014年度には1,064両でほぼ横這いである。形式別の製造両数については、多様な車種を投入してきた経緯があるため、上位3系列(6000系、3500系、7000系)でも各々100両台にとどまる一方でいわゆる少数派の形式も多い。名鉄では創立当初から殆どの車両が日本車輌製造(日車)で製作されており、同社がJR東海の子会社となった後も、引き続き名鉄と相互に株式を持ち合うなど資本関係を維持している。かつては他社で製造した車両もある程度存在したが、その殆どが他社からの譲渡車や合併会社の車両であり、現用車両では三河鉄道から引継いた電気機関車デキ300形(三菱造船・現三菱重工業)や、戦時中の転用で名鉄入りしたデキ600形(東芝)などごく少数に留まっている。艤装関係は主電動機が東洋電機製造・三菱電機、主制御器が東芝・三菱・東洋、冷房装置が東芝・三菱、台車が住友金属工業などとなっている。特に台車は1951年以来ほぼ一貫して住友金属製を使用しており、1973年からは同社が製造する片持ち平行板バネ式軸箱支持方式(S・SUミンデンドイツ式)を標準台車としている。なお旧型車(吊り掛け駆動車)の時代では、台車も日本車輌製のD形シリーズを中心とした釣合梁(イコライザー)式が主流であった。1975年までは車体更新車など一部を除き、2扉転換クロスシート車の新製を続け、特急列車への運用は最新の系列に限定し、後継車両の増備につれて捻出した車両から広汎に運用する施策が取られたため、特急用、一般用といった種別ごとによる用途分類の概念がなかった。石油ショック(1973年)以降の急激な乗客増加により通勤ラッシュ時の深刻な輸送力不足が表面化し、1976年からは独自設計による通勤車の新製を開始したが、それでもなお3扉ながら固定クロス仕様とした(他の大手私鉄は3・4扉ロングシートが基本)。1980年代後半からの景気拡大期(バブル景気)には従来の通勤車でもなお輸送力が不足し、1990年以降はロングシート主体の新車と固定クロス車の改造が続き、混雑緩和と乗降時分短縮のため2扉クロスの一般車は新造しておらず、特急指定席車(現在の特別車)のみが2扉・リクライニングシート装備で新造されてゆくこととなる。特に1990年代前半は、オールロング化に加えて実質着席定員を最小限にとどめた3扉通勤車の大量増備という極端な施策が取られた。ただし同時期にあっても着席定員を犠牲にできない特急一般席車(現在の一般車)に限って、混雑緩和との両立を目的に3扉転換クロス車を新造している。2002年度から2005年度は、転換クロスとロングの両方を配置した一般車・通勤形車両(セミクロスシート車)を増備したが、2007年の3150系2次車では全てロングに戻され、同型車体の更新車5000系(2代)もオールロング仕様となった。2007年以降、引き続き転換クロスシートを装備して増備されているのは2200系の一般車(ないし2300系)のみである。2200系や1700系の増備につれて、快速特急・特急でもラッシュ時にオールロングシートの3100系・3150系(2次車以降)を増結して運行される場面が日常化した。また、座席配置の如何にかかわらず一般車・通勤車(地下鉄直通車を除く)は将来的に3扉車に統一される見込みであり、2009年度末にはその構成比が9割超(全旅客車総数に占める割合は約3/4)に達した。その他、近年見られた名鉄独自のインテリアとして、300系以降の一般車・通勤車でスタンションポールなどをピンクやライトブルーに着色した点が挙げられるが、2012年竣工の4000系第8編成から艶消し処理の無着色に変更され、従前の車両も、塗装またはフィルムが剥げて見栄えが悪くなってきたことなどから、検査入場の際に色が落とされ色付きポールは消滅した。優等列車主体の都市間連絡ダイヤを構成してきたため、戦前から高速運転には積極的で、旧型車(AL車)でも営業最高速度100km/hの性能を有していた。名古屋本線においては1961年に110km/h、1990年には120km/hの営業運転を、いずれも狭軌の私鉄としては初めて開始している。一方でローカル線用や通勤用車両は、旧型車の機器流用、他社の旧型車譲受(元東急の3880系)、最高速度を抑えた車両(6000系)の投入、冷房能力の低減(6000系列のうちの1980年 - 1986年までに製造された車両)、ラッシュ対策として座席数削減(1991年 - 1996年に製造された6500系・6800系・3500系)といった、経済性を優先する傾向も一時期みられ、1980年代一杯まで半鋼製・非冷房の旧型車が多く残されていた。名鉄社内では、モ800形(初代)や「いもむし」ことモ3400形をはじめとする間接自動加速制御の吊り掛け駆動車を慣例上「AL車」と呼んでいた。本来、「AL」とは「Automatic acceleration-Line voltage」(自動進段・架線電圧電源式)を意味する、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社系単位スイッチ式制御器に対する呼称であるが、名鉄では単に自動進段(自動負荷制御)を意味する「Automatic Load control」の意味合いから「AL」車と便宜的に呼称し、更に略して「オート」と呼ぶこともあった。なお、名鉄においては、「HL車」も「Hand-operated Load control」(非自動加速〔手動負荷〕制御)の略称であり、実態は電動発電機を搭載した「HB車」で、これも「AL車」と同様に便宜的な呼称(拡大解釈・誤用)である。名鉄の「AL車」に用いられた主電動機は、名岐鉄道デボ800形(1935年製造)のTDK-528/5 Fから最後の「AL車」である3900系第4編成(1954年製造)に亘るまで、芝浦SE-139を搭載した1930年代の3400・3500系などを除き、東洋電機製造の110kW級モーターであるTDK-528系が一貫して採用されていた。名鉄「HL車」(車体更新後)の主力モーターであったWH(ウェスティングハウス)社のWH-556-J6は、木造車時代の末期から鋼製車の初期にかけて採用(輸入)されたモーターを車体更新後も長年に亘ってそのまま重用していた。端子電圧750V時1時間定格出力74.6kW、定格回転数985rpmというカタログデータが示すとおり、同社製モーターとしては珍しい高回転型であった。名鉄の「SR車」(高性能車)に用いられた主電動機は、7700系まで全電動車(M+M')方式を採っていたことから東洋電機製の75kw級モーターであるTDK-825系が主に採用されていた。6000系以降は電動車と付随車の割合を1:1(M+T)とした事から、同社の150kw級モーターを標準とした。営業運転における最長編成は1966年以来8両。当時の看板車両パノラマカーの一部を8両固定に組み替えたほか、AL車や8000系気動車もピーク輸送では8両編成が組まれた。2009年10月現在は6両・4両・2両編成を組合わせて運用している。内訳は、6両組成が39本(特急車28本・地下鉄直通車11本)に対して4両組成と2両組成が各々140本前後(2009年時点)と他の大手私鉄に比べて4両以下の短い編成が圧倒的多数を占め、またそれらを単独で使用する列車も多い。ここに名鉄の輸送密度の低さや絶対的輸送量の少なさが反映されている。路線毎の最長編成については各路線の記事を参照。なお、名古屋本線の一部の駅は10両編成対応のホームを有するが、連結両数は近年減少傾向にあり、現在のところ10両編成運転の計画はない。車両番号の前の記号は制御電動車 (Mc) ・電動車 (M) =モ、制御車 (Tc) =ク、付随車 (T) =サで、特別車を表す「ロ」や一般(普通)車を表す「ハ」は付けていない(過去に在籍した気動車は「キロ」「キハ」と付けていた)。旅客車以外の車両については、電気機関車=デキ、貨車は1984年(昭和59年)まで国鉄と通運(貨車の共通運用)をしていた関係から、現在もJR各社と同様の形式符号(ワムなど)を使用している。なお、記号は貨車を除き車体妻部にある形式標板以外には表示していない。形式番号は、(旧)名古屋鉄道の発足時に100番台から付番(改番)を行い、当初は殆どの車両が両運転台車(単行運転)であったことから、2両の固定編成が主流となった後もMc車の形式を基本的に代表形式(XY00系)とし、形式は基本的に50番刻みで付番し、中間車(3両編成以上)が登場した後は、中間車に50番台の形式を付番していた。1976年に新製した6000系では大量増備が予定されていたため、従来の付番慣例によらず中間車も含めて100番刻みの形式を採用した。また、6000系以降ではTc (T) 車が代表形式を名乗るケースが増えており、その後の純新製車両は最若番を名乗る形式を代表形式としている(6500系を除く)。(旧)名古屋鉄道発足時より続く、同形式の1桁目1番から順に個別番号を付番する方式を取っている。現在では旧型車の淘汰が進んだため、3桁(電気機関車を除く・100系) - 3000番台は全て2代目以降の系列となっている。なお、電気機関車は旅客車等とは独立して形式番号を付けており、過去には形式(車両固有)番号が一部重複する例(モ600形とデキ600形など)も見られたが、600V線用車両の廃車が行われた現在は重複が解消している。名岐・愛電の合併前は旧名岐系(西部線)がダークグリーン、旧愛電系(東部線)はマルーンなどを使用し、合併後は3400系が緑の濃淡の塗り分けで登場した他は、ダークグリーンを基本色としていた。1951年に登場した3850系が、上部『赤クリーム』・下部『チョコレート』(明るめのマルーン)に塗装した『特急色』で登場し、以降の新製車・車体更新車は全車が、既存車も特急充当車(3400系・3600系など)が塗り替えられた。1961年に登場した7000系が初めて『スカーレット』一色塗りを採用し、それと対比させるように1966年からはそれ以外の車両を『ライトパープル』(薄紫)への塗り替えを進めたが、車両の視認性に問題があり、急遽採用を中止し『ライトパープル』は1年足らずと短命に終わった。次に採用されたのが『ストロークリーム』(黄色味の強いクリーム)に赤帯を巻いた塗装で、これはクロスシート車を中心に(SR・AL・HL車関係なく)塗り替えが進められた。途中、1968年頃よりSR車を『スカーレット』に白帯を巻いた塗装へ変更し、パノラマカー(スカーレット)に準じた車両として区別した。当時は、以下の通り車両のグレード毎に塗装を変えており、塗装を見ればその車両の設備(処遇)が一目で分かった。600V線車両は、モ510形・520形が『上部白に赤帯・下部赤』(いわゆる紅白塗装)、600形がSR車と同じ『スカーレットに白帯』(急行車塗装)で登場し、他の岐阜市内線用車両は『上部クリーム色・下部緑灰色』、揖斐・谷汲線車両(鉄道線専用車)は緑(若草色)一色塗装。瀬戸線は900系・3700系などクロスシート車が『スカーレットに白帯』(特急車塗装)、他の車両は『ダークグリーン』であった。1970年頃からは工程の簡素化を行ってSR車の『白帯』を省略(『スカーレット』一色塗り)し、石油ショック以降は経営の一層の合理化を迫られて塗装の簡素化(経費節減)を志向するようになり、新旧の区別なく在籍車両全車を順次『スカーレット』一色へと変更し、1980年頃には8000系・モノレール車両を除く全旅客車両の塗り替えが完了した。従って1970年代半ば頃から『名鉄=赤い電車』のイメージが一般の人々にも定着するようになり、名実共に名鉄のシンボルカラーともなった。その後、行過ぎた塗装簡略化を反省する機運が生まれ、1982年に登場の7000系を改造した名鉄初の特急専用車(通称白帯車)がパノラマカーでは初めて白帯を巻いて登場し、車体新製時から『特急専用』で設計された8800系や1000系からは白を基調にした塗装を採用するようになり、現在の看板列車『ミュースカイ』専用車の2000系に至っては白地に青を配した塗装となり、車体塗色から赤が消えてしまった。ただし、同系の車体を持つ2200系・1700系の特急用車両やステンレス車体の通勤車各形式には引き続き赤色の帯などを配しており、今も『赤い電車』のイメージを引き継いでいる。6500系登場以降、2003年頃まで3ドア通勤車の客用扉の上半分が白に近いライトグレーに、3500系登場後はグレーに変更されて塗り分けられていた。これは本線系で当時多数を占めていた7000系や5500系などの2ドア車に対して3ドアであることを強調するためのもので、3ドア車が主流となった2000年頃からは塗装簡略化を行い、客用扉の塗り分けは行われなくなった。車両の車番標記は、3850系以降現在に至るまで、アメリカンスタイルとも評されるボールド体のローマン書体を用いたもので統一されており、車体側面下部の標記は比較的大判の切出し文字が用いられる。ボールド体のローマン書体は名鉄の前身事業者の1つである愛知電気鉄道(愛電)が自社保有車両の車番標記に用いた書体である。名岐鉄道との合併による現・名古屋鉄道成立後は、愛電由来の東部線向けに新製された一部の形式を除き名岐鉄道にて用いられた字体の異なるローマン書体が車番標記に用いられたが、戦後初の本格的優等列車用車両である3850系の新製に際して、後に名鉄の運転課長職を経て最終的に系列会社の大井川鐵道顧問に就任した白井昭の実弟で鉄道ファンの白井良和の希望を受け入れる形でボールド体のローマン書体が車番標記として復活したという経緯を有する。車籍はいずれも名古屋鉄道であったが、ほとんどの車両は工場側に所有権があった。
出典:wikipedia
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