泉大津市(いずみおおつし)は大阪府泉北地域に位置する市。市名は和泉国の国府の外港(国津)であったことに由来する。和泉木綿の集散地となった江戸時代に真田紐をはじめとした繊維産業が興ると、これを地盤に明治以降毛布の製造が始まり、毛布のまちとして発展した。現在も国内産毛布においては9割超のシェアを占める。港湾も昭和初期に近代化され、堺泉北臨海工業地帯の一角を占め、近年は物流拠点としての性格も強めてきている。また、港湾や中心駅の再開発が進み、人口は増加傾向にある。奈良時代には大津の地名が見られ、日本書紀にも登場する。鎌倉時代には大津城(眞鍋城)が築かれ、戦国時代にはその跡地に大津御堂(南溟寺)が建ち、周囲は寺内町の様相を呈した。江戸時代、泉州地域において綿花栽培の規模が拡大すると、港湾とその後背地としての在郷町を併せ持つ大津に綿花注文所が設けられ、綿花は船で大坂や堺の問屋に運ばれるようになった。また、原料の集散地に留まらず、真田紐などの加工品の製造も行われるようになった。この地盤を活かして、明治時代には毛布の製造を開始。一大生産地に発展した。過去には、泉大津市・和泉市・高石市・忠岡町の3市1町の間で合併の話が持ち上がったが、高石市が脱却したため、合併研究会の設置に至らなかった。現在では、泉大津市・和泉市・忠岡町の2市1町(かつての和泉郡の範囲とほぼ一致)の間で、合併問題などを調査研究する「泉北2市1町広域行政研究会」が設置されている。定数は17人。2016年6月10日時点での会派構成は以下の通り。泉大津の「泉」と「大」の文字を波形に図案化し、湧きのぼる発展と海外への雄飛を表章している。1942年(昭和17年)9月25日に制定された。毛布のまち泉大津にふさわしく羊の顔をイメージし、目と口の黒い丸は「創造」「躍動」「調和」を表している。『おづみん』 - 2012年(平成24年)4月1日に市制70周年を記念して誕生したゆるキャラ。毛布工場で生まれた羊精(妖精)という設定。南海本線泉大津駅東口ロータリーに巨大な像「でかおづみん」として設置されていた。駅前展示は本来2012年(平成24年)12月31日までを予定していたが、市民からも好評を得たため2013年(平成25年)3月30日まで特別にそのまま駅前ロータリーで設置されていた。3月30日の深夜に有志により分解され現在はひまわり広場に移転され設置されている。市のキャッチフレーズは、『日本一の毛布のまち・いずみおおつ』である。泉大津市オリアム随筆賞は、「繊維のまち・泉大津」を全国にPRするために、市制施行70周年事業として、2012年より創設された独自の文学賞である。なお「随筆」と書いて「エッセイ」と読む。おもな産業は繊維、タイヤ。特に毛布やニットの製造が盛ん。泉大津市の経済や雇用を活性化させるため、市では、企業の誘致に積極的に努めてきたという。そうした長年に渡る努力の甲斐あって、現在では多くの企業が泉大津市へ進出し、事業を営んでいる。(2012年12月現在)※泉大津市内各区域の郵便番号は「595-00xx」(泉大津郵便局の集配担当)となっている。この他、大阪国際空港(伊丹空港)を利用する市民も多くいる。泉大津市にはJR阪和線の駅はひとつもないが、阪和線沿線の住民も市東部を中心にたくさんいる(厳密に言えば、阪和線は和泉府中駅の北側でほんの僅かながら泉大津市を通過しているのだが、泉大津市民の多くに、市内には南海本線しか無いという意識があるのも事実である)。なかでも、穴田や東豊中町など、和泉府中駅から徒歩数分程度という住民は、隣りの和泉市府中町にある同駅を利用する場合が多い。南海バスは市域において、南海本線の泉大津駅を発着する路線バスを運行している。すべて、隣接する和泉市の各地域へ向かうものである。1時間に1本運行されている光明池駅へ向かうバスを除き、泉北高速鉄道和泉中央駅を経由する。ため、福祉バス「ふれあいバス」を、中日臨海バスへ委託して運行している。高齢者・障害者・妊婦などの社会参加促進を目的として運行されているため、乗車はこれらの人に限られている。運賃は無料。市内は格子状に道路網が整備されているが、人口が増加している和泉市中南部からのアクセスが、地形の制約もあって富田林泉大津線(戎町 - 穴田間)に集中し、近年渋滞が悪化している。さらに、その先の国道480号線(和泉市)には、開かずの踏切(JR阪和線)があるため、朝・夕のラッシュ時には大混雑することがよくある。現在、こうした問題を改善するため、国道480号線では、本格的な工事が進められている。詳しくは、和泉府中駅#駅周辺を参照されたい。
出典:wikipedia
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