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伏木曳山祭

伏木曳山祭(ふしきひきやままつり)は、富山県高岡市伏木地区にて毎年5月15日に行われる、江戸時代後期より続く、海岸鎮護・海上安全の神である伏木神社の春季例大祭。7基の山車が出て、夜にはこの祭り最大の見どころである「かっちゃ」または「かっちゃい」(かち合いが変化したもの)といわれる、山車同士のぶつけ合いが行われる勇壮な喧嘩祭りで、「伏木のけんか山」の別名で親しまれている。1998年(平成10年)より5月14日には前夜祭として、19時より山倉前にすべての花山車が並び宵山ライトアップが行われ、お囃子なども聞くことができる。なお、2016年(平成28年)より十七軒町曳山の完成を記念し、かっちゃの会場でもある本町広場に変更となった。天平の時代には越中の国府がおかれ、万葉集の編纂者でもある大伴家持が国主として赴任した伏木は、大伴家持が数多く唄を詠んだ越中万葉の里として、また江戸時代には北前船で繁栄した港町として、そして現在は国際拠点港湾、特定港に指定されている港町である。かつて海岸沿いに神明社が置かれていたが波の浸食によってさらわれたため、現在の場所に1813年(文化10年)伏木神社として遷座された際に、神幸供奉のため曳山が創建されたといわれる。1916年(大正6年)までは9月25日に行なわれていた。15日の例大祭には港町である伏木の市街地を、露払いとして地元近隣の小学校、幼稚園、保育所の児童園児達の母衣(ほろ)武者行列を先導に、神輿、花傘、太鼓などの御幸行列が巡行し、7基の花山車が各町揃いの法被姿の若衆によって「ア、イヤサー! イヤサー!」(万歳を意味する「弥栄」いやさかに由来)と威勢のいい掛け声のもと勇壮に曳き回される。18時40分頃には提灯山に衣替えし夜空をほのかに染めながら曳回され、2ヶ所で山車同士の激しいぶつけ合い「かっちゃ」が行われる。現在は一般的にけんか山と言われるが、以前は「勇みだし」、「勇み曳山」とも言われ、1974年(昭和49年)までポスターに使われている。なお、伏木曳山祭(けんか山)は1985年(昭和60年)7月8日、高岡市の無形民俗文化財に指定されている。また2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。明治時代に7基になる予定であった山車は、1880年(明治13年)の大火で、1864年(元治元年)創建の十七軒町(じゅうしちけんまち)の山車・御神体が、高欄の一部を除き焼失した後に、湊町(みなとまち)の山車が1892年(明治25年)に創建されたため7基揃わず6基であったが、2002年(平成14年)より十七軒町の山車再建に着手し、順次御神体、前立人形、鉾留を復元、2015年(平成27年)4月29日には135年振りに再建され、長きに渡り念願だった7基が揃った。一番古い山車は中町のもので、1820年(文政3年)9月の創設であるが、それを遡ること39年前の1781年(天明元年)に、上町(かんまち)と本町(ほんまち)で御神体が製作されていたことが、御面像付け根の墨書きによりわかっている。山車は高さ約8m、幅約2.2m、長さ10m以上、重さ約8tで、地車に鉾柱(心柱)を立て花傘を纏い、最大の特徴である、かっちゃで山車同士をぶつけ合うための付長手(つけながて)を前後に備えた花山車である。上山と下山(地山)の二層構造で上山中央の鉾柱(心柱)の上部には髭籠(ひげこ)といわれる竹籠を付け、その周りに3色の菊の造花を5個付けた割竹を放射状に広げた花傘の鉾山で、鉾柱(心柱)の先端にはだしといわれる鉾留が付いており、鉾柱のたもとの神座には七福神の御神体を供えている。また前立人形といわれるから操り人形が供えられている。高欄や後屏には桃山時代の特徴を備えた彫刻が施され、下山は柱の間に斜交い(はすかい)を用い、かっちゃ用の頑丈な造りとなっており、御簾(みす)を掛けたものと大幕(おおまく)が張られたものがある。下山内部には囃し方が乗り込むが、囃子には笛(篠笛)太鼓、鉦を用いる。車輪は4輪の大八車(外車)様式の輻車(やぐるま[スポーク式])または板車で、接地面には焼き嵌めによって鉄輪が嵌められている。山車の前後には2人ずつ計4人の曳子頭が乗り、拍子木、笛などで山車の巡行、角回し、かっちゃの際指示を出す。夜には、御神体人形を山車から下ろし各町の山宿に安置し、彫刻なども外し山車の周りに9ないし10段からなる約360張りもの丸提灯(1年365日に由来)、四隅には小田原提灯(四季に由来)を付けたかっちゃ仕様の提灯山となる。また以前は女人禁制だったが、2002年(平成14年)年より女性も曳き手に加わった。ただし「かっちゃ」には大変危険なため加わることはない(但しかっちゃ会場への入退場には参加し、客席最前列で観覧している)。この山車最大の特徴であるかっちゃ用の付長手は「大砲」とも呼ばれ、先端に補強のため鉄輪がはめられた直径30〜40cm、長さ4.7mの樫の大木で、轅(ながえ)を介し山車の前後に計2本取付けられる。この付長手は毎年新しい物と交換するのだが、各町の人達が自ら山から木を切りだし、形を考慮しながら加工し、ぶつけ合う先端には鉄輪をはめ補強する。この付長手の取り付けは算段(さんだん)と呼ばれ、祭りに合わせ各町が一週間ほどかけ夜を徹して大量の藁縄のみを使用し、轅(ながえ)に渡した太い樫の横木何本かを用い下山(地山)に固定される。この縄の掛け方(固定方法)はかっちゃでぶつかった際、相手山への対有効性と、自山への衝撃吸収(衝撃・損傷回避)のバランスを考えながら固定する必要がある。そのため各町それぞれ工夫し特徴のある掛け方を行うが、最重要部分として機密事項となっており、部外者は作業を見ることはできない。この装備により山車は、優雅な花山の上山、そしてケンカ(かっちゃ)のために装甲車のような下山(地山)と、アンバランスな感じも大きな特徴といえ、見どころの一つとなっている。この付長手はもともと角回しをスムーズに行うための補助として取り付けられていたもので、現在も狭い四つ角などでも豪快に山車を回しこちらも見どころの一つになっているが、かつて各町が次第にケンカ(かっちゃ)に有利になるように太く、長く丈夫なものにしていった。しかし、かっちゃでの各町間の不公平をなくすため、また角回しの際危険が生じるため、現在では長さ(4.7m)や位置(高さ)などの基準を設けている。なお、毎年山から切り出す樫の木は年々入手しにくくなっているため、伏木曳山保存会では将来の部材確保を願い、毎年伏木一宮神社内にある山林にて樫の苗木の植樹を行なっている。「伏木コミュニティセンター」に展示されている、十七軒町の花山車の復元修復が2015年(平成27年)7月から行われているため、石坂町の提灯山に続き湊町の曳山を展示することになり、2015年(平成27年)10月3日夜より港町曳山に付長手を取り付けたが、長い歴史の中で縄の掛け方が異なる6町が協力して取り付けを行ったのは初めてとなる。※下記の町名は、現在の行政区画町名とは必ずしも一致しない。※上町の山車背面上部の縦30cm、横140cmの彩色を施した彫刻は、王羲之が蘭亭に名士を招いて宴を開き蘭亭序を執筆したとされる故事を元とした蘭亭曲水図を題材にしており、全国の山車や神輿に同題材で彫られたものとして5基目であり、なおかつ最古の物とみられることが岐阜高専名誉教授水野耕嗣の調査でわかった。これまで富山市八尾地区で行なわれている越中八尾曳山祭の上新町曳山をはじめ、滋賀県や奈良県など4基でこの彫刻が確認されているだけで、その中でも滋賀県の神輿に彫られたものが1843年(天保13年)制作として最古といわれていたが、今回確認された上町の山車は1824年(文政7年)に制作されており最古の物といえる。現在の山車は2代目で、初代は1864年(元治元年)作。1880年(明治13年)の大火にて高欄(欄間)の一部を除きほぼ焼失した。2代目は2015年(平成27年)4月29日、135年ぶりに一部部材を他町より譲り受け本体部分を復元し提灯山として再建。2016年(平成28年)3月13日には花山車として完全復元され「高岡伏木コミュニティセンター(伏木会館)」にて通年展示している。※焼失を逃れた初代の高欄(欄間彫刻)の一部は、伏木小学校の学校博物館で保存されていたものである。※四神獣、獅子、鶴の彫物は港町より、車輪は上町より譲り受けたもので、その他中町、本町、寳路町より一部部材を譲り受けた。昔、北前船で栄えた伏木には隆盛を極めた廻船問屋が多くあり、祭礼には廻船問屋や料亭、遊郭にて酒宴を開き、曳山が通ると2階より小判を撒いていたといわれ、2002年(平成14年)より「廻船問屋十七軒町」として正午ごろ伏木駅前に曳山6基が集まり、紙製のレプリカ小判や紅白の餅などを曳山の上から撒いて往時の再現している。また廻船問屋が航海の安全を祈願し絵馬を伏木神社に奉納していたことから、14時ごろ伏木湊町の金毘羅神社にて絵馬の奉納を行なっている。「かっちゃ」は明治時代後半頃から行われたと推測され、元々は他町の山車が進路の邪魔をするのを、力ずくで山車をぶつけて壊してでも自分達の山車の進路を確保しようとぶつけ合いが行われていた。また1946年(昭和21年)から十数年間は昼間の花山車でも行われていた。しかし大変危険なため、現在では場所と時間を決め、本町広場と法輪寺前の2会場に十七軒町を除く6基が3基ずつに分かれ、19時30分頃と22時30分頃から行われている。なお本町広場には、2015年(平成27年)より有料観覧席(約440席)が設けられた。夜となり提灯山に灯がともり男達の興奮と熱気が最高潮に達しようとした頃、かっちゃが始まる。山鹿流陣太鼓の囃子が鳴る中両総代の合図により、40–50mほど距離を置いた各町の8t程もある山車に繋がれた縄を走りながら引き、付長手の先端同士、時には横に少しずらし付長手を支える木にぶつけあう。ドォーンという大きな音と共に地響きが起き、提灯が大きく揺れ、大歓声が湧き立つ。時に後輪さえも浮くさまは、勇壮かつ港町の男達の心意気が溢れ祭りは最高潮に達する。何度かぶつけ合うと、各町の責任者である「総代」同士が付長手の上に立ち、「あと何回」と話し合うが、その際に観客から「もっとやれ!」等とヤジが飛ぶのも風物詩の一つであり、お互いに納得し各曳山総代が握手を交わすまで多い時は10回以上続けられることもある。けんかやまといわれることや、総代同士が付長手の上で、まだまだやる、いや、やめておこうと話しているそぶりからも、『ケンカ』のイメージが強く、勝ち負けがあるように思われがちだが、現在は勝敗制度はない。現在では対戦方式は総当たり戦で、どの町内といつ対戦するかは組み合わせ抽選で決めている。しかし過去には、石坂町・湊町という比較的新しい町 対 その他の旧来の町、という対戦だった。かっちゃ会場2か所に対して、石坂町と湊町がわかれ、残りの旧町は、2基ずつにわかれ、各会場に出向き、石坂町もしくは湊町と対戦していた。当時は、石坂町と湊町は必ず二町内と対戦せねばならず、そのため他の町内より人もたくさん集め壊れにくくするために重くしているのではないかといわれていた。近年の人口減少と、他町内が重量を重くしたりする関係で不公平という見方から総当たり戦へと変更して行った。また、新旧ライバルという関係図が長く続いたため、過去にはゴールデンウィークあたりに実施される倉出し(いったん山車を倉から出す事前イベント)が終了すると、山倉(山車を格納しておく倉庫)に各町内の山車が戻らず、各町内の公民館前などに駐留させ、当日まで(大体10日程度)道路で山を作っていた過去がある。交通の妨げや、文化財盗難の危険が0とは言えないため1991年(平成3年)11月に山倉を移転、新築した際より基本的には山倉で当日まで作業をすることになったが、先述の比較的新しい町内に当たる石坂町と湊町はそれから数年間はそれでも自町内へ持ち帰っていたこともある。祭礼以外また町外で行われたかっちゃ2013年(平成25年)9月7日には、氏神である伏木神社鎮座1280年、遷宮200年、遷宮に合わせ始まったとされる曳山の発祥200年を迎え記念大祭が行なわれ、12時より梯子乗り奉納、伏木相撲甚句奉納、伏木相撲力士土俵入り、太鼓台行列、獅子舞、夕刻18時より母衣武者行列、御神輿渡御、曳山奉曳、曳山囃子奉納などの奉祝記念行事が境内、町中心部で執り行なわれた。高岡市は2013年(平成25年)5月30日に、県有地である伏木湊町の伏木港湾緑地に、現在の高岡市役所伏木支所と、伏木図書館を移転し入居する「伏木コミュニティセンター」を建設し、伏木の山車を展示する吹き抜けスペースを設けると発表した。また2002年(平成14年)に設立した「伏木曳山祭実行委員会」は、1880年(明治13年)の伏木の大火で焼失した、十七軒町の山車に供えられていたと伝わる、神座(御神体)の寿老人を2004年(平成16年)に、前立人形(繰り人形)の唐子を2008年(平成20年)に復元したが、山車本体については、2008年(平成20年)より再興委員会を設け本格的な準備を進め、2013年(平成25年)12月27日には、山車本体復元の着手と、完成後は「伏木コミュニティセンター」での展示を正式発表した。復元する山車は提灯山とし、旧材を活用するため、他の山町や町民に使用しなくなった山車の部材の提供を依頼し、上町より車輪、湊町より彫り物、伏木小学校にて保存されていた焼失を逃れた高欄(欄間)等の提供を受けた。他の部材は欅材を購入し制作に充てるとした。2015年(平成27年)3月下旬には、山車のシンボルといえる鉾留を、同じく法螺貝を鉾留として掲げる放生津(新湊)曳山の新町のものを参考に制作し復元。同年4月23日には山車の地山(高欄まで)が完成、4月29日には、鉾留や新たに制作した提灯を取り付け、135年振りに夜の山車である提灯山として再建、「伏木コミュニティセンター」に搬入され、5月3日に竣工し5月7日に開館した同センターにて展示を開始した。なお山倉を兼ねる展示室の、高さ9.9m、幅4.5mの扉外側には、十七軒町の文字と、御神体の寿老人と鉾留の法螺貝の絵が描かれている。その後同委員会は、2015年度中に花山車としての復元や、付長手の取り付けを予定し、2015年(平成27年)7月より復元修復に取り掛かり、2016年(平成28年)3月13日に花山車が完成、2016年(平成28年)4月6日には既存の6町内が協力し、「けんか山」のシンボルである長さ4.7mの付長手が縄によって取付けし、これにより十七軒町の山車復元がすべて終了し、4月8日より再び同センターでお披露目となり通年展示されている。なお、修復中は他町の曳山を交代で展示していた。また、2016年(平成28年)以降、この山車を曳く山町を新たに結成し、祭礼での巡行を検討していたが、2015年(平成27年)11月8日に「十七軒町曳山保存会」が結成され、2016年(平成28年)5月3日の試し曳き、祭礼前日の宵山ライトアップにも加わり、祭礼当日は「かっちゃ」には参加しないが、出発式、市街地での曳き回し、小判撒きなどの行事に参加し復活を祝った。

出典:wikipedia

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