柏原市(かしわらし)は、大阪府中河内地域に位置する市である。ぶどう栽培が盛ん。また古墳や遺跡も多く、市内にある横穴墓(高井田横穴群、玉手山横穴群の2箇所)は大阪府内では、現在柏原市でしか発見されていない。近隣にある奈良県橿原市(かしはらし)や奈良県御所市柏原(かしはら)と混同、また地名を兵庫県丹波市柏原町(かいばらちょう)、滋賀県米原市柏原(かしわばら)などと誤読されることが多い。2006年11月、構造改革特区(「生きる学力育成」小中一貫教育特区)に認定された。大阪都心部から約20キロメートルほどの距離に位置する大阪市のベッドタウン。市全体の2/3が山間部である。また、中央部には一級河川である大和川が流れている。市役所の近くで石川と合流する。市域北西部は比較的平坦である。市域北部には生駒山系から続く山がそびえている。大和川を挟んで南側は金剛山系に連なる山地となる。市域東部の亀の瀬(峠地区)近辺は軟弱地盤であり、大雨になれば大和路線(関西本線)の列車が運休になることや国道25号が通行止めになることがある。かつては近鉄大阪線の電車が、現在の大阪教育大前駅付近にあった急曲線・軟弱地盤上を徐行して走っていた。歴史は古く、3万年ほど前の後期旧石器時代にまでさかのぼるとされる。4世紀から7世紀頃に作られた遺跡や古墳は現在でも市内に数多く残っている。古代より大和川が大和から難波へと抜ける地点に位置している為、交通の要所としても栄えた。741年、聖武天皇が国状不安を鎮撫するために建立を命じた国分寺建立に、河内国分寺として現在の柏原市国分東条(こくぶひがんじょ)町にも作られたが、後に廃寺となる。戦国時代後期には織田、豊臣氏の支配下となり、徳川政権下の江戸時代になると、戦争時には大坂の前衛地となる事から、重要な拠点として天領となり、幕府の支配下に置かれた。大坂夏の陣の際には奈良街道から亀の瀬を経て、現在の国分あたりに進出してきた徳川方と後藤基次が先頭に立つ大坂方が道明寺一帯で交戦状態になり、その結果、基次は遭えなく小松山に散った。今日、市内には両軍関わらず、多くの供養碑が建てられている。平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.85%減の74,840人であり、増減率は府下43市町村中36位、72行政区域中61位。柏原市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。なお、住居表示実施年月日欄に※印があるものについては、その町域の一部に住居表示未実施の区域があることを示す。市長:中野 隆司(2013年3月11日就任 1期目)定数は17人。2016年6月10日時点での会派構成は以下の通り。大阪府議会(柏原市及び藤井寺市選挙区)かつて存在した商業施設かつては近畿大阪銀行の支店も市内に存在したが、りそな銀行傘下入り後の重複店舗整理の際、志紀支店(八尾市)や、道明寺支店(藤井寺市)へ統合された。(2012年12月現在)※柏原市内全域の郵便番号は「582-00xx」(柏原郵便局の集配担当)となっている。柏原市では2010年度より、市立中学校全6校と大阪府立柏原東高等学校との間で連携型中高一貫教育を開始する。また2007年度以降、市立堅上小学校・堅上中学校を小規模特認校としている。堅上小学校・中学校では小中一貫教育を実施し、また希望者は柏原市の他校区からの通学が可能となっている。
出典:wikipedia
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