アチェ独立運動は、インドネシアのスマトラ島北部・アチェ州で、同国からの分離・独立をもとめるアチェ人の運動である。スハルト政権期の1976年10月、ハッサン・ディ・ティロによって結成された自由アチェ運動(Gerakan Ache Merdeka, 略称:GAM)がその運動の中心的存在である。この政治運動の歴史は、インドネシアがオランダの植民地支配に組み込まれていく過程で生じたアチェ戦争にまで、その起源をさかのぼると考えられる。当時アチェを統治していたアチェ王国のスルタンはオランダに降伏したが、王国の主権を委譲する手続きは行われなかった。そのため、アチェ人からは日本軍政期・インドネシア独立戦争を経て、オランダ領東インドの主権がオランダからインドネシア連邦共和国(当時)に委譲された際に、アチェ王国の主権までインドネシアに委譲されたことは無効であると主張された。かつてオランダ領東インド時代、日本軍政時代を通して、外来の支配者との妥協によって旧権力を保持した伝統的支配者層(ウレーバランという領主層)に対して、イスラーム指導者を中心とするアチェ人勢力はインドネシア独立戦争期に社会革命を実行し、これら旧支配者層を放逐し、オランダとの武力闘争を継続した。こうしたアチェ人の抵抗運動は「インドネシア独立闘争の礎である」とスカルノに言わしめ、その貢献を認められて1949年、中央政府によってアチェ州設置が約束された。ところが、実際には中央政府はアチェを北スマトラ州に併合した。この決定に不満を持ったアチェ人勢力は、1953年に反乱を起こした。中央政府はこれを鎮圧する一方で妥協案を出した。アチェを特別州とし、慣習法・教育における大幅な自治権を認めたのである。2005年12月27日、インドネシアのアチェ州の独立派組織「自由アチェ運動」(GAM) は、インドネシア政府と8月に締結された平和合意に基づき軍事部門の解散を宣言した。これにより、1976年以来29年間続いた独立運動は事実上終結した。2013年3月2日、アチェ州議会は自由アチェ運動の旗を州旗に採用する案を議決した。インドネシア政府は採用を撤回するように求めたが、ザイニ・アブドゥラ州知事(元GAMメンバー)は要請を拒否。4月1日には採用を支持する住民によるデモ行進が行われた。
出典:wikipedia
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