我孫子駅(あびこえき)は、千葉県我孫子市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。常磐線と成田線(我孫子支線)の2路線が乗り入れており、このうち常磐線を所属線としている。常磐線に関しては快速線を走る中距離電車および常磐線快速電車と、緩行線を走る常磐線各駅停車が停車する。常磐線快速電車の一部は成田線我孫子支線との直通運転を行っている。当駅を現在の場所に誘致したのは、飯泉喜雄。我孫子に生まれた飯泉は、日本鉄道株式会社の鉄道計画を知り、「鉄道なくして町の繁栄はない」との思いから、私財を投じて用地を提供した。もともと所有していた土地を、町外れの原野であった現在の駅周辺の土地と交換し、用地を確保した。その後、その用地を日本鉄道に無償提供し、停車場の誘致を行ったため、我孫子駅の設置が当地に決定した。日本鉄道土浦線の開通と同時に開業した駅の1つである。島式ホーム3面6線、単式ホーム1面1線の計4面7線を持つ地上駅である。橋上駅舎を有している。エスカレーター・エレベーター・自動改札機・自動券売機・自動精算機・みどりの窓口(営業時間7:00 - 19:00)が設置されている直営駅である。エスカレーターは北口・南口・ホームとコンコースを連絡するものが整備されているが、エレベーターは北口・南口と改札外コンコースを連絡するもののみ設置されている。改札口の正面に高床式のトイレがあり、8番線に向かう通路に車椅子対応トイレがある。1 - 5番線(常磐快速線・成田線)6 - 8番線(常磐緩行線)2015年度の乗車人員は1日平均30,345人であった。JR東日本および千葉県統計年鑑によると、1日の平均乗車人員の推移は以下の通りである。駅南東方はかつての水戸街道我孫子宿であるが、全体的に交通の利便性から新興住宅が増えた地域であり、当駅も常磐線沿線の住宅地最寄駅の性格が強く、商業地としての賑わいはあまり感じられない。主要施設がある方面の出口である。ただし、我孫子市役所までは離れている。山階鳥類研究所や我孫子市鳥の博物館は、さらにその先である。南口から国道356号(旧水戸街道)に通じる県道195号はかつて停車場通りと言い、大正期から昭和初期には旅館が10軒ほどあったほか、東葛銀行、魚屋、穀屋、蕎麦屋、小間物屋などの商店が古くから建ち並び、町の中心部として栄えていた。1973年(昭和48年)より駅前土地区画整理事業が始まり、当初は橋上駅舎と直結する高層商業ビル構想が計画されたが、地権者の一部に同意を得られず、1984年(昭和59年)3月18日に計画を断念した。その後も区画整理を進め、1999年(平成11年)3月25日に現在の南口駅前広場が完成した。北口が整備されるまでバスやタクシーの乗降口は南口にしかなく、駅の北側に向かうバス路線も南口から発着していた。北口は常磐線の複々線化に伴う駅舎建て替え時に開設され、踏み切り閉鎖に対応するため1970年(昭和45年)12月13日から駅構内の自由通路として新駅舎より先行して使用を開始した。それ以前は駅付近にあった久寺家踏切、南飯塚踏切、第四浜街道踏切を利用して迂回していた。北口開設後も太陽神戸銀行(現在の三井住友銀行)のほかは店舗は数軒あるだけで寂しく狭い道路に面した駅前だった。区画整理による駅前が整備されるまでは自転車の利用者が多く、路上放置自転車700台によって車の走行が困難な状態だった。1973年(昭和48年)から始まった再開発計画が進展し、駅前広場の完成や駅前の雑居ビルが建設されたのは1997年(平成9年)以降で、国道6号へ接続する道路も整備された。駅からわずかに離れたところから北方向に新興住宅地が広がる。かつては駅から少し離れたところに日立精機の本社があったが、2004年に破産し、跡地には大型マンションが建設された。我孫子市内各地や柏市布施、沼南地区方面への路線バスなどが発着する。以前は、関東鉄道バスや東武バスが我孫子駅に乗り入れていたが、現在は阪東自動車と市民バス「あびバス」が発着している。あびバスは我孫子市からの委託を受けて阪東自動車が運行しているコミュニティバスである。南口発着の系統は複数あるものの運転日や時間帯・本数が限られているものが多く、基本的には手賀沼公園を経由し千葉県道8号船橋我孫子線を北上して国道356号に入り東我孫子方面に向かう系統と、国道356号(第一小学校)を経由し千葉県道8号船橋我孫子線を南下して沼南地区に向かう系統の2つに大別される。両系統は市役所付近の千葉県道8号船橋我孫子線で交差するように行き違うため、どちらを利用しても市役所に行くことが出来る。売店は大正期、野口駅売店が営業していたが、昭和になってからは弥生軒が営業するようになった。戦後しばらくの間、弥生軒は駅弁の製造販売を中心にしていたが、複線化と電化により都内への利用者が増えて立ち食い店の売上が伸びるようになり、昭和50年頃には駅弁よりも立ち食い店が主流となった。平成初め頃、立ち食い店の新商品としてげんこつ大の「唐揚げ」を始めたことから、から揚げそばに人気が出て看板商品となった。これを目当てにわざわざ当駅を訪れる者もいる程である。また、2000年代に入ってからは各種メディアで取り上げられることも多くなり、店内にその記事が掲出される場合もある。大盛(+60円)は「そば」のみ適用される。弥生軒は昭和16年から昭和21年までの一部の期間、画家の山下清(当時は身元もはっきりしない無名の青年)が住み込みで働いていたこともあり、そのことを示す緑色の吊り看板が1・2番線ホームの6号店にある。営業時間は基本的に7時 - 23時30分であるが、店舗や曜日により異なる。なお、弥生軒の店舗ではSuica電子マネーなどのICカードでの決済はできない。2013年7月上旬より、売店のみICカードによる電子マネーでの支払いが可能となったが、立ち食いそば・うどん店では現在もICカード不可となっている。明治・大正期から岩田屋弁当店と駅前料理店だった鴻巣が駅弁を販売していたが、昭和初期に鴻巣が廃業し太平洋戦争の開戦前ごろに岩田屋が廃業した。鴻巣を引き継ぐ形で、1928年4月から弥生軒が弁当販売として営業を開始した。駅弁の掛け紙として山下清に制作を依頼し、我孫子駅の風景、トンネルがある風景、県立手賀沼公園の3点が作成され、1960年から順次使用された。掛け紙には「僕が働いて居た所です。あじはいかがですか 山下清」と書いてあった。映画・ドラマで山下清が駅弁の立ち売りをする場面があるがこれはフィクションであり、1951年に出発した山形・新潟への旅の途中で本人は駅弁を売ることができないので洗い物やお使いや弁当を詰めたりする仕事をしていたと述べている複線電化に伴い停車時間が短くなったなどの要因で駅弁の販売量が減少したため、立ち食い店に主軸を切り替え1983年ごろに販売を終了した駅弁の掛け紙は山下の描き下ろしである。2009年(平成21年)1月、東京都新宿区の京王百貨店において行われた元祖・全国有名駅弁大会において、おべんとう(幕の内弁当)が復刻販売され、山下掛け紙が期間限定復活した(2009年時点で弥生軒は弁当製造をしていないため監修のみに携わり、実際の弁当製造はNREが行った)。かつては急行「もりおか」「ときわ」「奥久慈」が停車した駅であった。その後は特急「ひたち」「フレッシュひたち」も停車していたが、地元からの利用客が少ない状況から2005年(平成17年)7月9日のダイヤ改正で千葉県内は柏駅停車に統一され、特急の停車駅ではなくなった。その後も特急と同じ車両を使用した武蔵野線方面への臨時急行列車は当駅に停車していたが、現在は停車駅ではなくなった。2015年3月からは上野東京ラインの開業に伴い、当駅発着の臨時「踊り子」が伊豆急下田駅まで毎週末に運行され、久しぶりの特急停車駅となった。データイムに上下各6本運行している特別快速も当駅には停車しない。しかし、上りは北千住で、下りは松戸で快速と接続するため、乗り換えることにより日暮里・上野と当駅間の所要時間を短縮できる場合がある。なお、我孫子市では特別快速の当駅停車を求めている。ただ、仮に特別快速を当駅に停車させるとなると、北千住駅 - 当駅間は快速線の4駅に連続で停車することとなる。各駅停車の大部分の列車は当駅が始発・終着で、当駅より取手駅まで乗り入れるのは緩行線の複線線路があるにもかかわらず朝夕の一部列車のみである。当駅 - 天王台間には車両基地の松戸車両センター我孫子派出所があり、当駅側より入線可能な構造になっている。常磐線快速・各駅停車、成田線我孫子支線で運用される車両の一部がここに入庫する。松戸車両センター我孫子派出所の最寄り駅であることから出・入庫を兼ねた当駅始発・終着列車がある。水戸方面からの列車では土浦 - 取手間最終の普通列車は終着後当所へ入庫、翌朝出庫して当駅始発の高萩行となる。他に快速・各駅停車の取手までの回送があり、後者は客扱いを行う。また、成田線直通も含む快速は一部当駅で増・解結を行う場合がある(10両→15両への増結と15両→10両の切り離し)。なお、増・解結となるのは11 - 15号車(取手・成田寄りの5両)である。ただ、2008年現在のダイヤでは快速は15両編成での運転が多数、成田線は10両または5両編成となっており、増・解結の機会は減少した。東日本旅客鉄道 我孫子変電所は当駅北口の線路脇にあり、常磐線と成田線に電気を給電している。き電線は全部で11本あり、快速下り(柏方)、快速上り(柏方)、快速上り(取手方)、快速下り(取手方)、緩行下り(柏方)、緩行上り(柏方)、緩行上り(取手方)、緩行下り(取手方)、快速車庫線、緩行車庫線、成田線に分かれている。大阪府大阪市住吉区には、同名の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線の我孫子駅がある。ただし、案内上は「あびこ駅」と表記される。また、近隣には我孫子町駅など「我孫子」を含む名前の駅があり、いずれも当地の我孫子観音に由来する。当駅の駅名は、知らないと読めない難読駅と定義することもでき、『国鉄監修 交通公社の時刻表』では1965年10月号の紙面改善として国鉄全駅名の平仮名が併記されるまで、欄外に難読駅として平仮名が書かれていた。JRの入社試験に出たほどであるが、直通運転により東京メトロ千代田線の都心部の駅を含めて行先として当駅名が連呼される様になり、さらには小田急線への直通運転を行なっていることもあり、茨城県から東京周辺・神奈川県まで広域にわたりその読みは知られていて、あまり「難読駅」と認識されておらず、ローマ字併記を除きわざわざ読み仮名を付けるケースは少ない。駅構内のバリアフリー化事業として、2010年度末までに構内エレベーター、多機能トイレが整備される計画であった。我孫子市は2007年7月17日、バリアフリー化に合わせて駅舎の改修および駅舎内の自由通路整備についての協力をJR東日本に要請した。2007年8月、市では自由通路整備計画を公表し、市民の意見を募集した。計画案では改札の正面(トイレ部分)に改札と同じ幅のコンコースを柏寄りに増築し、各ホームに伸びる通路に階段およびエレベーターを設置する。また駅事務所および券売機を改札脇の有人窓口に隣接する形に移設し、自由通路を拡張する内容であった。2009年7月、市は自由通路幅などの見直しを行った修正案を示し、2回目のパブリックコメントを行った。2010年3月になってJR東日本の減収による慎重な対応と市の財政面を理由に延期することが発表された。2012年9月現在協議中で、設置時期は未定である。
出典:wikipedia
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