LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

紀勢本線

紀勢本線(きせいほんせん)は、三重県亀山市の亀山駅から津駅・尾鷲駅・新宮駅・紀伊田辺駅を経て和歌山県和歌山市の和歌山市駅に至る鉄道路線(幹線)である。亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付いている。紀伊半島を海沿いに走る路線。全通したのは日本の幹線級の路線としては比較的遅く、1959年のことである。新宮駅を境に、東側のJR東海が管轄する区間は非電化であり、西側のJR西日本が管轄する区間は直流電化されている。名古屋駅からは関西本線と伊勢鉄道伊勢線を、京都駅・新大阪駅からは東海道本線・大阪環状線・阪和線をそれぞれ経由して当路線へ特急列車が直通している。JR西日本管轄区間では、カーブを高速で通過可能な振り子式の車両が一部の特急列車で使用されている。JR西日本の管轄区間では、和歌山駅 - 海南駅間と南海電気鉄道が管理する和歌山市駅で、自動改札機が設置されている。IC乗車カードは、和歌山駅 - 海南駅が「ICOCA」の近畿圏エリアに、和歌山市駅が「ICOCA」と相互利用できる「PiTaPa」の利用エリアに含まれている。また、2016年12月に新宮駅 - 海南駅の特急停車駅にも拡大する予定である。2014年度から、新宮駅 - 和歌山駅間のきのくに線区間に、W の路線記号が導入されている。亀山駅 - 新宮駅(構内のぞく)間はJR東海の東海鉄道事業本部、新宮駅 - 和歌山市駅(構内のぞく)間はJR西日本の和歌山支社が管轄している。なお、紀和駅 - 和歌山市駅間のうち、分界点 - 和歌山市駅間1.0kmは南海の所有である。しかしこの区間は南海が第三種鉄道事業者ではなく、用地をJR西日本に貸与している。紀伊半島を半周する路線で、松阪駅 - 和歌山駅間では熊野や南紀といった沿岸部の都市を国道42号とともに結んでいる。紀伊長島駅 - 海南駅間では一部区間をのぞいて海沿いを走行し、多くの海水浴場がある一方で、多気駅 - 紀伊長島駅間など山間部を走行する区間もあり、山間部では野生動物と列車が衝突する事象も増えている。電化区間の新宮駅 - 和歌山駅間の最高速度は一部の130km/h運転区間をのぞいて全線110km/hとされているが、新宮駅 - 紀伊田辺駅間は単線で線形が悪く、一線スルー化が進んでいない影響から、振り子式車両である283系で95km/h、その他の車両で85km/hの速度制限を事実上強いられている。鈴鹿川の北側にある亀山駅を発車すると、右にカーブして鈴鹿川を渡り、丘陵地の中をトンネルで抜けていくつものカーブを抜けて南東方向に進む。築堤を上がると下庄駅であるが、なお山間部の中を進み、しばらくして田園地帯に入り、国道23号(中勢バイパス)をくぐると一身田駅で、左手に真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)が見える。左手から伊勢鉄道伊勢線が合流してくると、近鉄名古屋線をくぐって津駅に到着する。三重県の県庁所在地で近鉄名古屋線と伊勢鉄道伊勢線も乗り入れている。津駅を出ると、三重県庁が建ち並ぶ丘陵を右に眺めながら、近鉄名古屋線と並走して南下する。 安濃川を渡り、津市の副都心として発展している近鉄津新町駅の東側を通過し、岩田川を渡ると近鉄名古屋線と分かれて市街地を進むと阿漕駅で、国道23号(伊勢街道)とともに南下を始める。 高茶屋駅の先で田園風景が広がってくるようになり、雲出川を渡ると津市から松阪市に入る。六軒駅を過ぎ、三渡川を渡って近鉄山田線と交差し紀勢本線は近鉄山田線の西側を走行する。右手から名松線が合流すると、松阪駅に到着する。松阪駅を出ると近鉄山田線はやや東向きに分かれていく。かつて伊勢電気鉄道(のちの関急伊勢線)との乗換駅であった徳和駅を過ぎて丘陵地帯を通過し、櫛田川を渡ってまもなく多気駅に到着する。建設の経緯から、参宮線は多気駅を出ると直進するのに対し、紀勢本線は右にカーブをして進路を西に変えて、かつて紀勢東線と呼ばれていた区間に入る。国道42号(松阪バイパス)を過ぎると相可駅を通過し、多気町役場の西側を走行すると紀伊山地に入り、川添駅まで茶畑が目立つようになる。この先、国道42号とともに和歌山市を目指す。特急停車駅ながら無人化された三瀬谷駅を出ると、宮川に架かるアンダートラス橋を渡り、滝原駅 - 阿曽駅間では大滝峡と呼ばれる渓谷を通過する。梅ケ谷駅を過ぎると伊勢国と紀伊国の境にある荷坂峠を荷坂トンネルで抜け、Ω状のカーブを13ものトンネルで抜けると紀勢本線では初めて熊野灘が見える海沿いに出て、再びトンネルをくぐると紀伊長島駅に到着する。紀伊長島駅を出ると赤羽川橋梁を渡る。三野瀬駅を出て小さな峠を越えると、田園地帯を走行し、船津駅を通過して、相賀駅を過ぎ、銚子川を渡る高架橋のままトンネルに入って銚子川沿いの谷を走行し、馬越峠を尾鷲トンネルで抜けると尾鷲駅に到着する。国道は山間部を通過するのに対して、紀勢本線は海沿いを走行し、中部電力の尾鷲三田火力発電所を左手に眺めながら小さなトンネルを抜けて大曽根浦駅を通過する。この先は、長大トンネルが多く、熊野市駅まで各トンネルの間に駅が所在するようになる。九鬼駅・三木里駅と続いて、紀勢東線と呼ばれた区間が終了する。この区間は住民・政治家から国鉄に対して陳情が行われ、九鬼駅経由で建設されることになった。三木里駅 - 新鹿駅間は紀勢本線で最後に建設された区間であり、建設当初の計画では賀田駅 - 新鹿駅間を1本のトンネルによって結ぶ予定であったが、住民から国鉄に対して陳情が行われ、二木島駅経由で建設されることになった。熊野市駅近くにある鬼ヶ城と呼ばれる景勝地が志摩半島から続いたリアス式海岸の最南端にあり、熊野市駅からは平野部が続き鵜殿駅までは約22kmの海岸線が続く七里御浜沿いに進む。この七里御浜では毎年8月に熊野大花火大会が行われ、臨時列車が多数運転されている。鵜殿駅を過ぎると、右にカーブをして一度山側へ迂回して三重県と和歌山県の県境である熊野川を渡り、新宮城跡の下に設けられた丹鶴トンネルをくぐると新宮市の市街地を進み、ほどなくして新宮駅に到着する。なお、熊野川橋梁中央部から丹鶴トンネル入り口までのわずかな区間が、JR東海唯一の和歌山県区間である。JR西日本が管轄する区間の大半は沿岸部を走行している。近い将来に発生が想定されている東海地震・東南海地震・南海地震による津波対策として新宮駅 - 和歌山駅間では避難誘導標が沿線に設置されている。沿線の架線柱には、津波浸水区間・避難する方向・避難場所と避難場所までの距離などが記された看板や海岸線沿いで海抜が低い串本駅 - 紀伊勝浦駅間においては、津波避難用の全長5m程度のコンクリート製避難誘導降車台が設置されている。紀勢本線の要衝の駅である新宮駅は、かつて新宮運転区が設けられていたこともあり、構内は広大な留置線が設けられている。新宮駅を発車した列車は、南東に進んだのちに、王子ヶ浜の海岸線を南下する。那智駅は那智津浦海浜公園の前にあり、海水浴場もあるため、特急列車が停車していたこともあった。熊野那智大社は那智駅から山奥に入った場所に位置している。2011年の台風12号による大雨の影響で、橋脚が流された那智川を渡り紀伊勝浦駅に至る。紀伊勝浦駅のすぐ近くには、マグロの水揚げ量が日本一を誇る勝浦漁港と、南紀勝浦温泉がある。古くからの温泉地である湯川駅を過ぎ、日本の捕鯨発祥の地にある太地町の太地駅を通過し、駅前に県内最古の前方後円墳のある下里駅の先では、万葉集でも詠まれた玉の浦を望みながら紀伊浦神駅を過ぎ、左手には近畿大学水産研究所の浦神研究所が見え、山間部に入る。紀伊田原駅付近から再び海沿いを走行し、平成の名水百選にも選ばれ、カヌーでの川下りが盛んな古座川を渡って古座駅である。対岸に紀伊大島が見え始め、紀伊姫駅を過ぎると岩が立ち並ぶ橋杭岩が見え、本州最南端の駅である串本駅に到着する。この駅を境にして、多気駅から南西方向に向かってきた紀勢本線は右にカーブをして和歌山市を目指すために北進を始める。山間にある紀伊有田駅・田並駅と過ぎると、やがて枯木灘が広がる海岸が田子駅・和深駅と続いた先の周参見駅付近まで広がる。江住駅 - 和深駅間ではシカとの接触事故が多く、沿線のアドベンチャーワールドで飼われているライオンの糞を忌避剤として線路沿いに撒いたところ接触事故がなくなったが、一時的な効果に終わっている。この先の見老津駅 - 周参見駅間では紀勢本線唯一の信号場である双子山信号場が設けられている。周参見駅からは山間を走行し、富田川を渡って紀伊富田駅を過ぎると、次第に左手にはアドベンチャーワールドの観覧車が見え始め、右手に引き上げ線が現れ始めると、白浜駅に到着する。同駅は白良浜や南紀白浜温泉などの観光地を抱える白浜町の中心駅として位置づけられており、特に夏場には多くの観光客が訪れる関西のリゾート地となっている。新大阪方面からの特急列車のうち、約半分がこの白浜駅で折り返している。紀伊田辺駅は和歌山県中南部の経済の中心となっている田辺市の中心駅で、かつて紀伊田辺機関区があったため、駅構内には多くの留置線があり、この駅を境に普通列車の運転系統が分かれている。また、紀州路から中辺路と大辺路が分岐しており、陸上交通においても鉄道においても交通の要衝でもあった。紀伊田辺駅からは複線になり、田辺市の市街地を抜け、芳養駅を過ぎると第三芳養トンネルを通過し、日本一の梅の産地を抱えるみなべ町に入り、南部駅に至る。千里梅林の下にあるトンネルをすぎると、千里の浜と呼ばれる海岸沿いを走行する。古くからの景勝地で、『枕草子』などでその名がみられるほか、日本有数のアカウミガメの産卵地として知られている。岩代駅 - 切目駅間の一部区間では太平洋の絶景を眺めることができ、一部の列車が速度を落として運転するなどビューポイントとなっている。切目駅からは内陸を走行し、印南駅のすぐ北側には印南町のシンボルである「かえる橋」を見ることができる。御坊駅では紀州鉄道が分岐している。御坊駅は御坊市の郊外に位置しており、中心駅は紀州鉄道の紀伊御坊駅である。御坊駅から再び北上し、紀伊内原駅・紀伊由良駅と続く。紀伊由良駅は、蒸気機関車に使用される石炭を配炭する拠点が海岸部にある由良港に設けられ、その配炭所を結ぶ目的で貨物線が分岐していた。このあたりからミカン畑が目立つようになり、広川ビーチ駅を通過し、醤油発祥の地として知られている湯浅駅へと至る。かつて有田鉄道が分岐し、特急の停車駅にもなった藤並駅を過ぎると、西進しながらJR西日本管内の在来線では最長の有田川橋梁 (912m) を渡って、有田みかんの生産地である有田市に入り、有田川の右岸を走行する。有田市の代表駅である箕島駅を過ぎて半島の先端を回って石油タンクが立ち並ぶ初島駅に至り、再び東に進路を変えて下津駅と続く。加茂郷駅を過ぎトンネルを抜けると再び海岸線を走行するようになり、左手には紀伊水道が見える。この先の冷水浦駅まで、紀勢本線では海が見える最後の区間で、対岸にはポルトヨーロッパや工業地帯が見える。阪和道の海南インターチェンジの高架橋をくぐると、左にカーブをしながらやがて高架橋を走行して海南駅を通過し、その後も高架橋を走行するも徐々に高度を落として紀勢本線最後で180か所目のトンネルを通過する。トンネルを抜けると黒江駅で、和歌山市に入って名草山の南西側を迂回するために左へカーブしてしばらく直進で進んだのち、再び右へカーブして紀三井寺駅を通過し、徐々に和歌山市の市街地を進むようになる。宮前駅を過ぎると左手には和歌山ビッグホエールと呼ばれる多目的施設が見えるが、かつてここには和歌山操駅があった。やがて右手から和歌山電鐵貴志川線が寄り添ってくると、和歌山駅に到着する。和歌山駅では、和歌山市行きの列車は8番のりばから発車する。阪和線と並走し、高架橋をくぐる付近までわずかであるが和歌山線と線路を共用し、和歌山線の線路が右に分かれる。先に阪和線が左に分かれ、その後和歌山線が右に分かれていくと、しだいに左にカーブをして阪和線をくぐって高架橋を上り始め、直線部にある紀和駅に至る。紀和駅は1968年まで和歌山駅と称し、和歌山駅は同年まで東和歌山駅と称していた。2008年に紀和駅付近が連続立体交差事業により高架化された。紀和駅を発車すると、左にカーブをしながら高架を下り、次第に南海本線が右手から合流し始める。南海電鉄分界点を通過し、和歌山市駅に到着する。紀勢本線から南海線への渡り線が設けられているが、この渡り線のみ非電化であり、紀勢本線の旅客列車が南海線のホームを発着することはない。この渡り線を介してかつて南海本線から南紀方面への直通列車が運転されていたが、現在は甲種車両輸送のときのみ利用されている。起点は亀山駅で、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅方面へ向かう方向が全線を通して下りであり、JR東海が管轄する亀山駅 - 新宮駅間では列車番号や特急列車の号数は新宮駅へ向かう方向が下り列車に付けられる奇数である。一方、JR西日本が管轄する区間のうち新宮駅から和歌山駅までの区間では、和歌山駅へ向かう下り列車が本来上り列車に付ける偶数、逆方向の上り列車が本来下り列車に付ける奇数となっている。これは、1989年7月の東海道本線への乗り入れ開始時に、同線に合わせて変更したためである。名古屋駅からは伊勢鉄道経由で紀伊勝浦駅まで特急「(ワイドビュー)南紀」が1日4往復運転されていて、多客期には運転本数が増発される。京都駅、新大阪駅から白浜駅、新宮駅までは特急「くろしお」が運転されている。1978年10月2日のダイヤ改正前までは、キハ81・82系気動車を使った特急「くろしお」やキハ28・58系気動車を使った急行「紀州」、1984年2月1日のダイヤ改正まで旧型客車(スハ43系など)を使った夜行客車普通列車「はやたま」(新宮駅以西ではB寝台車も連結していた)などが名古屋駅 - 和歌山駅 - 天王寺駅間で運行されていたが、同改正以降は亀山駅 - 和歌山駅間を通して走る列車はない。また、東京駅 - 紀伊勝浦駅間には亀山駅経由で寝台特急「紀伊」が1984年1月31日まで運行されていた。天王寺駅(一部は南海本線難波駅)および紀伊田辺駅から白浜駅・椿駅・周参見駅・新宮駅・熊野市駅まではキハ28・58系(難波駅乗り入れ列車はキハ55系相当の南海5501・5551形)気動車を使った急行「きのくに」が運行され、新宮駅以西の電化後も1985年3月14日のダイヤ改正で運行終了する(485系電車投入および特急「くろしお」への格上げのため)まで気動車で運行されていた。1959年の紀勢本線全線開通前の1933年から1937年には関西から白浜への温泉観光列車「黒潮号」が運転されていた。運行系統は、JR東海の亀山駅 - 新宮駅間とJR西日本の新宮駅 - 紀伊田辺駅間・紀伊田辺駅 - 御坊駅間・御坊駅 - 和歌山駅間・和歌山駅 - 和歌山市駅間の5区間に分かれている。津駅 - 多気駅間は名古屋方面への直通列車である快速「みえ」が通り、ほとんどの列車が参宮線と直通運転している。亀山駅 - 新宮駅間の全線を通して運転される列車もあるが、大半の列車が多気駅で系統分割されており、亀山駅発着列車のほとんどが多気駅から参宮線に入る。ワンマン運転を行う列車が多い。多気駅 - 新宮駅間の普通列車は時間調整や特急の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車するものが多い。運行距離の関係上、この区間の普通列車には必ずトイレ付きの車両が運用されている。運転本数は亀山駅 - 多気駅間は日中で1時間あたり1本程度あるが、多気駅 - 新宮駅間は1日10往復程度と少なく、3時間以上列車の間隔が開く時間帯もある。津駅 - 松阪駅間は特定運賃を採用していないが、競合する近鉄名古屋線・山田線に比べて運賃が安い。しかし運転本数は近鉄より少ない。1 - 2時間に1本の間隔で運行されている。1日あたり9 - 10本の運転が基本で、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は通勤・通学需要のため上り12本、下り11本と若干多く、串本駅 - 周参見駅間は1日8往復とこの区間内では最も運転本数が少ない。かつては急行用の165系電車が主力車両であったが、現在は通勤用の105系電車でワンマン運転される列車が大半を占める。105系電車以外で普通列車に使用される車両は、朝に周参見発和歌山行きの223系電車4両編成が1本あるのみである。この列車はワンマン運転ではなく、この区間の列車で唯一車掌が乗務する普通列車でもある。165系電車が使用されていた時代には和歌山駅 - 新宮駅を直通運転する普通列車が設定されていた。この区間の標準的な所要時間は3時間弱であるが、朝下りと夜上りの各1本は2時間20分台で走っており、この区間を走る最も遅い特急列車との所要時間差は20分程度である。紀伊田辺駅 - 御坊駅間は1時間に1本程度で、当区間専用の113系電車2両編成によるワンマン運転を行っている。ただし、朝と夜には天王寺・日根野・和歌山方面からの直通列車が、117系・223系・225系電車の4両編成で運転され、この場合は車掌乗務の列車となる。すべての列車が御坊駅で和歌山方面への列車と接続する。御坊駅 - 和歌山駅間は1時間に1 - 2本が運行されている。朝と夜の一部時間帯をのぞいて1時間あたり2本が運行されており、紀勢本線の中で最も運転本数の多い区間である。一部は湯浅駅 - 和歌山駅間の区間系統で運行されている。主に117系(朝晩のみ)・223系・225系電車で運行されており、原則として和歌山駅で紀州路快速を含む阪和線の快速列車との接続が考慮されている。また、阪和線との直通列車も朝晩に設定されており、223系や225系電車で運行されている。この区間は特に和歌山側の利用客が比較的多いこともあり、後述する日根野駅始発・終着の直通列車をのぞきすべて4両編成で運転されている。1992年3月13日までは阪和線からの直通列車を中心に113系の6両編成で運転される列車も存在していた。朝に紀伊田辺発和歌山行き2本、平日の夕方に紀伊田辺行き1本の快速列車も運転されている。紀勢本線の電化後、阪和線の電車(快速の一部および日根野駅発着の各駅停車の一部。紀勢本線内は各駅停車)の乗り入れが開始された。2000年3月10日までは、日中においても天王寺駅 - 御坊駅・紀伊田辺駅間直通運転の快速(紀勢本線内は各駅停車)が設定されており、これらの列車が紀勢本線内の日中の普通運用も兼ねていた。しかしその後、列車の運転区間の短縮や、阪和線直通の快速列車の削減が相次ぎ、日中の直通運転も廃止された。2016年現在は紀伊田辺駅までの間で朝夜時間帯のみ直通運転が実施されている。後述する「太公望列車」を含む新大阪始発の2本をのぞき、全列車が天王寺駅発着であったが、2008年3月15日のダイヤ改正より、御坊駅始発の下り始発列車が大阪環状線大阪方面へ直通運転を開始した(大阪環状線を一周して天王寺駅まで運転・JR時刻表では京橋行きで案内)。この列車に関しては2011年3月12日のダイヤ改正で、平日は天王寺行きと再度変更され、平日の大阪駅直通列車はなくなったが、土休日では同列車を含め3本が大阪駅経由京橋行きとして運行されている。紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の上りの始発列車と下りの最終列車は阪和線の日根野駅発着で運転されており、阪和線内の日根野駅 - 和歌山駅間も各駅に停車し、113系電車2両編成が運用されている。2002年11月以降御坊駅 - 紀伊田辺駅間の日中の普通列車は他区間から系統分離され両駅間折り返しによるワンマン運転に移行した。日中は1時間あたり1本運転されている。2010年3月7日までの土曜・休日は2本で運行されていた。この区間では105系電車によるワンマン運転を行っているが、途中駅である紀和駅を含めて全駅ですべてのドアが開閉する。運転士による集札は行われないが、時間帯によってはジェイアール西日本メンテックの契約社員による車内改札が行われることがある。この区間では1985年3月13日まで「きのくに」などの南海電気鉄道(南海)難波駅からの直通列車や、新宮方面や和歌山線との直通列車、さらに昔には急行「大和」に併結される東京駅直通の寝台車が運行されていたこともある。また、この路線を使って南海の新造車両の甲種輸送が行なわれており、かつては泉北高速鉄道の甲種輸送にも使われていた。和歌山市駅構内の南海本線との渡り線のみ非電化のままである。和歌山電鐵貴志川線内の架線電圧昇圧を待って、当区間を経由して同線・南海加太線と直通列車を運行する構想がある。2000年9月30日まで天王寺駅と新宮駅を結ぶ夜行普通列車が運行されていた。起源は1959年の紀勢本線の全通により設定された名古屋駅 - 天王寺駅間通しで運行される夜行普通列車であり、1972年までは南海電気鉄道も専用客車サハ4801形を保有し、和歌山駅で天王寺発着の列車に連結していた。なお、1990年から種別が快速列車となり、始発駅も新大阪駅に変更された。1984年1月31日まで寝台車を連結しており、1974年の指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、「南紀」(のちに「はやたま」)の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝釣りをする人達によく利用されていたことから太公望列車とも呼ばれていた。これの増発として臨時快速列車も設定されており、これには指定席が設定されていた兼ね合いで「いそつり」(のちに「きのくに」)の愛称が与えられていた。1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きとなり、紀伊田辺駅から新宮駅までは臨時列車として延長運転されていたが、2000年9月30日をもって延長運転は廃止された。この列車は、紀勢本線内は和歌山駅 → 御坊駅間の各駅に停車、御坊駅からは快速運転を行い、印南駅・南部駅に停車していた。御坊駅 - 紀伊田辺駅間で唯一快速運転を行っていたが、2010年3月13日に行き先が紀伊田辺行きから御坊行きとなり運転区間が短縮されたため、御坊駅以南で快速運転を行う列車は消滅した。JR東海では、2010年秋から毎年、春・夏・秋に臨時快速「熊野古道伊勢路号」が多気駅 - 熊野市駅間で運転されているほか、毎年8月17日に行われる熊野大花火大会の開催日と翌日の未明に、津駅・伊勢市駅 - 熊野市駅間に臨時急行「熊野市花火」が運転されている。JR西日本では、大型時刻表には掲載されないが、和歌山港まつりや紀文まつりなど、夏の花火大会にあわせて臨時普通列車を運行することがある。過去には、ジョイフルトレインを活用し、1999年4月29日から9月19日にかけて行われた南紀熊野体験博にあわせて「きのくにシーサイド」が運転されていたほか、ホリデー号やレジャー号、「ぶらり海南号」「紀三井寺桜まいり号」「熊野古道ハイキング号」「紀州歴史物語号」などの臨時列車が運転されていた。貨物列車は、2016年4月1日の貨物営業廃止までは、ダイヘン多気工場から変圧器を輸送するため、多気駅からの特大貨物列車が臨時で運転されていた。2013年3月15日までは稲沢駅 - 四日市駅 - 鵜殿駅間の高速貨物列車が津駅 - 鵜殿駅間で1日1往復運行されていた。牽引機はDD51形ディーゼル機関車、牽引されていた貨車はコキ100系コンテナ車である。コンテナ車は7両編成で運行され、鵜殿駅にコンテナ積降設備がないため基本的に5tコンテナを5個すべて積載していた。荷主は、鵜殿駅に専用線が接続する北越紀州製紙である。2008年3月15日のダイヤ改正から伊勢鉄道伊勢線経由となっていたが、それより前は稲沢駅 - 四日市駅 - 亀山駅 - 新宮駅 - 鵜殿駅間の経路で運行されていた。1987年(昭和62年)の日本貨物鉄道(JR貨物)発足時点では、貨物列車は稲沢駅 - 亀山駅 - 紀伊佐野駅間で運行されていた。列車の編成は、DD51形ディーゼル機関車2両(重連運転)とワム80000形有蓋車20両前後(6両は紀伊佐野行き、残りは鵜殿行き)、タキ5450形タンク車数両で、最後尾にはヨ8000形車掌車が1両連結されていた。1994年9月にワム80000形による輸送が廃止され、これに代わりコンテナ車による輸送が開始された。コンテナ車は鵜殿行き7両、紀伊佐野行き2両が連結されたが、1995年に荷主である巴川製紙所の工場閉鎖に伴い紀伊佐野行きの連結は廃止された。2000年8月には車掌車の連結、2002年(平成14年)3月のダイヤ改正ではタンク車の連結が廃止され、列車の編成はDD51形2両とコンテナ車7両となったが、2008年4月1日からDD51形の重連運転は廃止され、単機による牽引に替わった。なお、ダイヤ改正日の3月15日から完全に単機運転に切り替わるまでの間は、コンテナ車6両とDD51形2両の重連で運転されていた。この路線は何度か台風により長期不通などの被害がもたらされている。2011年9月3日に日本に上陸した台風12号は紀伊半島を中心に大雨をもたらし、河川氾濫や土砂崩れが発生するなど大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。この被害で熊野市駅 - 白浜駅間の約120kmが一時不通になり、バス代行輸送が紀伊田辺駅 - 新宮駅間で9月6日から、熊野市駅 - 新宮駅間で9月7日から行われた。不通区間のうち、串本駅 - 白浜駅間は同年9月17日、紀伊勝浦駅 - 串本駅間は同年9月26日に運転を再開した。熊野市駅 - 新宮駅間については、井戸川橋梁と新宮駅構内の信号設備の復旧にあわせ、2011年10月11日から運転を再開した。新宮駅 - 紀伊勝浦駅間については和歌山県が河川改修を検討し、復旧工事をする場合はその川幅にあわせて工事をしなければならないためJR西日本は年内の復旧は難しいとしていたが、和歌山県は橋梁部の河川の拡幅をしないことを決定し、これを受けてJR西日本は残った鉄橋で復旧を進めることになった。2011年9月26日から復旧工事が始まり、同年12月3日に運転を再開した。一部区間の運転再開後も、白浜駅に留置されていた283系6両1本の床下機器が冠水して故障し、また、那智川橋梁が流失したため新宮駅に381系(スーパーくろしお編成)6両編成2本、283系6両1本が取り残されて車両が不足していることから、283系は11月12日から13日にかけて、381系は同月13日から14日にかけてと、同月19日から20日にかけて、名古屋駅経由で京都総合運転所まで甲種輸送された。鵜殿駅 - 新宮駅間はすでにJR貨物の第2種鉄道事業が廃止されているが、JR東海の協力により搬出が実現した。このほか新宮駅では、105系5本とキハ85系4両編成2本と、キヤ95系3両編成1本が取り残された。紀伊田辺駅 - 紀伊勝浦駅間で普通列車に必要な車両が不足していることから、113系の4両編成や2両編成の2000番台などを急遽ツーマンで運転した。2015年7月17日に日本に上陸した台風11号は四国全域・紀伊半島を中心に大雨をもたらし、熊野川の氾濫や土砂崩れが発生するなど再び大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。被害状況の確認と復旧作業を行い、御坊駅 - 箕島駅間以外は7月18日までに運転を再開したが、御坊駅 - 箕島駅間は列車の運休が続き、バスによる代行輸送が実施された。この影響により、京都駅・新大阪駅 - 白浜駅・新宮駅を結ぶ特急「くろしお」は、すべて運転を休止を余儀なくされる。代替処置として、20日から新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅間に臨時列車扱いの特急「くろしお」を運行した。一方、普通列車は、和歌山方面からの列車は箕島駅で、紀伊田辺方面からの列車は御坊駅での折り返し運転をそれぞれ実施した。当初、復旧時期については、未定とされていたが、夏休みの行楽シーズンに入ったこと、朝夕の時間帯は、バス代行だと田辺市・御坊市から海南市内や和歌山市内への通勤・通学に対応し切れないなど、早期の運転再開の声が望まれる中、JR西日本和歌山支社は記者会見にて復旧作業の進捗状況を見た上で運転再開時期を2015年7月末頃を目途とした。その後、予定より早く作業が進んだことから2015年7月25日に踏切・信号機器の作動状態確認の試運転列車を走らせ、同日限りで御坊駅 - 箕島駅間のバス代行を終了し、翌26日の始発より全線での運転を再開し通常ダイヤに戻された。その後、日本列島に接近した台風16号の高波により、再度、新宮駅 - 三輪崎駅間で路盤流出が発生し、8月22日から9月1日まで紀伊勝浦駅 - 新宮駅間で運行を見合わせ、バスによるピストン輸送を行った。全列車、気動車で運転されている。紀勢本線・参宮線で使用される車両(キハ85系・キハ75形・キハ25形を除く)は伊勢市駅構内の伊勢車両区に配置されていたが、同区は2016年3月限りで廃止され、名古屋車両区に統合された。全列車が、吹田総合車両所の日根野支所に配置されている電車で運転されている。運行形態の「貨物列車」の節を参照。なおディーゼル機関車DD51形はかつて旅客列車の牽引にも用いられた。普通列車用にJR西日本で約40両の電車の投入が予定されている。新宮駅 - 紀伊田辺駅間では、長い間165系が使用されていたが、165系の老朽化のため1998年3月のダイヤ改正から105系が投入された。しかし運用を始めた105系はトイレのない4扉ロングシート車で、このような車両を観光地であり駅間距離の長い当区間で運行することは沿線の自治体や地元から大きな問題として取り上げられ、和歌山県や沿線の自治体で構成されている紀勢本線活性化促進協議会がJR西日本に対して要望を行った。この要望を受けてJR西日本は、「マリンライナー」で使用されていた213系の転用により捻出された岡山地区の3扉ロングシートの105系を、トイレ設置を含めたリニューアル工事を施工することにより紀勢本線に転用を行い、2004年10月25日から運用を開始し、2004年度内に5編成すべてにトイレが設置された。トイレの設置にあたっては、5編成分の改造費など6,500万円のうち、和歌山県と紀勢本線活性化促進協議会が1,000万円ずつ負担している。前述のとおり亀山駅 - 和歌山市駅間が全通したのは幹線路線としては最も遅い部類に入る1959年であり、それまでは亀山駅 - 多気駅間が参宮線、和歌山駅(初代:現在の紀和駅) - 和歌山市駅間が和歌山線のそれぞれ一部、残る多気駅 - 和歌山駅(初代)間が紀勢東線・中線・西線の3線に分かれて存在していた。亀山駅 - 多気駅間は、最も早く開業した区間である。関西鉄道が津支線として1891年に亀山駅 - 津駅間を開業させ、これを延伸する形で参宮鉄道が1893年に津駅 - 相可口駅(現在の多気駅) - 宮川駅間を開業させた。両社は1907年に国有化され亀山駅 - 多気駅間は参宮線の一部となった。多気駅 - 三木里駅間は紀勢東線として開業した。尾鷲駅までは戦前の1934年に開業したが、三木里駅まで開業したのは戦後の1958年である。新宮駅 - 串本駅間は紀勢中線として開業した。うち、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は地元産木材を大型船で台湾方面へ輸送するため、新宮から大型船が入港可能な勝浦に運ぶ目的で新宮鉄道(初代社長は津田長四郎)が1912年から1913年にかけて開業させたものを1934年に国有化したものである。新鹿駅 - 新宮駅間、串本駅 - 和歌山駅 - 紀和駅間は紀勢西線として開業した。1940年に串本駅 - 江住駅間と紀伊木本駅(現在の熊野市駅) - 新宮駅間が開業し、紀勢中線を編入して紀伊木本駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢西線となった。戦後の1956年には新鹿駅 - 紀伊木本駅間が開業した。1959年に三木里駅 - 新鹿駅間が開業し、紀勢本線が全通した。この時、参宮線の亀山駅 - 多気駅間を編入し、亀山駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢本線となった。1972年には和歌山線の紀和駅 - 和歌山市駅間が編入され現在の区間となった。以下の年表にて南海連絡点・紀和連絡点・国社分界点・両社分界点・南海電鉄分界点は同一地点を指す(新宮駅起点383.2km、和歌山市駅から1.0km)。下記をのぞく32駅は無人駅である。下記をのぞく31駅は無人駅である。( )内の数字は起点からの営業キロ。廃止区間の駅をのぞく。( )内の数字は亀山駅起点の営業キロ。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。