第12回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Grand Prix Eurovision de la chanson Europeenne 1967)は1967年4月8日(土曜日)にオーストリア・ウィーンのホーフブルク宮殿で行われた。製作はORF オーストリア放送協会。プレゼンターのエリカヴァールは、ドイツ語の他、フランス語、英語、イタリア語、スペイン語、ロシア語で挨拶をした。曲のタイトルに字幕が初めて導入された。字幕は、ドイツ語の他、英語、フランス語が表示された。音楽監督ヨハネス・フェーリングはオーストリアの指揮のみ。フランスは、フランク・プゥルセルが9年目、スペインは、が務めた。幕間には、ウィーン少年合唱団が、ヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」とオーストリアの国歌「山岳の国、大河の国」を披露した。放送時間:1時間48分。17ヶ国のネットワーク。 デンマークが撤退した。理由は、DR デンマーク放送協会の予算は少なく、ユーロビジョンの参加は負担が大きすぎる。それより、もっと多くの番組に使いたいから、ということだった。デンマークが次に大会に復帰したのは、12年後の1978年のことだった。1957年の投票方式に戻ることになった。各国の審査員は各10名。自国内で中継放送を鑑賞の上、1人1票ずつ投票。その投票数をそのまま会場に電話連絡する、というシンプルな形だ。新たに追加した規則は、審査員の半数は30歳未満でなければならない、という項目。これは、視聴者の若返りを図る目的のため。しかし、それでも不手際が発生し、EBU欧州放送連合の監査委員クリフォード·ブラウンがモナコ、ユーゴスラビア、イタリアとアイルランドの集計票に介入して修正を加えなければならなかった。極めつけは、プレゼンターのエリカがRTÉ アイルランド放送へ電話する前に、「優勝はイギリスです」と発表してしまったこと。即座にブラウン氏が指摘すると、エリカはRTÉに電話をして謝罪することになった。RTÉスポ^クスマンが「私達は見捨てられたと思いました」と答え、観客からどっと拍手が沸きおこった。優勝は、イギリス代表サンデー・ショウ「恋のあやつり人形」。しかし、大会後、大ヒットになったのは、惜しくも入賞を逃したルクセンブルグ代表ヴィッキーの「恋はみずいろ」だった。同曲は、ルクセンブルクの公用語であるフランス語、ドイツ語に加え、英語、オランダ語、イタリア語版、そして日本語版も録音・発売され、世界中のファンを魅了した。更に翌年には、ポール・モーリア楽団の演奏でカバーされると、アメリカ・ビルボード・シングル・チャートで1968年2月~3月にかけての5週連続で第1位を獲得した。尚、この曲の作曲家アンドレ・ポップはフランス人だが、ヴィッキーはギリシャ人ながらドイツを活動拠点にしているのため、ドイツ語歌唱が大半を占めており、フレンチ・ポップスのアイドルではない。各曲の歌詞については以下を参照のことDiggiloo Thrush英語版・フランス語版
出典:wikipedia
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