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中部幾次郎

中部 幾次郎(なかべ いくじろう 1866年2月18日(旧暦慶応2年1月4日) - 1946年(昭和21年)5月19日)は、明治から昭和初期(1900年代後半~1940年代前半)の実業家。林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身の一つ)創業者。貴族院議員。鮮魚の運搬・卸を生業とする父の兼松の次男として播磨国明石郡林村(現・兵庫県明石市林)に生まれる。1904年(明治37年)に明石から山口県下関へ移り、日本初の発動機船を開発し、東シナ海、朝鮮半島沖の漁場開拓を行う。1924年(大正13年)に大洋漁業の前身となる林兼商店を創立。漁業のほか、水産物加工、海運、造船などの経営に進出し、一大企業グループを作り上げた。1930年(昭和5年)から1943年(昭和18年)まで下関商工会議所会頭。1946年(昭和21年)貴族院勅選議員となる。戦後の食糧難を解決するためにと、早急に捕鯨を再開することをGHQに進言。捕鯨許可は出たが船団の出航を見ることなく死去した。子に大洋漁業2代目社長の中部兼市、3代目社長の中部謙吉、副社長および林兼産業会長の中部利三郎。孫に幾徳学園元理事長の中部謙次郎、4代目社長の中部藤次郎、元大洋漁業副社長の中部新次郎、6代目社長の中部慶次郎、元マルハニチロHD副社長の中部謙、アマチュアゴルファーの中部銀次郎。曾孫に幾徳学園理事長の中部謙一郎、大東通商社長の中部由郎。幾徳学園は彼の名前に由来する。藤本万次郎:幾次郎が下関水産振興会会長時代の下関仲買組合組合長。中部利三郎とは刎頚の友で「りーさん」「まんじさん」と呼び合う仲で家族ぐるみの交流があった。叙勲も同期。安倍晋太郎が外務大臣に就任する際、後援会連合会会長職は「田舎の爺が外務大臣後援会長では拙いだろう」と、藤本から当時、大洋漁業副社長・林兼産業会長であった中部利三郎に引き継がれ、大洋漁業全体として安倍を後援することとなる。大洋漁業と中部家は総理大臣連合後援会長である事に期待も高まったが、安倍の夭折により実現には至らなかった。

出典:wikipedia

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