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浦和競馬場

浦和競馬場(うらわけいばじょう)は、埼玉県さいたま市南区に所在する地方競馬の競馬場である。主催者は埼玉県浦和競馬組合(埼玉県とさいたま市で構成される一部事務組合)。SPAT4加盟競馬場。船橋競馬場(千葉県船橋市)、大井競馬場(東京都品川区)、川崎競馬場(神奈川県川崎市)と共に南関東公営競馬を構成する。本項では併設されている中央競馬の場外勝馬投票券発売所であるウインズ浦和(浦和競馬場内)(ウインズうらわ うらわけいばじょうない)についても記述する。戦前の大宮競馬場の流れを汲み、終戦直後にいわゆる闇競馬(馬匹組合などによる法的根拠のない競馬開催)として短期間開催された粕壁競馬場の移転という形で1947年(昭和22年)10月5日に設置された。初開催は1948年(昭和23年)4月19日。戦後の現行競馬法に基づいて、地方自治体の主催として最初に開催された地方競馬の競馬場である。出典: 1600mのスタート地点(ポケット)は第3コーナー途中にある。通常スタート地点のポケットはある程度の直線が確保されるが、この1600mスタート地点のポケットは直線部がないに等しく、本コースに出るにはちょうど直角に曲がらなければならない。コースの幅も十分確保されているとは言えず、「枠1つ外に行くごとに半馬身の距離ハンデ」と形容されるほどに外枠は不利とされる。そのため、中央競馬所属を含む多くの騎手から「日本一難しいスタート地点」と評されている。場内の公認予想屋たちも「1600m戦での枠順の有利不利を無視した予想は無謀」と言うほどである。第3コーナー付近では騎手が殉職する落馬事故が2000年以降に2件発生している(松井達也、佐藤隆)。第4コーナー最終からゴールまでの直線が短くコースの幅が狭いことなどから、第3コーナーから最終(第4)コーナーでの位置取りがレース上極めて重要なポイントとなるため、競走馬の能力と同時に騎手のレース中の駆け引きや競走馬の操縦にも一際高い技術が要求される、浦和のコース形状も要因となっている。コース内を一級河川の藤右衛門川が第3コーナー(北西)から第2コーナー(南東)へと向正面に平行して流れており、コース上には橋が2か所存在する。前述の1600m戦も、第3コーナー過ぎの橋の上からスタートする。場内の名物グルメとしては揚げ物の種類が多く、アジフライ、天ぷら付きおにぎり、チキンカツ、キュウリ(塩漬けのキュウリを1本そのまま割り箸に突き刺したもの)や黄色いカレーライス、コロッケなどは競馬関係の読物やインターネット、ときにはグルメ本やグルメサイドでも紹介される。またマグロカツ(おもに春?秋に販売される)も人気が高く、来場者が多いとき、とくに浦和競馬開催日には早々と売り切れることがある。場内には母子福祉売店が設置されており、売り上げの一部が母子家庭など厳しい環境におかれた児童・幼児やその保護者の生活の扶助改善に役立てられている。なお、同様の趣旨の店舗は同じ県内の川口オートレース場にも存在する。2011年6月より、3号スタンドのレストランがへぎそば店にリニューアルされた。場外発売日も営業(ただし、土日など3号スタンド3階が閉鎖される日は休業)。コース内を通過する一般道(歩行のみ)が2本通っており、競馬非開催日および場外発売日にはコースを横断して通り抜けることができる。自転車も通行可能だが、コース部に板や鉄板などは敷かれず実際に競走馬が走る砂上を通ることになるため、乗ったまま通り抜けることは困難である。一般道の門からはダートコースに入ることができ(自転車含む車両関係は不可)、ランニングなどのトレーニングに利用されている。内馬場は浦和記念公園として整備されており、競馬開催日以外は内馬場に立ち入ることが可能である。競馬非開催日および場外発売日の利用可能時間内は一般開放される。利用可能な開門時間は次のとおり。内馬場内に大型モニターが設置されており、場外発売日も稼働しているが立ち入りが制限されていない。そのため競馬場来場者が大型モニターで馬券の検討をしたり、レースを観戦している前で子供たちや犬が遊んでいたり、ランニングしている人が横切ったりするといったのんびりとした光景がみられる。災害など緊急時のためのヘリポートがある。これは競馬場内の設備としては全国初のものであった。水害対策のため、中央部には浦和競馬場調節池も設置されている。住宅密集地にあり、光害、虫害の原因になるナイター設備がない浦和競馬場では代わりに薄暮競走が導入され、2005年度から実施されている(開始当初は3 - 6日間開催、2007年度より4月下旬から20日間前後の開催となる)。2011年現在は自場所属の場外馬券売場を管理保有していないが、南関東公営競馬の施設における相互場外発売には加わっている。他ナイター競走の場外発売は他場に先駆けて行われており、とくに大井競馬場開催では年間を通じて浦和競馬場開催時に匹敵するか、それを上回る来場者がある。場外発売日は曜日によってスタンドの利用箇所が制限される。また一部売店は休業する。2010年6月2日より利用可能個所は次のとおりとなる。 3号スタンドは中央競馬場外発売日(「ウインズ浦和」営業日)は中央競馬専用となるため、中央競馬の払い戻し終了後、3号スタンドは1階含め閉鎖されるため全館利用できない。なお、3号スタンドにある案内所は、閉鎖後、平屋の第7投票所内に開設される。場外発売日には、従来の駐車場のほかにスタンド前、北門駐車場や内馬場内南側(ゴールより)の一部区画も一般駐車場として使用されるため、駐車場の収容能力や利便性が大幅に上がる。なお、内馬場内駐車場は原則として大井競馬・川崎競馬のナイター場外のみ利用可能であり、昼間開催(船橋競馬の通年、大井競馬・川崎競馬の冬季昼間開催時)は利用できない(ただし、多くの来客が見込める重賞レース日や祝日の場合は利用出来る場合がある)。また、雨天日や雨上がりなどで水たまりができる場合、閉鎖されることが多い。土日開催日は一部の駐車場は閉鎖される。2012年2月19日より日本中央競馬会からの委託によりJRAの勝馬投票券の発売が開始されている。発売所名称はウインズ浦和(浦和競馬場内)。当初は土曜日の発売は行っていなかったが、、2013年9月28日から秋のGI競走施行週の土曜日については発売・払戻を行っている。2016年4月からは春のGI競走施行週の土曜日についても発売・払戻を開始し、発売日は日曜日、祝日、GI競走施行週の土曜日および金杯開催日となる。金曜日、GI競走のない週の土曜日および代替(続行)競馬開催日の発売・払戻は行わない。発売エリアは次のとおり。※地方競馬の場外発売と重複する場合(主に大井競馬の日曜ナイター開催)は、原則として第7投票所で地方競馬を発売することとし、中央競馬の発売と発売場所を区分する。そのため、地方競馬開催日は第7投票所で中央競馬の馬券購入・払い戻しはできない。
なお、地方競馬がナイター開催の場合、開場~地方競馬馬券発売・払い戻し開始までは休憩所として開放されるので利用自体は可能(ただしモニターは稼動しない)。また、第7投票所内にある軽食堂も開場時間から営業している。
変更される場合もあるので浦和競馬の公式HPで確認されることが望ましい。特別観覧席は次のとおり。正門指定席券売場にて、原則として開門時刻の30分前から先着順に発売する。駐車場・・・有料(1,000円)。スタンド前、第2駐車場、北門前駐車場が利用できる。
なお、大井競馬のナイターなど、ナイター地方競馬が同時開催される場合、地方競馬馬券発売・払い戻し開始時間前後より無料で利用できる(2012年現在、大井競馬の日曜ナイターの場合、15時40分頃から無料となる)。○…発売 ×…発売なし地方競馬としては現在は南関東のブロックに属しているが、開設当初は現在廃止となっている北関東の宇都宮競馬場・足利競馬場・高崎競馬場・古河競馬場などとも人馬の交流が行われていた。昭和20年代には調教師や馬丁(現在でいう厩務員)が馬を曳き、徒歩で北関東の各競馬場まで遠征していた。人材についても、浦和の厩舎関係者については、高崎競馬場の名調教師であった塩野七郎の一門の系譜を汲む人物が多く存在する。ちなみに、南関東では大井の的場文男なども塩野の孫弟子にあたり、中央競馬に転じた内田博幸も塩野の曾孫弟子である。宇都宮競馬場廃止後、事実上のフリー騎手となっていた内田利雄が2012年4月12日より小嶋一郎厩舎の所属となった(現在は藤原智行厩舎に所属)。元名古屋競馬所属の吉本隆記が厩務員を経て、2012年6月1日付で騎手免許再取得をした。中央地方指定交流競走(現在のダートグレード競走)のスタート以来、浦和競馬場の交流重賞では地元馬の勝利がなく、他の競馬場においても1998年にエフテーサッチが船橋競馬場のマリーンカップと2014年にジャジャウマナラシが園田競馬場の兵庫ジュニアグランプリを勝っただけである。なお、一時期南関東の重賞競走を勝てる馬もなかなか出ないことがあったが、近年は2012年から2014年まで3年連続で南関東リーディングとなっている小久保智厩舎から多くの重賞勝ち馬が出ている。調教などを行う厩舎は1969年まで浦和競馬場とその周辺にあったが、周辺が宅地化し、臭気などの苦情から1969年に浦和市東部上野田(現:緑区)の野田トレーニングセンター()に集約移転された。その後競馬場自体も騒音問題から厩舎と共に移転し、跡地に県営球場の移転先とする構想もあったが、実現に至っていない。なお、トレーニングセンターが先に移転し、後から競馬場自体も移転することになった事例には名古屋競馬場がある(1977年厩舎移転、2016年競馬場の移転発表)。競馬場周辺のかつての厩舎跡地は住宅地や競馬場の駐車場などに転用されている。競走馬は馬運車で浦和競馬場まで運ばれる。コースは厩舎棟区画の北側にあり、1周1050メートル。土地形状の都合から極めてコーナーのきついコースで、コーナーでは馬を全力で走らせることが難しく、このことが浦和所属馬の強化の妨げになっていると言われる。また移転後の1980年、近隣に東北自動車道が開通し、渋滞発生が多発する浦和本線料金所からも近くなったことで、センター周辺の大気条件が設置当初と比較して悪化し、競走馬への影響を心配する声もある。周辺住民の要望もあり、屋外の場内放送はやや小さめの音量で行われている。場内放送を担当している女性は南関東の他3場とは別で、独特の「オバちゃんボイス」となっている。なお、自動音声は南関4競馬場共通である。 準重賞用のファンファーレが用意されているが、2010年現在準重賞は夏期に開催されるプラチナカップのみのため、年に1回しか使用されない。着順確定のときにファンファーレが鳴る。(場外発売をしている競馬場などの一部にも流れている)浦和競馬に慣れていない馬は、これを聞いてイレ込んでしまうこともある。後述の『ホットステージウラワケイバ』は場内放送でも流される。2011年第1回開催より、場内放送(ITV)のマスターが一新され、「場内テレビ(ITV)のHD化」となった。これに伴い、パドックや馬場入場の際に「浦和○R」という表示が画面の左上に、馬体重表などもHDに対応するようになった(オッズ・払戻画面は4:3のまま・SPAT4のCM・レースコースCGは両横に帯がついている)。対応当初は、インターネット配信サイト、場外向けにはこれまで通り4:3での配信となっていた(2012年6月よりSPAT4、2014年4月より全てのインターネット配信サイトで16:9配信に変更された)。2012年10月29日からの船橋競馬場外発売より、場内放送のオッズの画面が一新されて、各掛式ごとの人気順・高配当順、無投票の組番などの情報も取り入れられている。レース実況時以外は画面左に各種オッズ、右側に場内映像という「逆コの字型」画面になっている。 11月4日からの川崎開催では、川崎競馬場内も浦和同様のオッズ画面となった。かつて低迷期の平成13年度には累積25億円の赤字だったこともあるが、平成21年度決算において黒字化に転じ、。平成23年度には埼玉県とさいたま市に1億5千万円の配当を実施、平成25年度は2億8千万円、平成26年度は3億円の配当を実施している。開設当初は田畑の中の競馬場であったが、現在は住宅密集地の真っ只中という立地条件になっており、メインスタンドからフェンス越しに民家が見える。とくに向正面(バックストレッチ)のフェンスと民家敷地の間には歩行者と自転車が通れる程度のかなり細い未舗装砂利道(北寄り一部区間は側溝蓋コンクリートブロックが敷かれている。この区間は自転車同士はもちろん、歩行者同士でもどうにかすれ違えるほどの幅しかない)があるだけで、フェンスと民家の敷地とは10メートルも離れていない家が多くある。2008年12月23日の第1競走で3頭立ての競走が行われた。これは本来6頭立てで行われる予定だったが、3頭が出走を取り消したことによるものである。出馬投票の時点で5頭以上が出走登録をしたため、レースが成立した。浦和競馬場では、地方競馬共同トータリゼータシステムを利用した地方競馬施設でのJRA日本中央競馬会が主催する場外発売システム「J-PLACE」馬券の払戻のみを取り扱う。浦和競馬場自体は前述のとおりWINS(ウインズ)浦和として稼動している。競馬場としてのキャラクターは存在せず、代わりに県のマスコットコバトンを使用している。2013年の12月からはさいたま市のPRキャラクター「つなが竜ヌゥ」もコバトンと共に重賞競走当日には表彰式に参加する。浦和競馬場の正門前駐車場では過去にプロレス興行が行われたこともある。特にプロレスリング・ノアの創設者である三沢光晴が1981年8月21日の全日本プロレスの興行でデビュー戦を行った会場として知られている。スカパー!の南関東地方競馬チャンネル (Ch.120、Ch.678) では全レースを放送している(Ch.120は標準画質からHD放送への移行にともない、2014年5月31日にて放送終了。詳細は南関東地方競馬中継を参照)。2012年4月からはダートグレード競走を、同年10月からは重賞競走をグリーンチャンネルで放送している(詳細はグリーンチャンネル地方競馬中継を参照)。

出典:wikipedia

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