緑区(みどりく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちのひとつである。旧浦和市東部。埼玉スタジアム2002が所在する。緑区は、埼玉県さいたま市の南東部に位置する。さいたま市が政令指定都市に移行するに当たり、旧浦和市は4つの区に分割され、西部に桜区、中心市街地を含む中央部北側に浦和区、中央部南側に南区、東部に緑区が設置された。旧浦和市の東部に位置する緑区の区域は、おおむね尾間木地区、三室地区、美園地区の各全域と谷田地区の北東部に相当する。関東平野の中に位置する緑区は、区の全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜2.4m(大字大牧)、最も高い地点でも標高19.8m(大字大門)である。緑区の周辺では、綾瀬川や芝川、加田屋川といった中小の河川に沿って谷底平野が形成され、これによって大宮台地(北足立台地)が複数の支台に区切られている。このうち緑区の西半は、浦和大宮支台の東端部に位置する。その東側の区中央部には芝川が流れ芝川低地(見沼)を形成しており、さらにその東側は鳩ヶ谷支台となっている。区の北東境には綾瀬川が流れており、岩槻区との境界をなしている。芝川は、下流から上流方向に遡ると緑区と見沼区の境界付近で、芝川の本流と加田屋川の二手に分かれる。この芝川の上流側と加田屋川の北側は見沼区であり、この見沼区と大宮台地片柳支台はほぼ範囲を同じくする。中央部に広がる見沼田圃を中心に緑地が広がり、芝川や綾瀬川、見沼代用水、天久保用水などが流れ、綾瀬川は区の東限に当たる。見沼田圃は江戸時代に新田開発及び水害対策を目的として見沼溜井を干拓し、形成される。南部には武蔵野線が通り、東部には南北に東北自動車道、国道122号が通り、かつての武州鉄道が走っていた。衆議院小選挙区のブロックは埼玉第1区である。緑区の世帯数は約5万世帯、人口は約12万人である。みそのウイングシティの計画人口は3万人を超えるため2021年頃の人口は14万人程度と見込まれる。2013年(平成25年)時点の年間収入1000万円以上の世帯が占める割合は12.05%となっている。これは、埼玉県内の市区町村の中では浦和区に次ぐ第2位である。1位の浦和区に隣接していることや、浦和美園駅周辺にホワイトカラー職の移住が進んでいることが要因となっている。現在の大門地区は、日光御成街道の宿場である大門宿として知られる。旧浦和市時代に見沼田圃より西の台地のほとんどの部分で区画整理事業が着手された。昭和から現在までに東浦和駅周辺や三室地区を中心として宅地化が急速に進んだ(市内の区画整理位置図)。現在も事業が続き造成工事が行われているエリア(中尾など)がある。2004年には第二産業道路の中尾-大谷口間や川口市内の区間が開通し、渋滞に悩まされていた南北の交通がスムーズになった。市東部の副都心と位置付けられている浦和美園駅周辺では2001年からみそのウイングシティの区画整理事業が始まり、計画人口は31,200人と市内最大規模の開発が進んでいる。区名選定の際の住民投票では「緑区」は6候補中5位であったが、1位と3位にランクインしていた「浦和東区」や「東浦和区」は旧市名が入っており好ましくないと判断され、2位の「美園区」は旧美園村の村域を現在の区域がそのまま受け継いでいないことなどを理由に除外され、4位の「東区」は岩槻市がさいたま市との合併を希望していたことなどを理由に除外されたために「緑区」が繰り上げ採用となった。一方、現在の見沼区にあたる旧大宮市東部区域の住民投票では、「緑区」が2位にランクインしていながら、それより下位(4位)の「見沼区」という区名になった上に、区内に「見沼」という地名はなく、緑区や北区に「見沼」という地名が存在する。緑区成立後から毎年4月1日の人口。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)。浦和市#浦和市出身の著名人も参照。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。