縁故主義(えんこしゅぎ、Népotisme ネポティズム)とは、親族の縁、地縁、血縁などの縁がある縁故者のほうを重用する考え方や、ものごとの正しさよりも縁故を優先してしまう考え方のこと。社会学の分野においては、同族・同郷者に限らず同じコミュニティに属する人間の意見ばかりを尊重し、排他的な思想に偏る内集団偏向のことを指す。一般に、権力者はしばしば縁故者を自らの側近や部下として配することで知られる。これについてイエスが述べたことが『マタイによる福音書』に残されている。イエスは、本当の正義のために自分は来たのだ、大切なのは決して血縁や縁故などといったものではない、血縁を何の反省もなく優先してしまうような考え方は止めるべきで、そんな縁など壊してしまってでも、縁故者と敵対してでも、神ヤハウェとのつながりや、ヤハウェの眼から見て正しいことを行うことこそが何よりも大切なのだ、縁故などというものは 正しい信仰の敵だ、と述べたのである。カトリックには、古くから聖職者制度というものがあるが、カトリックの聖職者は結婚したり跡継ぎの子供を作る事は認められていない。(いくつか理由づけはあるが、そのひとつには信仰組織が 世襲制によって いつしか自分の子供ばかりを偏愛する者たちの巣窟のようになってしまうような事態を防止する意図もあった)だが、中世ヨーロッパではカトリック聖職者は様々な特権を持つようになっていて、特に司教や修道院長といった上級の聖職者は、世俗諸侯と変わらない権力を持つまでになってしまった。そのような状態になったところ、親族の子供(甥)に様々な便宜を与えたり、実質的な後継者とする事が行われるようになってしまったので、これを(批判も込めて)「nepotism ネポティズム」と呼ぶことが始まった (イタリア語の「nipote」は「甥」「姪」「孫」といった意味の語で、 つまり、あえて訳せば「甥っ子主義」や「姪っ子主義」といったような表現である)。さらには、公的には結婚・妻帯が禁じられていたカトリックの聖職者が、密かに儲けてしまった庶子を「甥」と偽ることまでもあった。ルネサンス期になると、そうした規則違反が半ば公然と行われるようになってしまったた。その代表例としてしばしば挙げられるのが、教皇アレクサンデル6世の庶子、チェーザレ・ボルジアである。また、パウルス3世も実の孫アレッサンドロ・ファルネーゼを14歳にも関わらず枢機卿に任命した。1692年に教皇インノケンティウス12世が教皇勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」()を発布し、教皇が、親族に財産、土地、利益を与える事の禁止を明文化したことにより、カトリック教会の縁故主義は終焉を迎えた。科挙制度導入後の中国の官僚界では、科挙の試験監督となった官僚(すなわち実質的に受験生の合否の帰趨を決する立場の存在)と疑似的な「師弟関係」を結ぶ朋党が出現し、自らの党を強化するための党争が頻発した。また権力を握った皇帝の外戚や宦官も、一族を引き立てて権力を掌握することがあった。現在の中華人民共和国でも太子党と呼ばれる血縁・婚姻関係で結ばれた派閥がテクノクラート的な党官僚を擁する共青団とよく比較される。「階級のない社会」を標榜することが多いながらも、実際には党による強力な指導性を重視する社会主義国では、人材登用には上位者の承認と任命が不可欠(猟官制も参照のこと)であるため、ノーメンクラトゥーラ制による人材登用が行われた。しかし上位者が縁故を優先することが多くなり、縁故主義の温床となった。ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク政権では特に縁故主義が跋扈し、妻エレナを筆頭にチャウシェスクの親族が要職に就いた。
出典:wikipedia
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