単于(呉音:ぜんう、漢音:せんう、音:Chányú)とは、匈奴を初めとした北アジア遊牧国家の初期の君主号である。また、単于の妻のことを閼氏(えんし、あつし)といい、特定の姻族または漢の公主がこれになった。『漢書』匈奴伝に以下のように記されている。これをもとに、各研究者がさまざまな研究・考察をおこなってきた。白鳥庫吉が『康熙字典』を引いて「単」の字の古音には「tan 丹」と「šen,žen 善」の二音があること、『漢書』匈奴伝の「因諭說改其號,號匈奴曰“恭奴”,單于曰“善于”,賜印綬。」という文句があることから、「単」の字は漢代では「tan」ではなく、「žen」或は「šen」であったと考えた。単于号を使い始めたのは匈奴であるが、いつ頃に使い始めたのかは匈奴自身が記録を残していないために不明である。初出は中国の史書である『史記』である。最初に名前のわかる単于は頭曼であるが、白鳥庫吉、加藤謙一らは、実際に単于号を創始したのは父を殺害してクーデターにより政権を簒奪し、さらには周囲の有力な遊牧国家を服属させて匈奴を強大な遊牧帝国にまで勃興せしめた次代の冒頓単于なのではないかとする説を唱えている。烏桓族の部族長は大人(たいじん)と呼ばれたが、一部の有力者は後漢の袁紹より単于の称号を授かった。単于は晋朝から授かる称号の一つにすぎなくなる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。