ウクライナ語( )は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派の東スラヴ語群に属し、キリル文字を使用する言語である。ウクライナの公用語である。ウクライナ国外においても、諸外国に住むウクライナ人によって使用されている。本国での話者人口は3680万人。本国以外に、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ポーランド、カナダやアメリカ合衆国などの南北アメリカ、オーストラリアなどにも話者がおり、それらを合計すれば約4500万人になる。スラヴ語派においてはロシア語、ポーランド語に次いで第3位の話者人口である。11月9日はウクライナ語の記念日となっている。戦後は「ウクライナ語」と称される。略記する際は、漢字表記「宇克蘭」から「宇語」、または以前使われていた表記「烏克蘭」から「烏語」も散見される。ただし、「烏」という字は常用漢字ではないため、利用に制限がある。従来の言語系統論によると、ウクライナ語はインド・ヨーロッパ語族、スラヴ語派、東スラヴ語群に属するという。総合的言語の一つ。ウクライナ語アルファベットは33の文字(字母)によって構成される。その文字は38の音素を表す。文字の他に、アポストロフィーという特別符号も含まれる。ウクライナ語の正書法は音素の原則に基づいており、1つの文字は普段1つの音素に相当する。正書法には、意義・歴史・形態の原則も用いられることがある。文字には20の子音字(')、10の母音字(')、ならびに2つの半母音字(')がある。軟音記号(')は音価がないが、前の子音の軟化(硬口蓋化)を引き起こす。また、特定の子音は特定の母音の前で硬口蓋化する。例えば、子音の'は軟母音の'の間に軟子音となる。アポストロフィーは、正書法にしたがって子音の硬口蓋化を起こさないように用いられる。アルファベットで用いる音素の原則には他の例外も見られる。例えば、' , ' と, 前の子音を硬口蓋化しない場合の' , ' , ' というの5つの文字は二つの音素を表す。とという連字は、普段、破擦音のとを示す。'の前に位置する子音の硬口蓋化を'で表記する。しかし、'の前に位置する子音の硬口蓋化は特別に表記されることがない。他のキリル文字を使用するアルファベットに比べれば、ウクライナ語は東スラヴ語群の諸語アルファベットと類似している。一方、'のようにウクライナ語固有の文字もある。ウクライナ語のアポストロフィーは初期キリル文字の'(イェル)の機能を果たしている。 は語頭/音節の初めの母音の前や母音の間にある場合はと発音されるが、語末、摩擦音・破裂音の前では (有声両唇軟口蓋接近音)、またはのように発音される。この音は決してアクセントを伴わず、音声学ではЎという文字を用いて区別して説明され、(ウー・ネスクラドヴェー)(音節を形成しないу)と呼ばれる。基本的には、子音の前では、母音のあとや語末ではとなる。ただし、その発音については厳密にはいくつかに細分される(例えば、をと発音するなど)。例; 及び (ヴォナー、ウォナー)、 (モーヴァ)、 (リヴィーウ)、 (前が母音の場合 )(ウドーマ)字母 у で書かれる場合:1)子音と子音の間にある場合例:2)文頭にあり、次の文字が子音である場合例:3)次の文字が в 或いは ф である場合(前に来る文字が母音であっても常に у が書かれる)例:4)文中の休止符(読点、コロン、セミコロン、ハイフン等)の後ろに置かれ、次に来るのが子音である場合例:字母 в で書かれる場合:1)母音と母音の間にある場合例:2)母音が前にあって、в 或いは ф 以外の子音が後ろに来る場合例:(タラス・シェウチェンコ)名詞は、男性・中性・女性の3つの性に分かれ、単数形(■)・複数形(■)を持つ。 名詞の語尾は、男性名詞は子音、-й、-ь、-о、女性名詞は子音、-а、-я、-ь、中性名詞は-о、-е、-яである。子音で終わる女性名詞があり、яで終わる中性名詞の語尾も多彩であるため、性の見分けはやや困難である。名詞の格は主格、対格、属格、所格、与格、具格、呼格の7種類である。表中は全て主格を用いている。ウクライナ語は、東スラヴ人の最古の国家であるキエフ・ルーシの崩壊後、ロシア語やベラルーシ語とは別の独自の発展を遂げてきた。長らくポーランド王国の影響下に入ったからドニプロ・ウクライナにかけての地域(ルテニア)ではポーランド語の影響(ルテニア語)がより強く見られ、ベラルーシとともにリトアニア大公国の支配下に入った北ウクライナからドニプロ・ウクライナにかけての地域では、ベラルーシ語の特徴である()の欠如などベラルーシ語の影響が見られた。キエフを含む東ウクライナが、ヘーチマン国家としてポーランド・リトアニア共和国の支配下から脱した17世紀以降、ヘーチマンの庇護の下、ドニプロ・ウクライナを中心にウクライナ語文化の著しい発展が見られた。また、ポーランド王国のもとに留められた西ウクライナでは、リヴィウを中心にウクライナ語文化の独自の発展が見られた。だが、その後ヘーチマン国家はモスクワ大公国・ロシア帝国のより強い影響下に置かれるようになり、18世紀のうちには東ウクライナは完全にロシアに併合された。その後、ポーランド分割を経てウクライナの大半はロシア帝国の領土に収められた。ロシア帝国の強力な中央集権体制の下で、ウクライナ文化は分離主義的であるとして弾圧され、ウクライナ語の使用も制限されるようになった。ロシア帝国では、1863年のヴァルーエフ指令と1876年の()により、ウクライナ語という言語の存在は認められておらず、これを「ロシア語の小ロシア方言」と規定し、さらに公式文書や「純粋な」文学作品などはすべてロシア語で記述されていた。ウクライナ文化圏では、従来ロシア語、ポーランド語、ドイツ語、そしてウクライナ語などの複数の言語による舞台用喜劇脚本が多く著されてきた。そうした中で、初めてのウクライナ語文学と認められているのはポルタヴァのイヴァン・コトリャレーウシキーによって18世紀末に書かれたパロディー叙事詩『エネイーダ』であった。コトリャレウスキーはオペレッタ『』()でも知られ、ウクライナ近代文学の祖とされている。これらは、いずれも喜劇やパロディーという性格を持ち、当時は「純粋な」文学からは明確に区別された分野の作品であった。ニコライ・ゴーゴリなどのようなより「純粋な」作品を書いて世に認められることを望む作家は19世紀を通じてロシア語での執筆活動を続けた。この時代の作家は、ウクライナ語=小ロシア方言で書いて文壇に認められることはありえなかった。なお、ニコライ・ゴーゴリの父ヴァシーリ・ホーホリ(ロシア語名: ヴァシーリイ・ゴーゴリ)はウクライナ語の喜劇作家であった。ウクライナ語の歴史は、文語として長らく用いられた教会スラヴ語と口語として用いられたいわゆるウクライナ語との関係の間に成り立っていた。現代ウクライナ語の父とされるタラス・シェフチェンコは、ウクライナ語の豊富化を図るため積極的に教会スラヴ語からの借用を行った。しかし、このやり方はのちの作家・言語学者に拒否され、以降ウクライナ語は口語を中心に外来語や各地の方言を取り入れて発展させられていくことになった。イヴァン・フランコーやレーシャ・ウクライーンカも、ウクライナ語の発展に大きな貢献のあった人物として知られる。ウクライナ化政策の採られた1920年代のウクライナ社会主義ソビエト共和国では、1927年に初めての正式な正書法である「1927年正書法(ハルキウ正書法)」が定められた。しかし、これは1930年代の反ウクライナ化政策の時代に改竄され、ロシア化が行われた。1999年に制定された「プロジェクト1999」は、現代ウクライナ語をこの「1927年正書法(ハルキウ正書法)」を基に整備しようとする試みであった。この正書法は基本的にポルターヴァの方言に拠っていると言われ、それに西ウクライナ・ハルィチナーなどの方言が加えられている。ただし、西ウクライナ方言にはポーランド語やチェコ語の影響が強く、正書法に定められた中東部のウクライナ語とは語彙や語法とは差がある。ちなみに、この「プロジェクト1999」は2003年に廃止となり現在は公的な立場を持たないが、学者、文筆家に限らず広く市民の間に支持者がおり、しばしば印刷物、テレビ等で見られる。ソ連末期の「言語法」によってウクライナにおいてウクライナ語は唯一の国語(日本語で言うところの公用語の立場)とされ、独立以降もその立場を維持し続けている。その一方で、ウクライナ国内でも東南部を中心にロシア語話者が多いことから、ロシア語の第二国語もしくは公用語化を掲げる政治勢力も一定の影響力を保っている。しかし、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチなどロシア語話者の政治家が、政治家として活動するために、ウクライナ語を習得しており、必ずしも二項対立では説明しがたい。ウクライナにおける言語を巡る状況は個人レベルでも複雑であり、独立以後も一部でロシア語排除を唱える人々、またウクライナ語を蔑視する人々、その衝突を将来的な分裂の要因のとして危惧する考えがある。また、「スルジク」と呼ばれる混用語、すなわちウクライナ語を運用する際、ロシア語語彙を大量に混用している現状も顕著である。さらには、「より純粋なウクライナ語の」表現として、古い語彙を復興させる動きも一部で盛んである。19世紀後半以降、ウクライナ語において三つの方言が区分される。各方言は地域毎の複数の訛りを含んでいる。ポリーシャ方言とも呼ばれる。北ウクライナと南ベラルーシに分布している。ベラルーシ語との共通性が見られ、中世のルーシ語の特徴を数多く有している。コサック方言とも呼ばれている。中部・東部・南部ウクライナと、南ロシア、特にクバーニ地方に分布している。ロシア語・テュルク諸語の語彙の影響を受けている。紅ルーシ方言とも呼ばれる。ウクライナの南西部の外に、モルドバ、ルーマニア、スロバキア、ポーランド、セルビア、カナダと米国に分布している。西スラヴ諸語と共通性とドイツ語の影響が見られる。ヴォルィーニ・ポジーリャの訛り群:ハルィチナー・ブコビナの訛り群:カルパティアの訛り群:()内は、ウクライナ語での本来の意味である。必ずしも日本語の発音通りとはならないが、日本語をウクライナ語アルファベットで表記する場合には以下のようなものが用いられている(大文字で表示)。ウクライナ語話者の間で日本語を勉強する人口がそれほど多くないこともあり、あまり研究されているとは言えないが、ソ連時代に盛んに行われたロシア語による日本語研究を背景に転写法は十分に整備されているといえる。また日本では、ウクライナで起きた歴史的出来事についてハリコフ攻防戦やチェルノブイリ原発事故のようにロシア語地名で表記することが多いため、ウクライナ語の地名は一般に普及しているとは言い難い。公式にはウクライナの地名はウクライナ語に沿った表記が求められるが、下記のようなロシア語名の方が有名であったり一般に知られている例も多い。ただし、セヴァストポリやヤルタなどのようにロシア語とウクライナ語の発音差がほとんどない都市もある。ウクライナ語では「母音」となる。この他、ウクライナ語の仕組みに従い、日本語の「や行」も母音扱いされる場合がある。ウクライナ語では「子音+母音」となる。中澤英彦による日本語のウクライナ語転写:
出典:wikipedia
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