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ザ・フーターズ

ザ・フーターズ(The Hooters)は、アメリカ合衆国・フィラデルフィア出身のロックバンドである。代表曲に「朝までダンス(And we danced)」「デイ・バイ・デイ(day by day)」「ジョニーB(Johnny B)」などがある。フォーク、ケイジャン、ザディコ、レゲエ、スカなど北中米の民俗音楽を大胆に採り入れたサウンドで一世を風靡した。また主要メンバーのうちの一人ロブ・ハイマンは、マイルス・デイヴィスやタック&パティらにカヴァーされたシンディ・ローパーのスタンダード「タイム・アフター・タイム」の作曲者としても知られている。バンド名はメロディカの異称から採られている。1970年代初頭、ペンシルベニア大学の学生だったロブ・ハイマン、リック・チャートフ、エリック・バジリアンはワックス(Wax)というバンドを結成。なお、リック・チャートフはドラマーであった。その後、リック・チャートフはアリスタの社員となりバンドを離脱。バンドはその後ベイビー・グランド(Baby Grand)と改名。エリックの大学卒業後にアリスタと契約し、1977年にアルバム「BABY GRAND」、翌年「ANCIENT MEDICINE」を発表。しかしこれらのアルバムはエリックによれば前衛的過ぎてセールス的には失敗したという。ベイビー・グランド解散後、エリックとロブは2トーンなどのスカ・リバイバルに強い影響を受け、「フーターズ」を結成。フィラデルフィアのクラブを中心にライブを重ねたバンドは、フィラデルフィア地域に強い影響力を持っていたラジオ局、FMWMMRにおけるヘヴィ・ローテーションもあって、瞬く間に東海岸で評判のロックバンドとなる。しかしフーターズ=フィラデルフィアというイメージが強くなりすぎた為、メジャーデビューには時間がかかり、82年にはバンドは解散状態であった。この時期に生まれたのが、後に1980年代を代表する「タイム・アフター・タイム」であった。1983年、バンドのマネージメントをスティーヴ・マウンテン(フィラデルフィア郊外のアードモアにあるライブハウス「コーナーストーン」のオーナー)が引き継いで後、活動は再び軌道に乗り始め、ギタリストにジョン・リリィ、ベーシストにロブ・ミラーをスカウトし(当初二人がスカウトしたベーシストはフラン・スミス・ジュニアであったが、フランは諸事情によりこれを固辞)、同年インディペンデント・レーベルから1枚目のアルバム「アモーレAmore」を発表。「All You Zombies」「Hanging On A Heartbeat」「Fightin' On The Same Side」「Blood From A Stone」など、後のアルバムに再収録された楽曲を数多く含むこのアルバムは10万枚を売り上げた。またバンドは精力的にライブ活動を続け、ファンを増やしていく。この頃、かつてのメンバーであったリック・チャートフは自らがプロデュースしたシンディ・ローパーのデビュー・アルバムのバックに彼らを起用。1984年1月1日、ロブ・ミラーがバイク事故によりバンドを離脱。後任ベーシストはアンディ・キング。1985年、バンドはコロムビア・レーベルと契約。この年に発表されたアルバム「Nervous Night」(全米12位)は200万枚を売り上げ、バンドは「ローリング・ストーン」誌の最優秀新人ロックバンドに選ばれた。また「ライブ・エイド」ではアメリカ会場のオープニングを務めた。1987年、アルバム「One way home」(全米27位)を発表。シングル「Satellite」は全英チャート22位を記録。ドイツでは「Johnny B」がチャート1位になった。1988年、ベーシストがフラン・スミス・ジュニアに交代。1989年、アルバム「Zig Zag」(全米115位)を発表。1990年、ロブとエリックはロジャー・ウォーターズがベルリンで上演した「ザ・ウォール」に出演。シネイド・オコナー、リック・ダンコ、ガース・ハドソンとともに「Mother」を演奏した。またこの年、来日ツアーも行っている。1993年、アルバム「Out of body」発表。初の女性メンバー、ミンディ・ジョスティンが参加。シンディー・ローパーがゲストボーカルとして製作に参加。1994年、初のライブ・アルバム「The Hooters Live」発表。ミンディは1995年には脱退し、フーターズは再び5人組に戻る。1996年、ロブとエリックは、リックがプロデュースしたジョーン・オズボーンの1stアルバムに作曲と演奏で全面参加。エリックが提供したシングル「One of Us」がヒット(全米4位)。1998年、ロブを中心とし、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」をモチーフにしたプロジェクト・アルバム「Largo」を制作したが、これを最後にフーターズとしての活動はほぼ休止となる。2001年、フィラデルフィアにて一夜限りの再結成ライブを行う。2002年、バンドは本格的に活動を再開し、ドイツをツアー。以降、2007年まで毎年のようにドイツへツアーに出ている。2005年3月、ミンディ・ジョスティンが病死。2007年、アルバム「Time stand still」を発表。当初は根強いファンの多いドイツのみの発売だった。2008年2月、ようやく本国アメリカでも「Time stand still」が発売される。また2007年の11月21日および23日にフィラデルフィアの「エレクトリック・ファクトリー」で収録されたライブと2月28日と3月1日にエルム・ストリート・スタジオで収録されたアコースティック・アレンジのシークレットライブは、2008年に2枚組ライブアルバム「Both Sides Live」として発売された。フーターズのメンバーはいずれも極めて優秀な音楽家として認知されており、幅広い他の音楽家たちの作品制作やコンサートに協力している。主なものを示す。ロブとエリックは楽器コレクターとしても知られており、妙な楽器を山のように所有しているとされている。以下にバンドの使用機材を示す。フーターズのメンバーは日本びいきであることでも知られ、1988年には『辻仁成のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にゲスト出演したことが契機となり、自らが歌う完全日本語版『ジョニーB』をリリースしたこともある。またコンサートで「上を向いて歩こう」を日本語で歌ったこともある。実はエリックが人生で初めて買ったシングルレコードがこの曲で、以来エリックは正しい日本語の歌詞を知らないまま耳コピーによってこの曲を歌っていた。その後フーターズがシンディ・ローパーと仕事をした時、かつてニューヨークの「MIHO」という日本語バーでハコバンの歌手をしていたシンディがエリックに正しい日本語歌詞を教えたとされる。日本語による「上を向いて歩こう」初演は1987年11月の来日におけるゆうぽうと公演。

出典:wikipedia

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