道路橋示方書(どうろきょうしほうしょ)は、日本における橋や高架の道路等に関する技術基準である。国土交通省が定め、共通編・鋼橋編・コンクリート橋編・下部構造編および耐震設計編の5編で構成される。略して道示(どうし・どうじ)とも呼ばれる。また、社団法人日本道路協会が、基準に解説を加えて「道路橋示方書・同解説」として発行している。日本の道路においては根幹となる法律として道路法があり、同法およびその関係政令である道路構造令は、橋および高架の道路の構造について以下のように定めている。本書はこれらの法令が示すところの「技術(的)基準」であり、国土交通省都市・地域整備局長、道路局長より「橋、高架の道路等の技術基準」として通達されるものである。最新版は2012年(平成24年)に改訂が行われた。一方、道路法はその適用範囲を高速自動車国道、一般国道、都道府県道および市町村道としており、林道や農道は含まれていないが、実用上の観点から本書が適用されている。本書の共通編・総則では、本書の適用範囲を定めており、支間200m以下の橋の設計および施工をその対象範囲としている。したがって、それ以上の規模を有する橋については、本書の適用は原則としてできないが、諸処の条件を勘案し必要に応じた補正を行うことで、本書の準用を行うことができるとされている。また、横断歩道橋については本書の適用範囲外であり、別途「立体横断施設技術基準」が国土交通省の技術基準として定められている。本書は「道路橋示方書・同解説」として(社)日本道路協会より刊行されており、以下の5編より構成される。このうち、II鋼橋編・IIIコンクリート橋編・IV下部構造編の3編は、それぞれI共通編と合冊の形態を取っている。また、入札制度改革により、日本以外の設計・施工会社の受注機会を均等化する目的で、英語版("Specifications For Highway Bridges")も順次発刊されている。日本における道路橋の基準の整備は、1886年(明治19年)に内務省土木局により「道路築造保存方法」が制定され、橋の設計に用いる車両の荷重が規定されたことに始まる。この時点では荷重が規定されたのみであり、橋の設計法そのものについての基準は整備されていなかった。その後、1923年(大正12年)に10万人の犠牲者を出す関東大震災が発生すると、構造物に対する基準類整備の必要性が高まり、1926年(大正15年)「道路構造に関する細則案」が制定された。同細則案は、道路橋の等級について一等橋から三等橋までの三種類に分類したほか、はじめて橋の構造や設計方法、許容値などを規定した。道路全般の基準の一部に盛り込まれた形ではあるものの、このとき道路橋示方書の原型が形作られたものと言える。1939年(昭和14年)には、鋼橋の設計を対象とした「鋼道路橋設計示方書案」が制定された。道路橋は一等橋(国道)、二等橋(府県道)に分類され、それぞれ13t、9tの自動車荷重が与えられた。このとき制定された自動車の前輪と後輪の荷重比率を1:4とする規程は、今日の道路橋示方書でも踏襲されている。第二次大戦後の1952年(昭和27年)には新道路法が施行となった。これにともない、道路橋は所管を建設省(現・国土交通省)に移すとともに、1956年(昭和31年)に「鋼道路橋設計示方書」が制定され、一等橋の自動車荷重は20tに引き上げられた。一方、1964年(昭和39年)には、コンクリート橋を対象とした「鉄筋コンクリート道路橋示方書」、下部構造を対象とした「杭基礎の設計指針」が相次いで制定。さらに、当時長大化が進んでいたプレストレスト・コンクリート橋(PC橋)を対象とした「プレストレストコンクリート道路橋示方書」が1968年(昭和43年)に制定され、ほぼ道路橋に関する基準類の骨子ができあがりつつあった。しかしながら、橋という1つの分野において基準類が個別に整備されていることは、適用上の不具合を生むことから、1つの体系として道路橋示方書に統合することとなった。1972年(昭和47年)にははじめての道路橋示方書である「I 共通編・II 鋼橋編」が制定。1978年(昭和53年)には「III コンクリート橋編」が、1980年(昭和55年)には「IV 下部構造編」「V 耐震設計編」が制定され、現在の体系が形作られたものである。本書の改訂は、技術の変遷や社会事情を考慮しおおむね7 - 8年ごとに行われるが、車両制限令の改訂や兵庫県南部地震などが相次いだ1990年代は、2 - 4年程度の短期間で改訂が繰り返された。
出典:wikipedia
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