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はしだのりひこ

はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - )は日本のシンガーソングライター、フォークシンガー。京都府京都市生まれ。同志社高等学校、同志社大学神学部。8年+休学で10年在籍、期間満了で退学。身長163cm。愛称はのりちゃん。1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加する。フォーク・クルセダーズが1968年10月に解散した後、「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」のリーダーを務め、ソロに転向。同志社大学の学生であった藤原洪太、田平義昭、端田宣彦らによって1964年に結成された。1967年6月にクラウンレコードから「真っ赤なリボンとおさげのあの娘/戦いは一度でいい」を発表。「戦いは一度でいい」は歌詞が全編英語で作られている。「シューベルツ」とはシューベルトと“Shoe Belts”(靴のひも)をひっかけたもの。メンバーは、はしだのりひこ、越智友嗣、杉田二郎、井上博。「風」(1969年)が最大のヒット作品。この名前ではかなりの作品数を発表した。続く「さすらい人の子守唄」で『夜のヒットスタジオ』に出演した時は、バックのイメージ映像が映されないという放送事故が起きた。「風」は、キャンディーズ、中澤裕子と藤本美貴、2014年には高畑充希が自身のアルバム『PLAY LIST』においてカバーしている。ベースの井上博の死去により解散。少女たちを従えたマーガレッツを結成し、中津川フォークジャンボリーで演奏。テレビにも出演したが、レコードの発表には至っていない。メンバーは、はしだのりひこ、藤沢ミエ、中嶋陽二、坂庭省悟。1971年に「花嫁」(作詞・北山修 作曲・端田宣彦 坂庭省悟 編曲・青木望)/B面「この道」(作詞・北山修 作曲・端田宣彦 編曲・青木望)が大ヒットし、この年の第22回NHK紅白歌合戦にも出演。他に2枚目のシングル「ふたりだけの旅」(作詞・北山修 作曲・端田宣彦 編曲・青木望)/B面「青空をつかまえよう」(作詞・北山修 作曲・中島陽二 編曲・青木望)がスマッシュ・ヒット。3枚目「この胸に」(作詞・安井かずみ 作曲・端田宣彦 中島陽二 編曲・青木望)/B面「忘れられないの」(作詞・北山修 作曲・中島陽二 編曲・青木望)、4枚目「沈黙」(作詞・端田省洋 作曲・端田宣彦 編曲・青木望)/B面「愛のポエム」(作詞・ドン・パック/落合恵子 作曲・中島陽二 編曲・青木望)がリリースされた。スタジオ録音アルバムは製作途中で頓挫し、ライブアルバムが1枚残されただけであった。また、シングルリリースを予定していた「戦争は知らない」や、LP用の「嫁ぐ日」などが、録音されながらも、現在まで30年以上も公式に音盤化されずに、幻となっている。制作途上で解散したことや坂庭の死去もあり公式発表はまず不可能に近い。ソロ活動を開始。フォークルファミリーとは長らく没交渉に近いが、2001年にドリーミュージックから出したミニアルバムのライナーノーツには北山修が寄稿している。並行して妻の看病に専念したとされる時期もあったことから「主夫」としての活動が話題になったこともあり、現在ではその方面での法人団体にも関与している。しかし、ご自身も病気になり現在復帰する見込みはない。主夫としての体験記を雑誌に連載し、これが後に『おとうさんゴハンまーだ』という本にまとめられ、『風のあるぺじお』の題で映画化された。娘は舞台女優の端田新菜。などのエッセイがある。はしだのりひことクライマックスとして出場

出典:wikipedia

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