LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

日本刀研磨

日本刀の研磨(にほんとうのけんま)では、独自の技術体系を有する日本刀の研磨について解説する。他の刃物研磨と相異する部分が多く、他の刃物の砥師が兼業していることは少なく、また、日本刀の砥師が他の刃物を砥ぐこともほとんどなく、独立した分野と言える。また、他の刃物研磨が「切れ味が悪くなった物を砥ぎ直す」と言うことを一番の目的にしているのに対し、日本刀の研磨は、刃を付け斬れるようにすることを前提としつつも、さらにそこから作業を進め、刀身の地鉄、刃文の見所を良く見えるように、また、それを引き出すために砥ぐ、と言うことを主要な目的としている点が、一番の相違点と言える。刀が実用に供されていた時代においては、切れ味だけを求めた砥ぎも存在し、今でも、一部の据え物切り愛好者は、切れ味を求めることもある。切れ味を求めるだけならば、粗い砥石だけ掛ければ十分であるし、また、刃に適度なざらつきがあったほうが滑りが少なくなり結果的に切れ味が上がるとも言われており、「寝刃(を合わせる)」という荒砥や砂で刃に粗目をつける作業も存在する。しかし、粗い砥石を掛けた状態では、鈍刀でも名刀でも、差が解り辛い。名刀を名刀として鑑賞するため、荒い砥石から順次、細かい砥石を使用し、また、下地研ぎの最終工程から仕上げ研ぎに掛けて、内曇砥、鳴滝砥と言う天然砥石を使用し、刀剣の持つ、美的、芸術的要素を引き出す事を、最終の目的とする所に、日本刀研磨の本質が有る。日本刀の研磨は、上古刀期の直刀期からすでに始まっているが、世界の他の国の刀剣と違い、刀身そのものを鑑賞し、価値を見出した時より、高度な研磨が求められるようになったと思われ、また、逆に刀身が持つ地鉄、刃文の美的要素を引き出す研磨法が考案され、研究されるに従い、刀身そのものを鑑賞する習慣が生まれたと思われる。南北朝期、足利尊氏に使えたと伝えられる、本阿彌妙本を祖とする本阿彌家が、主に時の権力者の刀剣研磨、鑑定を司り、九代、本阿彌光徳の時代に差し込み砥ぎ研磨法、刀剣鑑定法を確立した。本彌家は多くの分家を生み、その中には、本阿彌光悦もいる。本阿彌本家は、刀剣鑑定に折り紙(優れた物を「折り紙付き」と言うのは、これを語源とする)を発行する権利を徳川幕府より保証され、絶大な権限を持ち、他の刀剣研磨を生業とする者を町砥ぎと称するのに対し、家砥ぎと称する秘伝の研磨法を維持相伝した。幕末に至り、武士の身分が消滅するに及んで、刀匠、刀剣研磨業も、衰退したが、武用より、美術鑑賞面を強調することにより命脈を保ち、美的面を強調し、地鉄をより黒く、刃をより白く見せる研磨法が本阿彌平十郎により考案され、その養子、本阿彌淋雅によってさらに発展され、その門人、平井千葉によって技法が確立されるに及んだ。淋雅のもう一人の門人、本阿彌光遜によって、一般に刀剣鑑賞の裾野を広げる努力が行われ、秘伝とされた鑑定法、研磨法も公開されることになった。戦後、平井千葉の実子で、本阿彌淋雅の養子になった、本阿彌日洲、本阿彌光遜の門人、小野光敬、永山光幹、また、昭和初期に鑑定家、刀剣商として知られた藤代義雄の弟、藤代松雄の4人が、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。刀剣研磨には、江戸時代より行われている、差し込み砥ぎと、拭いに鉄肌拭いを用い刃文を白く強調する明治期に確立された研磨法があるが、ここでは、現在、主に行われている後者の研磨法を紹介する。刀剣研磨には、大きく分けて、下地砥ぎと仕上げ砥ぎがある。刀身を順次、粗い砥石から細かい砥石に交換しつつ砥ぎ、最終的には砥石の目が肉眼で確認することができないぐらい細かくし、刀剣の地鉄、刃文の見所を引き出すよう心掛けるのを主目的とする。研磨に用いる水には、ソーダ(苛性ソーダは強過ぎるので、洗濯ソーダ(重曹)を入れるのが一般的)を入れ中和し、研いでいる最中に錆が生じる現象を防ぐ工夫がなされている。砥ぎ台に独特前屈みの構えで座り、主に刀身の整形を行う、刀身は、棟、鎬地、平地、切先に分かれるが、棟、鎬地は、真平に砥ぐようにし、平地は、刀の時代相応に丸みを帯びるように砥ぐことを心掛ける。切先は、平地と横手と称する部分で別れるが、明瞭に角を立て、正確に砥ぐのは難しく、一番高度な技術を要する部分と言える。刀剣研磨には、以前は全て天然砥石が用いられたが、現在は、天然砥石の採掘が減り、質も低下しているため、人造砥石も用いられている。しかし、下地砥ぎの最終工程や仕上げ砥ぎに用いる内曇砥石や、仕上げ砥ぎに用いる鳴滝砥石に代わる性質の人造砥石はなく、現在も天然砥石が用いられている。内曇砥、鳴滝砥の採掘量の減少は、現在において深刻な問題となっている。刀剣研磨に用いる砥石は、各々研ぎ師の好みがあるが、概ね平らな砥石を前後に丸みを帯びさせ緩い度の半円形にし、刀身を自在に砥石の面に当てられるよう工夫されている。刀身に対して横向きに砥石目が付く様に研ぐ事を「キリに研ぐ」と言う。備水砥はこの研ぎ方が基本で有る。刀身の地刃の部分の僅かの丸みを帯びている形状を肉置きと称している。これは、刀剣の造られた時代に寄って変化するもので、備水砥で時代相応に肉置きを整える事も重要で有る。刀身に対して斜めに砥石目が付く様に研ぐ事を「筋違い(すじかい」に研ぐと言う。改正名倉砥の基本の研ぎ方で有る。刀身に対して、真っ直ぐな砥石目が付く様に研ぐ事を「タツに(を)突く」と言う。砥石目はあたかも整然と細縄を縦に並べたような状態となるのが理想である。整然と砥石目が並ぶということは、研ぎムラが生じていない証拠でもある。ハバキ、白鞘に廻す場合は中名倉の段階でそれぞれの職人へまわす。ここからは、床几に腰掛け、仕上げ砥ぎに用いる道具を入れたり、上部に刀身を置ける砥ぎ箱を用意して、主に親指で砥石を扱い、作業を行う。また、羽取りでどこまで刃を白くするかは研ぎ師のセンス、時代の要求があり、現在では、うっすら羽取りの下の刃が見える程度の白さが上品と言われている。刀を見慣れない人は、この刃取りを刃文の形と誤解しがちだが、刀身を太陽や白熱灯に透かして見て、刃取りの白さの中に見える匂い口が、刀の本来の焼き刃である。後、細かい作業などもあるが、流しを入れて刀剣研磨の工程は終了する。作業には、備水砥から始めて、10日から2週間程度掛かる。錆が酷かったり、打ち下ろしの刀の場合は、更に掛かる場合もあり得る。研磨は、工程が進むにつれ、微細な傷でも取れなくなり、工程を前の工程へ返したり無駄が多くなるので、作業場を清潔に保つのは基本的な心構えである。特に、備水等、荒い砥石で研ぐ場合、必要以上に研ぎ落とすと元に戻らないため、十分気を付けなくてはならない。近年は、鑑定書取得等を目的とした刀剣研磨が頻繁に行われており、研磨の頻度は実用された戦国期を除いて、歴史上で最も高いと言えるが、文化財である美術刀剣を保存する意味において、朽ち込み錆を落とすといった刀剣保護の目的以外で研ぎに出すのは、刀身を無意味に減らすことにもなる。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。