鶴見神社(つるみじんじゃ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央(旧・武蔵国橘樹郡鶴見村)に鎮座する神社。旧社格は村社。神紋は有職鶴(ゆうそくづる)。横浜・川崎間の最古の神社とされる。当社の本殿は、杉山大明神と天王宮の二社相殿となっている。鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。1962年(昭和37年)、境内の古木が倒れた際にその根元から弥生時代後期の土器や古墳時代の土師器、鎌倉時代に至る祭祀遺跡が発見された。これにより、創建伝承以前から祭祀の場となっていたことが確認された。また、2005年(平成17年)の施設構築時に貝層の中から弥生時代終末期〜古墳時代前期のものと思われる土器片が出土している。さらに2008年(平成20年)の調査では境内から貝塚(鶴見神社境内貝塚として横浜市指定史跡に指定)が発見されており、先の貝層との関連が考えられる他、今回発見された貝塚の周辺からも古墳時代前期の竪穴式住居跡が確認されている。江戸時代の国学者・黒川春村が『杉山神社神寿歌釋』で考証し、鎌倉時代より伝えられた神事芸能「田遊び」は、1871年(明治4年)に絶えたが、1987年(昭和62年)に再興され、現在に至る。また、相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものとされる。社殿は、1753年(宝暦3年)に再建され、1853年(嘉永6年)には名主・佐久間権蔵が社殿を改築したという記録がある。1911年(明治44年)3月31日、火災のため社殿が全焼し、1915年(大正4年)11月に再建された。境内地はかつて約5000坪に及び、鎌倉将軍・藤原頼経が1241年(仁治2年)に参詣した際に奉納したと伝えられる欅(前述の古木)や富士塚(境内の奥に現存)のほか、大きな神木が茂っていた。この神木に関して、一つの伝承がある。江戸時代のこと、その神木の中でも大きな檜が人々の信仰をあつめていた。あるとき、江戸の芝居小屋の棟木にするため、この檜の巨木を切り倒したところ、病人が出るなど奇怪なことが続いた。そこで、この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。鶴見神社は、古来、杉山大明神(杉山神社)と称された。「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在鎮座し、数十社が現存する。この「杉山神社」は、武蔵国都筑郡内唯一の式内社だが、所収された神社の所在は確定していない。そのため、鶴見神社も「杉山神社」の論社の一つとされる。ただし、当地である鶴見区は都筑郡ではなく橘樹郡に属していた。※港北区岸根町、西区中央一丁目、保土ケ谷区星川一丁目の各地については当地と同様に都筑郡ではなく、橘樹郡(岸根と星川)および久良岐郡(西区中央)に属していた。
出典:wikipedia
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