妙法(みょうほう、Skt:Saddharma)とは、仏教において第一の最勝で不可思議なる法をいう。原語はサンスクリットで「法」(dharma) に「正しい・真の・善」(sat) を被せたもので、用語としては原始経典の『法句経』などでもすでに見られる。多くの場合はこれを「正法」と訳し、竺法護も『法華経』の原題を『正法華経』と名づけた。しかし鳩摩羅什はこれを『妙法蓮華経』と訳し直した。したがって『法華経』の正式名称が『妙法蓮華経』であることから、一般的に『法華経』を指して「妙法」という。法華経(妙法蓮華経)の二十八品のうち、妙法蓮華経方便品第二、妙法蓮華経如来寿量品第十六で主に説かれている。法華経の題名、妙法蓮華経の最初の一字が示すとおり、主に法華経において説かれた教義である。「爾の時に世尊。三昧より安祥として起って。舎利弗に告げたまわく。諸仏の智慧は。甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞。辟支仏の。知ること能わざる所なり… 無数の方便をもって。衆生を引導して。諸の著を離れしむ…(方便品)」等と、釈尊が弟子に対し機根が整う今まで方便を説いていたことを明かし、これから説く法は、いままで秘し遅らせてきた仏の第一の智慧であることを述べている。方便品第二で始まり、如来寿量品第十六で主なる教義は説き終えている。法華経を文上で最も深く理解したとされる中国の僧、天台大師(538-597)の教説『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』において詳しく講義されている。妙法は不可思議なる法というような一つの意味であるとともに、「妙」と「法」という二元性を同時に言い表す言葉・思想でもある。たびたび「妙」についての意味を講義とともに、「法」についての意味も講義されることが多い。「妙は仏であり、法は九界の衆生(仏以外)」、「妙は法性であり、法は無明」、「妙は有情、法は無情」といったように、妙に対して反する性質の意味を、法にもたせる場合が多い。その内の難解である「妙」についての詳しい仏教の教義は、以下の三義がある。「妙」とは微妙(みみょう)の略で、各宗派で唱える開経偈(かいきょうげ)には、
「無上深甚微妙法 百千万劫難遭遇」(無上の深甚微妙の法は、百千万劫にも遭遇し難い)とある通りで、微妙とはという意味や、という意味がある。
出典:wikipedia
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