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大町陽一郎

大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - )は日本の指揮者。東京芸術大学名誉教授。東京都生まれ。少年時代、作曲家呉泰次郎(1907年生-1971年没)が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学するも、指揮への興味が募り、指揮法を渡邊暁雄、クルト・ヴェスに師事。その後、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学し、指揮をハンス・スワロフスキー、フランコ・フェラーラに師事。カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤンの薫陶を受ける。1968年、ドルトムント市立歌劇場の常任指揮者。数多くのオペラ、オペレッタ、バレエの公演を手掛ける。1980年2月、日本人として初めてウィーン国立歌劇場に登場。同年8月にはクリーヴランド管弦楽団を指揮してアメリカデビューも果たし、1982年から84年までウィーン国立歌劇場の専属指揮者として活躍する。1992年には日中修好20周年記念公演として上海歌劇院より招かれ、中国人のみによる『トゥーランドット』を上演。さらに95、96年にも北京中央歌劇院で中国人のみの『トゥーランドット』(イタリア語による中国初演)を指揮し、同歌劇院の芸術名誉顧問となる。オペラ指揮者として、ベルリン国立歌劇場、プラハ・スメタナ国立歌劇場、ブラティスラヴァ国立歌劇場などに客演。コンサートでは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ベルギー国立放送管弦楽団などを指揮。1980年代にケルンの日本文化館長(在独領事待遇)として両国の文化交流を担当。(前任は渡辺護、後任は小塩節。) 1990年代にはソニー音楽財団(会長大賀典雄)主催の東京国際オーボエコンクールの審査員を数回に亘って務めた。教育の現場では、東京芸術大学オペラ科教授を務めた。現在は東京芸術大学名誉教授。多くの著書を残し指揮者の役割についての現場の体験から生々しくわかりやすく表現している。ドイツ人の妻を持つ。父権の復権を主張する立場から『ボスは父親なんだ』(電通、1992年)の著書もある。オペラの指揮を多く手がけている。シュトラウス・ファミリーの音楽にも造詣が深い。日本ヨハン・シュトラウス協会の設立にも携わっており、またウィーン・フォルクスオパー管弦楽団や九州交響楽団を指揮してウィンナ・ワルツを録音している。特に、フォルクスオーパーを指揮した録音は、異色の企画である。当時のウィンナワルツは、本場性が重視されるご当地音楽というイメージが強く、ドイツを含めたハプスブルク帝国以外の出身者が指揮した国内盤ウィンナワルツ・アルバムは、当時アーサー・フィードラー(ただし彼はドイツ系2世である)、ジョン・バルビローリ、レナード・バーンスタインのものしかなかった。さまざまな国の指揮者が、交代でウィーンのニューイヤーコンサートを指揮するようになった現代を先取りしていたともいえる。また、この録音はLP2枚相当の分量を3種類のLPに編集して(全部購入すると重複する)分売するという風変わりな販売方法が取られた。他の録音では、NHKの名曲アルバムや、アントン・ブルックナーの交響曲第8番などがある。

出典:wikipedia

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