河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、日本の映画監督・演出家である。不倫関係にあった女優・荻野目慶子の自宅マンションで首吊り自殺したことで知られる。1947年(昭和22年)生まれ。新潟県上越市出身。1965年(昭和40年)、フジテレビに入社。若くしてディレクターに抜擢された後はドラマ制作に活躍。その後、独立して制作会社、「ティンダー・ボックス」を設立した。1985年(昭和60年)にはTBSのドラマ 『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』の演出に携わったが、これは荻野目慶子との不倫関係が始まる契機ともなった。河合は翌年、武田鉄矢主演の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』で映画監督デビューした。1990年(平成2年)4月、不倫関係がおよそ5年に及んだ荻野目の自宅マンションにおいて、首吊り自殺。1985年(昭和60年)、テレビドラマの撮影を通して、当時20歳だった女優・荻野目慶子と知り合い、熱心な演技指導を続けているうちに交際が始まった。河合には当時、妻と長男がいたため、これは不倫関係であった。交際3年目となった1988年、荻野目は両親の家を出て一人暮らしを始めた。その頃から河合は荻野目のマンションに入り浸るようになった。半同棲状態となった二人は、一度は結婚を決意したとも言われたが、1989年春頃には2人の関係が河合の妻にも知られるところとなり、波乱状態になったという。河合は1990年(平成2年)4月30日、東京・世田谷区南烏山の荻野目の自宅マンションで首吊り自殺死しているところを、帰宅した荻野目に発見される。台所とリビングの間のドアにマフラーをかけて首を吊っていた。享年43。警視庁成城警察署に事情聴取された荻野目は、「私から別れ話を持ち出したら、河合は『別れるぐらいなら死にたい』と言っていた」と涙ながらに語った。また、この一件で大きな精神的ショックを受け、記者会見等マスコミへの対応ができなくなった荻野目に代わり、実妹の荻野目洋子が会見を行なった。河合は自殺する前日まで、同月にクランクインが予定されていた映画『もうひとつの原宿物語』の台本執筆で新宿の旅館に宿泊していた。メーンのキャストが決まっていたにもかかわらず、突然「荻野目慶子を使いたい」と言い出したこともあった。河合の死去後、当該映画は勝プロダクション出身の脚本家「石田芳子」が引き継ぎ、石田の初監督作品となった。
出典:wikipedia
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