戸沢 光盛(とざわ みつもり)は、安土桃山時代の大名。戸沢氏の第19代当主。出羽角館城主。家系は平衡盛を祖とする戸沢氏。天正4年(1576年)、第16代当主・戸沢道盛の子として角館城で生まれる。天正18年(1590年)、兄で第18代当主の戸沢盛安が早世し、その実子である戸沢政盛も幼少だったため、家督を継いで第19代当主となる。豊臣秀吉の奥州仕置では領地を安堵され、「出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳」では4万4350石余の所領を安堵されている。天正20年(1592年)、豊臣秀吉による文禄の役が始まると、それに参加して肥前名護屋城に向かったが、その途上で発病し、3月15日(または5月15日)に播磨国姫路において死去した。享年17(4月15日に明石で死去、享年16とする説もある)。伝承によれば、播磨国塩屋(現・兵庫県神戸市垂水区塩屋町)にて疱瘡で死去し、塩屋の海岸にて荼毘に付され、禅昌寺(神戸市須磨区)に埋葬されたといわれる。また、その墓である五輪塔は、疱瘡除けとして信仰された。跡を甥の政盛が継いだ。
出典:wikipedia
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