長田 百合子(おさだ ゆりこ、1954年3月30日 - )岐阜県益田郡萩原町(現下呂市)出身。教育評論家、有限会社塾教育学院メンタルケア部門代表。同社・学習塾部門・取締役。愛知県教育委員会「愛知の教育を考える懇談会」委員、教師研修機関『埼玉師範塾』特別講師を務める。NPO「家庭教育再生機構」理事長。一般社団法人「日本家庭教育再生機構」理事長、栃木市教育委員会特別講師。愛知県各所に補習塾を置く『塾教育学院』を経営する一方、同塾のメンタルケア部門の代表を務める。いじめや不登校、非行、引きこもりやニート等の子供を抱える家庭に自ら出向き、問題解決に努めている。また、親を対象とした長田塾や子供を預かる長田寮を開き、親の意識改革と子供の訓練にも当たっている。1994年頃からはテレビ番組への出演や講演・執筆活動を活発化させ、教育に関する啓発活動を行っている。幼少時は強迫神経症に悩まされ、1964年には、離れにあった風呂場の不衛生が原因で、一年間風呂に入れなくなる。中学校の3年間は、入浴拒否が原因で同級生達からいじめを受け続け、家で灯油を被る等の自殺未遂を図ったことも度々あった。中学時代に受けたいじめの反動で、高校入学直後から「ヤンキー」になる。深夜の徘徊、乗用車の無免許運転、万引き、シンナー、喫煙、大量飲酒等を繰り返し、県内や近隣の県のヤンキー達が大勢見学に来るほどの問題児だったが、それでも学校には必ず登校していた。高校2年の秋、同級生だった夫と出会い、それを境に少しずつ更生していった。1972年、高校卒業と同時に名古屋へ出て、マックスファクターの教育部に就職したが、同年暮れに依願退職。20歳で結婚して学習塾の生徒募集の仕事に就くが二年で会社が倒産する。その後、塾教育センターを起ちあげて愛知の各所に小、中学生の学校授業を補習する学習塾を280軒以上開設、後に(有)塾教育学院や長田塾、長田寮を増設した。当時、塾の生徒募集の仕事をしていた時に子供の引きこもりで悩んでいる家族がおり、その子供のカウンセリングを担当したことが、メンタルケアへの道を歩む契機となった。メンタルケアを通じて社会や学校へ戻した子どもの数は、2000組以上にのぼる。1997年3月25日、毎日新聞社から出版された著書「親なら親らしく」の中で「メンタルケア」という言葉が頻繁に使われていた為、編集者がメンタルケアとはどういう意味かと尋ねると「カウンセリングでは違うという印象を強くしたくて考えた」と長田氏は報告した。当時の毎日新聞社が調べた結果メンタルケアという言葉が実在しなかった為「長田百合子の造語」と認めた。2001年9月講談社から出版された著書「親がかわれば子どももかわる」の中でも「メンタルケアとは長田百合子の造語である」と認めている。テレビ出演はCBCの夕方のニュースから始まり、フジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日の夕方のニュースでレギュラー出演を5年以上務めた。朝まで生テレビには出演多数。近年では、2011年2月放送の笑っていいとものワンコーナー『あなたの知らない世界』に尾木直樹と共にゲスト出演した。7月には「爆笑問題の大変よくできました!」にも、教育評論家として出演している。また、教育委員会や学校関係者の依頼に応じて講演活動をおこなっている。不登校、ひきこもり又は非行などで悩む当事者の家庭に出向き、当事者(親又は子)を罵倒する手法はテレビで幾度も取り上げられてきたが、様々な批判を浴びていて、民事裁判で敗訴したこともある。「長田寮」の元寮生から損害賠償(500万円)を請求された裁判において、名古屋地方裁判所の2006年12月の判決では「長田の行為は自身の社会的評価を高めるためのもの」と非難し、「本人の承諾を得ないままNHKの撮影に便宜を与えたり、『長田寮』指導員が男性をこづいたりした行為は違法」と認定したが、損害賠償請求権の時効が成立しているとして、訴えを棄却した。その後、2007年9月の控訴審判決で、名古屋高等裁判所は、長田らの行為の違法性を改めて認定したうえ、一審判決を変更し長田側に100万円の賠償を命じた。
出典:wikipedia
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