LUNA SEA(ルナシー)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。1989年に現メンバーで結成し、1992年メジャーデビュー。2000年に終幕を宣言し活動を休止したが、2010年に活動を再開した。SUGIZOと真矢、またINORANとJはそれぞれ同じ高校に通っていたが、真矢以外の3人は中学も一緒だった。INORANとJにとっては初めてのバンドである。度々LUNACYのサポートに入っていた真矢が、INORANとJに正式加入を要請された際、「SUGIZOも一緒じゃないと嫌だ」と言ったため、LUNACYはツイン・ギターとなった。SUGIZO加入前はINORANが「仕方なしに」ギター・ソロを弾いていて、RYUICHI加入後も「JUNK(もう死んだふりさせない)」という未音源化の曲のみ、ライヴでギター・ソロを弾いていたが、それ以降は生来の性格や好みもあり、楽曲のギター・ソロはすべてSUGIZOが弾いている。作品については、メンバー全員が作詞・作曲に参加し作り上げる。まず、メンバーの1人が原曲となる曲を持ち込み、それを元にメンバー全員で作り込んでいくジャム・セッションという方法を取っている。CDなどの音源で公に出す前にライブで発表することもあるが、詞やアレンジが大きく変更されることも多々ある。作詞は主にRYUICHIが担当するが、原曲者が歌詞を持ち込むこともある。作曲は、SUGIZO・J原曲のものがシングルのタイトルナンバーに採用されることが多く、カップリングにはINORANが原曲を担当したものが多く採用されている。また、「UNTIL THE DAY I DIE」、「Lost World」という曲でRYUICHIが、「inside you」、「ECHO」という曲で真矢が原曲を担当している。オリジナル・アルバムのレコーディングでは、まず最初に曲順を決めていた。これは、特に真矢の希望によるもの。初期の作品は、クレジットタイトルに作詞・作曲を担当したメンバーが表記されていたが、途中からは全て「作詞・作曲:LUNA SEA」としている。これは、著作権から発生する印税収入などの権利を公平にし、5人全員で作品を作っているという意味が込められている。LUNA SEAには、明確なリーダーが存在せず、また確立されていない。これについてJはNHK総合のドキュメンタリーで「全員が局面局面でイニシアチブを取れるから、責任を押し付けるようなリーダーはいらない」と発言している。意思決定は、全会一致が原則。提案に対し決は取るが1人が否定すれば、その案は棄却される。Jは「他のバンドさんの前に、5人がライバルだ」と語っている。このように、メンバー1人1人の個性が非常に強く時には衝突し合いながら緊張感溢れる音楽を作っている様子を称して、市川哲史は「独立国家共同体バンド」「音楽戦隊エゴレンジャー」「自己顕示欲のハルマゲドン」などと形容していた。また、LUNA SEAのファンを「SLAVE(スレイヴ)」と呼び、6番目のメンバーとしている。SLAVEは、オフィシャルファンクラブの名称でもあり、ファンクラブSLAVEは、LUNA SEAが終幕していた間も活動を続け、現在に至る。ちなみに、RYUICHIは結成当時RAYLA(レイラ)、真矢はローマ字表記でSHINYAと名乗り活動していた。LUNA SEAとは「月と海」と言う意味である(LUNAはラテン語 SEAは英語である)。インディーズ時代は、狂気という意味のLUNACYと言うバンド名であった。メジャーでの活動を視野に入れた彼らは、一つの意味に縛られず、また音楽的にも「深く」・「広く」という思いから、「〜CY」箇所を「〜SEA」にし、2語とした「LUNA SEA」に変更した。これはJの提案によるものである。また、2000年に発売されたアルバムには、初心に帰るという意味も込めて、旧バンド名である『LUNACY』というタイトルが付けられている。東京ドーム初の無料live「LUNACY 黒服限定GIG 〜the Holy Night〜」ではLUNACY名義でliveを行った。2015年開催のLUNATIC FEST.では、LUNACYとして両日オープニングアクトを行った。なお、ここに記載されている来歴は、ライブDVDである『THE FINAL ACT TOKYO DOME』のエンドロールとライブ・アルバム『NEVER SOLD OUT』のブックレットに記載されているLUNA SEA BIOGRAPHYを参考にしている。この年、メンバーの5人はソロ活動をしていった。まずRYUICHIは、本名の河村隆一でソロ活動を開始。アルバム『Love』は約300万枚という男性ソロシンガーとしては歴代最高の売り上げを記録し、年末にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、わずか1年の間にソロシンガーとしての地位を不動のものにした。また、俳優・タレントとしてもテレビやドラマなどにも出演し、お茶の間にも進出した。SUGIZOとINORAN・J・真矢も、それぞれに精力的な音源製作・ライブ活動で5人が5人独特の活動を展開して見せた。個々にシンガーデビューを果たし、ランクインさせた。1997年の活動休止中からソロ・アーティストとしてもキャリアをスタートさせていた5人は、終幕後も5人5様の活動を続けていた。また、多くのアーティストは解散後ファンクラブも終了する場合が多いが、終幕後もファンクラブSLAVEは存続していた。それぞれの活動(河村隆一・J・真矢・FAKE?・SUGIZO/SHAG)としてある雑誌のインタビューを受けた際に、LUNA SEA開幕について聞かれ、SUGIZO以外のメンバーはそれに肯定的なことを言っていたが、SUGIZOは「開幕してほしいっていう人はあのときの感覚を再体験したいだけなんだよ。」と発言し、断固として反対していた。しかし、市川哲史の著作『私が「ヴィジュアル系」だった頃』でのインタビューでは、LUNA SEAを「偉大なる失敗バンド」と位置づけながらも「失敗の要因を全部クリアできて、もう一度5人が人間的に繋がり合えるのであればリ・スタートとしてありかも。」と、再結成を完全否定しているわけではないことが伺える発言もしていた。2001年2002年2003年2004年2005年2008年2009年2008年5月の『hide memorial summit』への参加以降、結成20周年となる2009年を迎えてもバンドとしての動きは無く、再び事実上の活動休止状態に入っていた。結成21周年となる2010年5月29日、公式サイト上に公開された映像において「REBOOT」なるメッセージを発表。その日から毎月満月の日(6月26日、7月26日、8月25日)を経るごとに少しずつ映像が変化していき、8月25日の最後の更新においてメンバー全員の集合した映像が公開されると共に、8月31日に香港においてメンバー5人による記者会見を開くことを発表した。なお、香港は、アジア・ツアー中の2000年11月8日に「終幕」についての記者会見を行った地でもある。8月31日の記者会見では2008年以来2年ぶりにメンバー5人が公の場において一堂に会し、『LUNA SEA 20th ANNIVERSARY WORLD TOUR REBOOT -to the New Moon-』の開催がメンバーの口から発表された。ドイツ・ボーフム(11月27日)、アメリカ・ロサンゼルス(12月4日)、香港(12月11日)、台湾・台北(12月18日)、そして東京(12月23 - 24日)を巡る、LUNA SEA初の本格的な世界ツアーとなる。この会見の様子はUstreamでインターネット中継され、一般のファンも視聴することができた。11月27日、LUNA SEAにとって約2年半ぶり、また初のヨーロッパ公演でもあるドイツ・ボーフムでのステージを皮切りに、ワールドツアーは予定通りスタート。その後も初のアメリカ公演となるロサンゼルス公演、2000年のツアー「BRAND NEW CHAOS ACT II」以来10年ぶりの香港公演、台北公演をそれぞれ成功させ、復活した新しいLUNA SEAを日本以外のファンにも披露した。ツアー中の12月1日には突如12月25日の東京ドーム公演『LUNACY 黒服限定GIG 〜the Holy Night〜』を追加で発表。更にその公演は史上初となる東京ドームでの完全無料ライブとすることを併せて発表した。このライブは、結成当初の「LUNACY」名義での復活ライブとなり、インディーズ時代に行っていた「黒服限定GIG」同様にドレスコードを黒服に限定。そして、アジア公演前の12月10日には、東京ドーム3DAYS終了後のREBOOTツアーの追加公演となる2DAYSライブ『REBOOT -THE LAST COUNT DOWN-』を12月30日と12月31日に神戸ワールド記念ホールで開催することを発表。関西圏でのライブは10年ぶりで、12月31日の公演はバンド初のカウントダウンライブとなった。LUNA SEAの楽曲がインストバージョンで収録されている。LUNA SEAメンバーの演奏ではない。全て「LUNACY」名義で発表ドレミ楽譜出版社のものは、「LUNA SEA」「SINGLES」以外絶版。
出典:wikipedia
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