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南条元秋

南条 元秋(なんじょう もとあき、生年不詳 - 天正8年8月13日(1580年9月21日))は戦国時代、安土桃山時代の武将。父は南条宗勝、兄に南条元続、小鴨元清。通称・九郎、官位は左衛門尉。詳しい経歴は不明だが、もともと「九郎左衛門」は叔父の南条信正が名乗っていた。叔父・信正は天正4年(1576年)頃には「備前守」を名乗っていることが確認されるため、このころ襲名したものと思われる。なお、「吉川元春ほか連署書状」によれば、河村郡竹田谷(現在の三朝町付近)に所領があったことが分っている。天正8年(1580年)8月12日から13日にかけて行われた長和田・長瀬川の戦い(通称・長和田の十三日崩れ)で南条方の大将として参戦、吉川方の先陣・杉原勢と激しく戦ったものの相手方の猛攻により重傷を負い死亡した。『伯耆民談記』等によると重傷を負った元秋は植木縄手(現・湯梨浜町、旧・花見小学校前の道)で度々落馬して中間(ちゅうげん)によって辻堂の中で介抱されていた。重臣の津村長門が心配して来るのを中間は敵の追っ手と勘違いして元秋の首を切り降参しようとした。そのことに津村長門は激怒してその中間を切り殺したという。また、「東郷町誌」には鳥取市青谷町潮津(うしおず)神社の宮司の家の系譜に「南条元秋が橋津合戦での討ち死にを偽り、この家の養子となったのが4代当主・花原九郎左衛門源元穐である。」と記されていることが紹介されているが、真偽のほどは定かではない。

出典:wikipedia

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