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ポスト団塊ジュニア

ポスト団塊ジュニア(ポストだんかいジュニア)とは、日本の団塊ジュニアと呼称される世代の後に生まれた世代のこと。ポスト団塊ジュニアは、1975年から1984年生まれを指し、「団塊ジュニアの後に生まれた世代」と、「ポスト団塊世代の子供世代」の二つの意味がある。前者は団塊の世代の子供にあたる「真性団塊ジュニア」とも呼ばれる1970年代後半に生まれた世代、後者は1980年代前半に生まれた世代を指している。この1975年から1984年までに生まれた世代は、1990年代後半から2000年代前半にかけてのインターネットが普及した時期に社会人となり、新しいネット文化の担い手の中心となった。しかし、少年期の時代背景は、1970年代後半生まれと1980年代前半生まれの世代とでは、大きな断層が見られる。これは、「冷戦という“"長い安定期"”の終わり」「冷戦後という“"短い周期で変化する世界"”の始まり」である1989年(その年は昭和の終わりと平成の始まりでもある)を、何歳の時に体感したかによって異なるからである。1980年代前半生まれの世代は、「10歳の時点で冷戦が終わっていた」世代であり、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した1995年当時はまだ義務教育期間中という世代で、高校時代からネットや携帯電話に親しみ、女性はコギャル文化やお姉系などの新しい文化を形成し、概ね1990年代後半から2000年代前半においての青少年文化の担い手となった世代である。一方で、1970年代後半生まれの世代は、「小学校時代はまだ冷戦時代」であり、阪神・淡路大震災などが発生した1995年頃には既に義務教育を終えており、少年期にはファミコンなどに象徴される1980年代の青少年文化の中で育つなど、青少年文化としては団塊ジュニア(1970年代前半生まれ)の延長線上に位置している。ポスト団塊ジュニアは安定成長期に生まれた世代であり、団塊の世代やしらけ世代の親をもつ。親世代は高度経済成長の恩恵を多大に受けて育った世代であり、1975年の生涯未婚率も僅か2%であった(「一億総中流」も参照)。それ故に、一般的に言えば安定した少年時代をすごすことができた年代であった。特に1977年生まれは、小学校卒業が概ね1990年であり、冷戦が終わったころに小学校を出た世代である。又、この世代は出生数が急激に減少していった年代でもあり、1975年生まれが約190万人だったのに対し、1979年生まれは約160万人にまで減少している。ポスト団塊ジュニアの学生時代は、ポスト団塊ジュニアの前半と後半でかなり異なっている。ただ、教育面については1977年の学習指導要領で学んだ世代であり、ゆとり教育を受けた世代であると言える。基本的に団塊ジュニアの文化とほぼ同じであった。小学校に入学したころは、校内暴力が深刻化する時代であった。高校に入るころには、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが起こった1995年前半を境にいわゆる「コギャル文化」が一斉に開き、同時にMicrosoft Windows 95の登場によって、本格的なIT社会の時代に入った時代であった。又、学生時代中に教育や休日の変化に直面した人がいる世代である。教育の変化としては、1980年代に行われていたゆとり教育(ゆとりカリキュラム)から、「ゆとりの時間」や新学力観を取り入れた、新しい教育を受けたゆとり世代でもある。休日の変化としては、祝日法の改正、学習指導要領の改正、1992年(平成4年)9月12日以降の第二土曜日の休み、1995年(平成7年)4月22日以降の第四土曜日の休みなどである。そのため義務教育期間中に、1977年度生まれ以降は、第二土曜日の休みを経験し、1978年度生まれ以後は、学習指導要領が変わり、新学力観を体験した。この世代は「分数のできない大学生」といった著書が出るなど、一流大学でも分数や二次方程式ができないと学力の低下が指摘された世代でもある。また、1979年度生まれ以降は、1985年の祝日法の改正で、5月4日が国民の休日となったため、小学校入学時点で既に5月4日が休みとなっていた。さらに、1976年度生まれが中学校を卒業するまでは、全国の多くの中学校で男子中学生への丸刈り強制が行われていたが、1979年度生まれが中学校に入学する1990年代には、男子中学生への丸刈り強制が廃止されるなど、校則や管理教育の緩和が見られるようになった。大学受験は、少子化の影響で、倍率が高かった団塊ジュニア世代のころとは違い、ポスト団塊ジュニア世代(特に後半生まれ世代)では徐々に緩和されていった。受験人数の減少だけでなく、偏差値の変化、短大の大学改組に伴う大学の増加等もあり、大学入試はより易しくなっていった時代であった。卒業就職における時期は「失われた20年」にあたる就職氷河期を経験している。1997年(平成9年)卒業者と1999年(平成11年)卒業者を比較すると、「定職に就いている」が43.7%から24.9%に減り、「アルバイトで働いている」が28.5%から47.8%に増加した。また、団塊ジュニア世代までは高卒女子の主な就職先であった、事務・販売系(百貨店や金融機関など)の正社員の高卒求人は、1997年(平成9年)以降になると皆無に近いという状況になり、高卒で就職を希望する普通科・商業科の女子らに甚大なダメージを与えた。しかし、就職難を背景に大半は大学・短大・専門学校へと進学し、高卒で就職する者は2割程度に減ったため、高卒の就職問題はあまりクローズアップされなかった。短大卒や大卒の就職活動状況は、就職氷河期の真っ只中であったため、採用を見送る企業も多く、特に1997年(平成9年)のアジア通貨危機以後は「超氷河期」とも言われた。他には、1997年(平成9年)には就職協定が廃止され就職活動が変化し、1999年(平成11年)末には派遣の一般事務職解禁により、一般事務職を希望した学生は、正社員から派遣に切り替える企業の都合により、一般事務職で正社員になるのが困難になった。大学新卒者の就職率を見ると、1998年(現役の1975年度生まれが大卒)の就職率は66.6%となっていたが、2003年(現役の1980年度生まれが大卒)には、55.1%と就職率の統計をとりはじめて以来過去最低を記録した。そのような状況で就職活動を行う大卒浪人生はさらに厳しい状況となった。また、理系のように内定率が高くない文系大卒は、理系よりも厳しい状況であった。大学で就職が困難であったこともあり、大学院は理系を中心に12%まで上昇した。理系の場合、修士で就職するものは特に就職難に見舞われることは無かった。これは理系離れが深刻にも関わらず、技術職需要が活発であるためである(理工系大卒や高専卒も同様である)。ポスト団塊ジュニア世代の中で理工系大卒、理工系修士卒、高専卒だけがまともな就職活動をしたと言えるグループかもしれない(ただし、理系でも生物系などは日本のバイオ産業が不振なために就職は芳しくない)。文系の院卒は修士・博士・博士満期退学を問わず数は多くないが、深刻であり「高学歴ワーキングプア」を多数生み出してしまうこととなった。理系の場合であっても、博士後期へ多数進学したのが団塊ジュニア世代からの特徴であるが、彼らは不安定な任期付き研究員などで職を得るも、契約終了とともに無職となるケースが多発した。次に6年養成の医・歯・獣医学部卒である。医師の就職は安定したままであるが、問題は歯学部卒と獣医学部卒である。歯科医師や獣医師が過剰のため、歯科医師であるにも関わらず、年収が300万台という現実が多発した。獣医師も同じである。歯科診療所はコンビニエンスストアよりも数が多いとされ、結果的にワーキングプアに陥る者も多くなった。ペットクリニックも同様である。ポスト団塊ジュニア世代で何とか正規職員になれたものの希望通りの就職ができなかった者は、職歴を活かして「第二新卒」「20代」を武器に、2006年(平成18年) - 2008年(平成20年)に転職市場で「リベンジ就職活動」を行い、それに成功して年収を増やした者も多い。しかし、こうした者は幸運であり、転職活動によって年収が減ったケースも少なくなく、さらには転職活動がうまく行かず正社員から派遣やアルバイトに転落した者も多い。『平成17年版 労働経済白書』によれば非正規雇用から→非正規雇用となるものが39%、正規雇用から→正規雇用のままが34%、正規雇用から→非正規雇用となるものが21%、非正規雇用から→正規雇用となるものが17%という結果となった。一旦非正規職員となった者は非正規雇用間での就職が多いこと、非正規雇用から正規職員になるものよりも非正規雇用に転落する者が多いという結果となった。若年者(15歳-34歳)の非正規職員の数は内閣府調査で2001年(平成13年)の段階で417万人(21.2%)、2006年(平成18年)で総務省の調査で26%に達した。(この数字に関しては「希望格差社会」など労働問題や家族問題に関する本を参照のこと。なお、厚生労働省の数字は派遣や契約社員の数をカウントしていないので除外することとした。)2005年(平成17年)の時点で25歳~29歳の未婚率は男71.4%、女59.0%で、結婚ができない者も多く、受難が続いていることが推定され。2010年(平成22年)に時点でも30歳~34歳の未婚率は男46.5%、女33.3%、25歳~29歳の未婚率は男71.1%、女59.9%であった。将来の生活に対する不安も大きいため、結婚しても子供を作らない人も少なくない。生活防衛のために独身を選ぶもの、子を養育できるだけの経済力を得る見込みがないため独身を続ける者が増えており、親との同居壮年未婚者(35-44歳)も増大している。2008年(平成20年)の時点で250万人、15%以上である。2006年以降、ポスト団塊ジュニアが壮年期(31~45歳)に突入した。1997年(平成9年)ごろの30代前半男性の所得分布の最頻値は500-699万円帯であったものが、2007年(平成19年)に調べでは300万円-399万円帯が最頻値と、収入が激減しているという結果が出た。厚生労働省は、2011年(平成23年)の『労働経済白書』で、1970年代後半生まれのポスト団塊ジュニアの男性は、他世代に比べて非正規雇用から抜け出せない人の割合が高く、この世代の若者に非正規拡大の歪みが集中したと分析している。2020年以降、ポスト団塊ジュニアが中年期(45~64歳)に突入する。年収700万以上の給与所得者は平成23年国税庁調査で17%まで落ち込んでいる。この数字は団塊ジュニアが50代になった時、アッパーミドルにすらほとんどの人がなれないことを意味する(男性の賃金カーブのピークは50代前半である)。急激な勢いで所得は下落し続けている。デフレーション経済が20年も続いたためである。年功序列の賃金体系は既に解体されつつあり、ほとんどのポスト団塊ジュニアは50歳になっても現在と変わらないレベルの収入にとどまることになる。1990年代後半以降、日本人の所得中央値は年々低下し、2008年には1998年に比べ100万円以上低い448万円となった。なお、経団連のシンクタンクも2012年に「このままいけば2030年頃には日本は先進国の座から転落する」という予測をまとめており、ポスト団塊ジュニアが中年期となるころは日本の経済水準が中進国のレベルとなっている可能性がある。1970年代後半生まれの小学校時代は、概ね校内暴力が社会問題化した時代から、バブル景気が進展した時期に相当する。小学生の時期はまだ昭和時代であった。そして、バブル景気末期から崩壊期(1991年 - 1993年)の頃には中学生か高校生であった。中学時代から大学時代には、ポケベルが流行し、ジュリアナ東京の開店やJリーグ開幕など、バブルの余韻が残る時期だった。また、彼らが中高生の時代は、テレビの歌番組の衰退もあり、アイドル冬の時代と呼ばれた時期でもあった。また、20代の頃は、モーニング娘。をはじめとするハロプロ系アイドルの全盛期でもあった。一方で、1980年代前半生まれだと、小学校入学の時期がバブル景気の時期であり(特に1982年4月2日生まれ以降は平成に入ってから小学校に入学した)、小学校高学年は失われた20年に突入した時期である。ジュリアナ東京の開店やJリーグ開幕など、バブルの余韻が残る時期は、この小学校時代に当たる。そして、中学校時代から高校時代にかけての時期に、Windows95の登場とインターネット社会が到来し、ポケモンやハロプロが盛況を起こした。ポスト団塊ジュニアは服飾文化の成熟化の中で育ち、日本独自の若者服の文化を生んだ世代であった。小中学生時代はバブル景気に差し掛かった時期で、DCブランドを着る小学生が現れるなど、ジュニアファッションの流れが生まれ始めた。1990年代前半は、1970年代後半生まれは中学~高校在学、1980年代前半生まれは小学校時代に重なる。この時代で一世を風靡した特徴的ファッションとしては、男子では、Gショックブーム、スウォッチブーム(女子の間でも)、MA-1などのフライトジャケットブーム、ネルシャツなどの古着、ナイキのエアシューズ、サーフブランドシャツなどが支持を受けていた。サーフシャツに関しては、多くがサーフィンとは縁のない若者が着用していたりし、彼らは丘サーファーなどと総称されていた。風変わりなところでは、当時のJリーグ開幕に合わせて、男女とも腕に多数のミサンガを巻き付けるスタイルが、あるいは、ミネラルウォーターのペットボトルに水を入れて首に下げる(最終的には玄関に置き「猫除け」として使われるようになった)。ベルトの余った部分を敢えて、リングに通さず下に垂らしておく。ジーンズ、チノパンなどのパンツを腰ではく、いわゆる「ダボパン」「腰パン」というようなファッションも一部浸透していた。ネルシャツ、フライトジャケット、Gショックなどの当時定番アイテムは、1990年代に流行した若者向けドラマに出演していた木村拓哉などの人気俳優、当時一世を風靡した歌番組HEY×3に出演していた浜田雅功、ダボパンについては当時流行していたMCATやEAST END+YURIなどヒップホップ系ミュージシャンの影響も無視することはできない。ダボパンについては、当時私服通学が許可されていない制服着用義務がある学校でさえ、スラックスなどを腰から着用する男子が続出し、校則問題を揺るがすことにもなった。日焼けした肌、長髪など、当時の反町隆史、竹野内豊らがけん引した「ワイルド」と呼ばれるスタイルが一定の支持を受けつつも、対照的に「フェミ男」と呼ばれる中性的な女性的なファッション趣向を好む男子も1990年代中盤一定数存在しており、ウェーブがかったパーマを当てたカラーヘア、タイトな柄シャツやパンツに身を包む事を好み、当時、野島伸司脚本ドラマで一時代を築いた、いしだ壱成、黒夢の清春、当時若者の間で絶大な支持を受けていたバラエティー番組、めちゃイケに出演している武田真治などが主なファッションアイコンであった。女子の間では、バーバリー、ベネトンなどのブランド支持を受け、高校にバーバリーのマフラーやベネトンのトートバック等を愛用する女子が多数存在した。また、このひとつ前の世代、バブル期の若者ファッションに繋がる、ゴージャスな服装も好まれる傾向があったが、スウェードのようなベーシックな生地と共に、フェイクファーなどを首に巻いたりなど、豪奢なものにとらわれないファッションを構築したのは、前世代とは一線を画した。ブーツは、この世代から全般的に受け入れられるようになり、男子はエンジニアブーツ、キャンプブーツなどのローカットからミドルカットのブーツが、女子はハイカットのブーツが人気を博し。特に、女子のブーツはヒールが10cm以上だったり、厚底のブーツなど極端なシルエットのブーツも支持を得た。前半世代のファッションアイコンとしては、やはり安室奈美恵の存在が非常に大きかった。ほぼ彼女らと同世代ということも手伝い、彼女の表現したファッションはそのまま当時の女子に波及していった。ブーツと同様にカジュアルなスニーカー系も、同様の人気を博し、1990年代前半までは、ナイキからバスケット選手であるマイケルジョーダン特製モデルが毎年のようにリリースされ、特に人気が高くプレミアもついた。その流れを受け継ぎ、ナイキはソール部分にエアクッションを挿入し、それを透明化することで視覚的に華のあるデザインとし、1990年代中盤、空前のナイキエアシューズブームを引き起こす。学生らはこれらの商品を求め、また着用せず収集のみに徹するコレクターも出現した。他に、リーボック、アディダス、ニューバランス等のスニーカーも人気を集めた。ソックスにおいては、1990年代中盤以降、女子中高生の間で、ルーズソックスと呼ばれるスタイルが大流行し、校則が許せる範囲内の学校であれば大部分の女子がこのスタイルを取り入れていた。校則が厳しい学校であっても、登下校時に履き替える者も現れるなど、この流行に学校側は手を焼くことになるほどの社会現象となった。髪型においては、茶髪が一気にファッションの一つとして浸透しはじめ、ドラッグストアなどで様々な色とりどりのブリーチ剤、ヘアカラーが出揃うことになり、また併せて1990年代あたりから、マツモトキヨシなどの大手ドラッグストアも台頭しはじめることになった。1990年代前半は吉田栄作、浅野温子などの人気俳優女優の影響から、サラサラヘアブームが流行し、男女の間で浸透。サラサラ成分をうたう様々なヘアスタイルリング剤が登場。1990年代中期は、木村拓哉、江口洋介、豊川悦司、竹野内豊などの影響を受けて、ロンゲと呼ばれる長髪ブームが男子の間で流行。肩までかかるくらいの長髪であることがオシャレで、ちょっと不良なモテ要素として確立されていた。それに並行して整髪剤でオールバックにし、後ろ髪を少し跳ねさせるなどのヘアスタイルも一部男子で支持を受けていた。他方、1990年代中期から後半にかけて、小麦色の肌にすることが男女の間で流行になり、それは次第に夏に限らず春夏秋冬、一年を通して小麦色の肌であることが求められ、市街地では「日焼けサロン」と呼ばれる多数のサンタンマシン(日焼けマシン)が設置された施設が人気を博し、街は日焼けした若者で溢れかえった。その後、その程度が顕著になり、小麦色を通りこして真っ黒になった女子が続出し、彼女らは「ガングロ女子」と総称されるようになった。が、以後、このブームは衰え、街の日焼けサロンも店を畳むことになった。メイクアップとしては、それまで眉毛は自毛のまま、さほど手を加えない事が主流だったが、1990年代前半からは、手を加える事が主流になり、眉毛をほとんど落として、改めて眉をペンで書くという今に至る流行を確立したのも1990年代中期の女性、女子であった。1990年代後半、1980年代前半生まれは高校に進学し、ギャルファッション・ストリートファッション・B系・ルーズカジュアル・裏原宿系といった新しいファッションの担い手となった。このころ生まれた日本の若者服の枠組みは、基本的にそのまま2010年代前半まで続いたが、2014年頃にはギャル系雑誌の廃刊が相次ぐなど完全に衰退した。1990年代後半は、ポスト団塊ジュニア前半世代後半世代に関わらず、女子の間ではキャミソールと呼ばれる服装がブームになった。夏場になるとこのファッションに身を包む女子が続出した。今を以てしても、露出はかなりある服装が支持を受けていた。1990年代後半に入ると、デフレ傾向からユニクロをはじめとする低価格ブランドの浸透が進み、若者の間で安価におしゃれを楽しむ習慣が普及した。こうしてファッションの多様化・成熟化が完全に定着した。1970年代後半生まれである、真性団塊ジュニア世代の男子の間で主にブームになったおもちゃとして、1980年代前半のチョロQブーム、キン肉マン消しゴムブームなどが挙げられる。そして1980年代後半には、空前のビックリマンチョコシールブームやラーメンバーシールブームを筆頭に、怪獣メカであるゾイドブーム、タミヤ模型のミニ四駆ブームは、当時この世代の男子層の間で空前のブームとなった。これらの中では、ビックリマンチョコとミニ四駆が一際大きなブームとなり、ビックリマンアイスで旧シールが復刻するまでは、初期のヘッドシールと呼ばれるキラキラシールは珍重され、また小学生でありながら、チョコは箱買い、大人買いしたり、チョコを食べずに捨てシールのみ収得するという少年まで現れ、社会問題となった。ミニ四駆は、本体車両価格が600円と比較的安価で、またモーター、ベアリングやタイヤ、ホイールを変えて気軽にチューナップ、パワーアップできる要素が少年を引きつけ、1980年代後半に一大ブームとなった。全国的に様々なレースが催され、少年たちのミニ四駆を試す場所が用意されていた。この1970年代後半生まれの世代は、テレビゲームも黎明期から体験しており、ファミリーコンピューター(ファミコン)は初期のソフトから馴染みのある世代である。1980年代後半はファミコンの一大ブームとなった時代であり、特に1985年に登場したスーパーマリオブラザーズ、1986年から始まったドラゴンクエスト、1987年から始まったファイナルファンタジーの各ブームは、1970年代後半生まれの少年たちを興奮の渦へ巻き込んだ。ドラゴンクエストは特に2以降は熱狂的になり、ソフト発売日にはカメラ店などで長蛇の行列となり、当時の小中学生が学校を休んでまで買いに行ったり、また購入者を狙った恐喝事件やひったくり事件が発生するなど社会問題ともなった。いわゆる真性団塊ジュニアと呼ばれる1970年代後半生まれは、依然車に関心がある男子が多い世代であった。彼らが免許を取得できるようになった18歳は概ね、1990年代中盤~後半にあたるが、1990年代の車業界といえば、まだ排ガス規制が施行される前の時代であり、マツダRX-7,トヨタスープラ、三菱GTO、ホンダNSX等、国産メーカー各社はスポーツカー、時としてスーパーカーと言えるレベルの車種をフラッグシップモデルとして次々に投入していた。真性団塊ジュニアの若者達もこぞってこのブームの洗礼を受けた世代である。しかし、まだ高校~大学生、あるいは新社会人であった彼らは、当然NSX、ソアラのような高級車を入手することはできず、概ねそのひとつ前の旧車とお手頃な中古車として手にして、週末や平日の夜のドライブを楽しんだ。まだ、当時はポケベルやPHSに留まり、さほどIT等が普及しておらず、余暇の限られた部分があったために、若者達の生活の中心は、都会部であってさえも、車中心という者が多く存在した。ナンパなども車を介して行われる事も珍しくなかった。特に当時、若者達に人気があった車種は、マツダRX-7のFD3Sであったが、ロータリーエンジンのメンテナンスコスト、当時のスポーツカーでも悪名高い燃費の悪さによって、経済力が乏しい当時の若者が維持できず手放すというケースが続出した。尚、この世代がスポーツカーを中心とした車ブームに浸かった背景としては、当時初代プレイステーションが開発され、グランツーリスモシリーズが大ブームを記録したこと、また車をテーマとしたアニメ、イニシャルDのブームなどサブカルチャー面の影響もあった。これらメディア、ゲームの特徴としては、架空のスーパーカーや市販されていないようなスーパーカーが登場。というよりは、市販されている国産スポーツカーをベースにチューニングして競う事が中心となる設定であったため、当時の若者達も実車で、同じことを体現できるという願望が、また実際のスポーツカーブームに結実させることにも成功した。それ故に、一部の若者は峠や深夜の首都高などで、交通法規を超えてしまうような違法、攻撃的な運転をするものも存在した。真性団塊ジュニアと呼ばれる1970年代後半生まれ世代は、中高の制服面においても、大きな転換点を迎えた世代であった。つまり、昭和期以来それまでベーシックユニフォームであった、学ラン&セーラー服というスタイルから、男女共にブレザーというスタイルを徐々に浸透させていた世代である。特に、私学校あるいは、公立校でも新設されたばかりの新しい中高では、この潮流にすぐに対応しはじめた。背景としては、後者の制服の方が、スタイルやデザインに多様性を持たせる事ができ、おしゃれに敏感であった当時の若者達の支持を得やすかったこと。また、学ラン、セーラー服だと、不良生徒が制服を変形させるようなことも、ブレザースタイルを導入することでそれを幾分回避させることができることもあった。と、それは同時に、セーラー服で長いスカートを着用することが、学ランでリーゼントやパンチパーマ、裏刺繍等をすることがダサイという価値観に結び付き、ブレザーで、丈の短いスカート、ルーズソックスを着用する、オールバックヘアなどをしつつ、Yシャツの裾はスラックスから出し、腰パンで崩して着用する。。等、制服に対しての考え方、立ち位置も徐々に変化しだしたのも特徴的であった。1970年代後半生まれに当たる真性団塊ジュニア世代において、熱心にアニメを視聴していた頃は、彼らの小学校時代であった1980年代が中心となる。1970年代後半生まれの男子層から特に人気を博していたアニメに、キン肉マン、ハイスクール奇面組、聖闘士星矢、Dr.スランプ アラレちゃん、ドラゴンボール、キャプテン翼、シティーハンター、機動戦士Zガンダム、などが挙げられる。これらの多くのアニメにおいては、当時子供たちの最大の玩具であったファミリーコンピュータと連動する形で、次々に主要アニメをテーマとしたファミコンソフトが1980年代中盤に登場した。この中では、特にドラゴンボールの人気が一際高く、1980年代に留まらず、1990年代以降もドラゴンボールZという形で継続。登場キャラもそれに合わせて成長し、団塊ジュニア世代の精神的成長によるアニメ離れをすることなく、この世代はドラゴンボールを視聴し続けた。そのような点において、黎明期から最盛期まで最もドラゴンボールの影響を受けた世代でもあると同時に、ドラゴンボール原作者でもあり、ドラゴンクエストモンスターデザインを手がけた鳥山明に対しての思い入れが強い世代である。また、この世代だけに限った事ではないが、藤子不二雄作品も引き続きこの世代の子供達に人気を博し、ドラえもん(F)を筆頭に、オバケのQ太郎やパーマンなどのリメイク作品、プロゴルファー猿、ウルトラB(これらはA)、キテレツ大百科、チンプイ(これらはF)などの新規作品も人気を獲得した。スタジオジブリ作品においても、幼少期から風の谷のナウシカや天空の城ラピュタなどTVではもちろんのこと、映画館に足を運んで見ていた世代でもあり、黎明期から終盤までリアルタイムでスタジオジブリ作品を観覧してきた世代である。1970年代後半生まれの女子層からは、1980年代中期に、スタジオぴえろ制作の魔法少女シリーズ作品が人気を集め、クリィーミーマミ、ペルシャ、マジカルエミ、パステルユミ等当時歴代の主人公が使用していた変身アイテムなどを当時の少女達は購入し、模倣する光景もみられた。1990年からは、アニメちびまる子ちゃんブームが起こった。家族全員で視聴できるコミカルな内容であり、当時中学生に上がるか上がらないかの世代の生徒らも、十分楽しめる内容であり、このアニメで使用された主題歌、BBクイーンズの「おどるポンポコリン」は、空前の大ヒットを記録した。1980年代は、まだアニソンというジャンルは確立されていなかったが、この頃のアニメ主題歌は、ノリがよい曲も多く、ドラゴンボールの「摩訶不思議アドベンチャー」、聖闘士星矢「ソルジャードリーム」、キャプテン翼「冬のライオン」等、未だこの世代のカラオケ定番曲として愛される傾向にある。携帯電話・PHSやインターネットの普及が始まった時期は1990年代中盤のころである。1970年代後半生まれは、高校卒業以後の大学時代や専門学校時代にインターネットと接触し、「つながり世代」と呼ばれることもある。なお、1999年にNTTドコモのiモード登場によって、高校生 - 大学生期には『ケータイ』は主役のツールとなっていた。20世紀末に高校生であり、コギャル文化を形成した女性を「コギャル」と呼び、ルーズソックスやプリクラなどを流行させた。コギャル文化は2000年から急速に衰退するが、コギャル文化を担ったこの世代の一部は大学生・OLなどによる「お姉系」として、引き続き流行の担い手として君臨し続けることとなった。1990年代後半には、コギャル世代の一部の者が、ファッションや携帯電話代や交際費などの遊ぶ金欲しさに、テレホンクラブで主に中高年男性相手の「援助交際」と言う名の売春行為を行ったことが、メディアで盛んに取り上げられ、深刻な社会問題となった。■ : ポスト団塊ジュニアを含む年齢階級■ : 年齢階級の最大値※在学中は除く
・2011年の数値は東日本大震災の影響により正確な値を調べることができなかったため補完的に推計した値(2010年国勢調査基準)となっている。

出典:wikipedia

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