1994年のオールスターゲームは7月19日及び7月20日に開催されたプロ野球のオールスターゲーム(球宴)である。正式名称は1994 サンヨー オールスター ゲーム("1994 SANYO ALL STAR GAME")前年、日本一になったヤクルトスワローズの野村克也監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、パ・リーグ制覇した西武ライオンズの森祇晶監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた1994年のオールスターゲームは松井秀喜、イチローを始めとして新庄剛志、伊良部秀輝、藪恵市(現・藪恵壹)、高津臣吾らのちにメジャーリーグでも活躍する若い選手が相次いで登場した。第1戦、野村監督は公式戦で打順が一度も4番で先発出場したことのない巨人の松井秀喜を全セの4番で起用した。当時、松井は20歳1ヶ月で両軍通じて史上最年少であった。試合を終始リードしたのはこの年、パ・リーグ優勝争いの台風の目として快進撃を続けていたダイエーの打撃陣で4安打の秋山幸二を筆頭に松永浩美・吉永幸一郎が3安打、ブライアン・トラックスラーが2安打と続き、計8点を挙げた全パがまず1勝をもぎ取った。続く第2戦は若い選手に負けまいと39歳の大ベテラン佐藤義則が全パの先発として3回1失点に抑える活躍を見せた。この年まで6人制だった審判が翌年より4人制になる(のちに6人制に戻される)。第1戦の試合開始を前にして野球殿堂の表彰式があり、世界のホームラン王・王貞治らが表彰された。王は翌年からダイエー(現・ソフトバンク)の指揮を執ることになる(なお、オールスターに戻ってくるのは2000年になってから)。なお、上記のセレモニーや種々のオープニングアトラクションの演出はテレビ中継したテレビ朝日によるものだが、あまりに時間が掛かってしまい試合開始予定時刻18:30から46分遅れで第1戦が始まった。この遅延について日刊スポーツの野崎靖博がテレビ局主導のイベントに苦言を呈している(翌日の記事で?)。
出典:wikipedia
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