IN.FIGHT(インファイト)は、Jリーグ・鹿島アントラーズのサポーター集団である。代表は鹿嶋市議会議員の河津亨。1991年の創設から鹿島サポーターの中心として活動を続けているサポーター集団であり、浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団などと並んで熱狂的な応援を続けていることで知られる。2000年代以降、ゴール裏では世代交代が進み、応援に対する意識も変化を見せていると言われるが、「ゴール裏から発信される声援で選手や監督を後押しし、試合全体の流れを変えるくらいの気迫で応援する」との基本的な姿勢(後述)は変わらないという。創設のきっかけについて河津は「1991年に前身の住友金属にジーコが加入しプロ化が間近に迫った」ことを挙げている。IN.FIGHTという名称は団員の多数決により決まり、スタジアムで入会を呼びかけるうちに徐々に人数が増え1992年秋には80人、1993年のJリーグ開幕直前には200人に増加。団員が増加した事で会費制を導入して活動資金に充てることになった。ブラジルのサンバを模した独自の応援スタイルでスタジアムでの応援を盛り上げ、同年7月に鹿島がファーストステージで初優勝を収めると鹿島町長から感謝状が贈られ、日本青年会議所茨城ブロック協議会から「いばらきTOYP大賞」のグランプリに選ばれた。娯楽の少ない地方都市にムーブメントを作り上げた行動は「町おこし」の観点から評価され、河津には「サポーターの代表者」としてマスコミの取材が殺到した。1993年の調査によると団員の男女比は4対6、年齢は10代が6割、20代と30代がそれぞれ2割で構成され、若い年齢層を中心に運営されていた。団員には入会の証しとして「IN.FIGHT 12」と刺繍された赤いリストバンドが配布されたが、12という数字は「サポーターは12番目の選手である」と呼ばれる事に由来している。団員の間には「真に鹿島を応援する人に参加して欲しい」という意向があり、下心をもって入会を希望する人を断るケースもあった。IN.FIGHTとしての活動が定着し、他集団やサポーターへの求心力が増すと1996年には年会費制を廃止し、グッズ販売の一部利益を活動資金に充てるようになった。創設当時は「若年層やミーハーと呼ばれる一般の観客層に仲間意識を持たせる」ことが応援スタイルと言われ、同時期に先鋭的な活動をしていた浦和サポーターとの比較に対し河津は「彼らに影響を受けている面もあるが、反面教師ともしている」と発言していたが、Jリーグブームが収束すると、メディアの取材に対して以下のような主張を行うようになった。また当時のメンバーは「浦和戦になるとモチベーションが上がる」としており、対戦時には浦和を挑発する横断幕の掲示(後述)や、浦和戦のために特別に用意したビッグフラッグの掲示(後述)を行うなど、浦和サポーターを意識したパフォーマンスを頻繁に行った。河津はゴール裏の最前線に立ちサポーターを統率していたが1999年にゴール裏からは退き政治家に転身している2007年の調査によるとIN.FIGHTは12の支部から構成され、試合前にはIN.FIGHT幹部と各支部のリーダーがミーティングを行い、各支部のメンバーへと応援方法が伝達される。実行部隊は「リード」「旗振り」「ビッグフラッグ」「太鼓」という4つの役割が分担され、試合が始めるとスタジアム全体を巻き込んだ応援が展開される。団員はドクロや龍の刺繍の入ったスカジャン、Tシャツ、マフラーを身にまとい、「攻撃的」かつ「一体感」のある応援スタイルを標榜している。一方で威圧的・暴力的な言動をとるメンバーが多く、スタジアムでの女性や子供への威嚇、選手やサポーターへの暴行などの問題行動が頻発している。2008年9月20日の柏レイソル戦にて発生した事件(後述)について、「従来の試合が白熱することにより興奮したサポーター同士で発生するトラブルとは一線を画す、欧州などのフーリガンを想起させる深刻な事態」と指摘された。スカジャンの種類は複数あり、IN.FIGHTメンバーのユニフォームと称されている。初代のスカジャンは1995年に作成され茨城県の地図を全面に配し、その下部に花札の「紅葉に鹿」を想起させるデザインが施されている。2代目は2000年に作成。3代目は2002 FIFAワールドカップ開催を記念して2002年に作成されたもので、鹿の頭部がデザインされている。4代目は2008年に作成されたもので、鹿島神宮の大鳥居と鹿がデザインされている。観客席を覆い隠すビッグフラッグは横幅30mを基調としており、大小さまざまな種類のフラッグが存在する。2代目のビッグフラッグは1997年8月30日にカシマスタジアムで行われた浦和戦で登場したが、30mのビッグフラッグを3枚重ねゴール裏スタンドを屋根から覆い隠す大きさのもので、鹿島のエンブレムを中央に配し、正面向かって左側に「"SOUL SUPPORTERS"」、右側に 「"IN.FIGHT"」と記されていた。大旗は多数所有しており、長年最前列で振られていたが2008年と2009年の事件・事故(後述)の対処として原則的に振ることができない。鹿島のオフィシャルサイト上でも観戦ルールとして、「国内外のすべてのスタジアムでの大旗を使った応援の全面的禁止」と明記されている。そのため、ビックフラッグの代わりにしたり、ゲーフラの代わりにしたりして使用することもあった。大旗を振らない試合は主にJリーグ公式戦、特にアウェイ戦で振ることはなかった。一方で、ホームのカシマスタジアム戦で2階席を開放しない公式戦やACL、天皇杯予選では1階席最前列(厳密には3、4列目)で大旗を振っていた。しかし、2011年元日の天皇杯決勝戦において国立競技場の最前列で大量の大旗を並べ振っていた(なお、準決勝で振られていなかった)。そして、2011年度シーズン開幕戦でカシマスタジアムでも大旗を最前列で振り、事実上の最前列の大旗使用が解禁された。
出典:wikipedia
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