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長野誠

長野 誠(ながの まこと、1972年3月30日 - )は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。漁師。「第50金比羅丸」船長。SASUKE2人目の完全制覇者。宮崎県延岡市出身。身長162cm、体重64kg(2012年12月時点)。体脂肪率は5.7%(2003年時点)。1年の300日以上を海の上で過ごす漁師。番組側からは「史上最強の漁師」というキャッチフレーズをつけられている。職場の仲間が見せてくれたビデオによってSASUKEの存在を知り、山田勝己に憧れ、SASUKE出場を決心。応募は冗談半分だったという。漁船の自室に家族の写真と並べて山田の写真を貼り、山田同様失敗したエリアのセットを自宅に作って練習したことから、「第2の山田」と呼ばれた。当初はSASUKE出場を家族が反対しており、これも山田と共通していた。SASUKEには2001年春の第7回大会に初出場(当時29歳)。船の高所で命綱もつけずに逆立ち、腹筋、人間こいのぼりをするという衝撃的な内容の応募ビデオがスタッフの目に留まっての出場となった。その後は第11回~第13回まで3大会連続でFINALに進出するなど驚異的な記録を残し、2006年秋の第17回に史上2人目の完全制覇を達成。SASUKE出場を続けているうちに自身も大きく出世し、2004年に「第28金比羅丸」船長となる。2012年からは「第50金比羅丸」船長となっている。スポーツ経験は特になかったというが、『黄金筋肉』の番組内の企画である「基礎体力測定」の結果、オリンピックアスリート並の身体能力を持っていることが判明(後述の「黄金筋肉(基礎体力測定)」も参照)。番組が世界に広がるに連れてその立役者でもある長野の名前も世界に知れ渡り、彼に憧れてSASUKEの世界に足を踏み入れるものも後を絶たない。そのため、各所で「レジェンド」、「生ける伝説」などとも呼ばれる。初出場は第7回。そり立つ壁でタイムアップしたが、放送では全カット。第8回は過去最速ペースの40秒以上を残してそり立つ壁まで進出するも、またしてもタイムアップ。大会終了後、自宅にそり立つ壁のセット設立。これは『筋肉番付』でも取り上げられ、出場を決意するきっかけとなった山田勝己の姿と重なるものがあったため、「第2の山田」と呼ばれて注目を集めた。第9回から挑戦時に黒のタンクトップに黒のズボンという服装が定着した。今大会はそり立つ壁を一発でクリアし、1stを22.85秒残しという最速タイムで突破。2ndも突破し、リニューアルされた3rdのトップバッターとなる。新設されたランブリングダイス、ランプグラスパーを突破し、最終エリア・パイプスライダーまで到達。惜しくも着地を失敗させたものの、3rd初挑戦にして大会最優秀成績者となった。第10回には正式にSASUKEオールスターズの仲間入りとなり、ゼッケンも999番と大きな躍進となった。長野の前に登場したオールスターズが3人連続で失敗しており、長野も負の連鎖を断ち切ることができず、1stジャンプハングでトランポリンの踏み切りに失敗して脱落となった。第11回は危なげなく3rdまで進出。第9回で失敗しているパイプスライダーも両足着地で成功させ、初のFINAL進出を果たす。スパイダークライムから綱への移行で手間取ってしまったことが原因となり、残り約3mでタイムアップ。その後のインタビューでスタッフから「(家族が反対している)SASUKE挑戦を続けるのか?」と聞かれ、「そこが分からないんです」と答えた。第12回は初のゼッケン100番となった。ゼッケン95番から5人連続1stクリアという状況であったものの、1stを15.82秒残しの最速タイムで突破。2ndも14.6秒残しの最速で突破し、1st、2nd同時最速タイムを達成。3rdも難なく突破し、再びFINALに進出。快調なペースで進み、タイムアップギリギリの所でボタンを押したものの、わずか0秒11の差で完全制覇を逃す。後のインタビューで長野は、ボタンを押す直前に風でロープが揺られたことが原因だと語っている。タイムアップギリギリであったためスタート地点に戻されることはなく、この時に初めてファイナルの頂上へ登った。インタビュアーから「下(景色)、見ますか?」と質問され、長野は「また、いつか来た時に」と語り、上から景色を見下ろすことはなかった。なお、今大会の完全制覇を逃したシーンは『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」の第7位に選出された。第13回前に行われたSASUKEトライアルに参加。1回目の挑戦はターザンロープからロープクライムへの移行で滑り降ちてリタイア。落下した際の残り時間は約33秒であった。2回目の挑戦で26.55秒という第2位のタイム(1位は竹田敏浩の28.82秒)を叩き出し、汚名を返上した。大会前には「第28金比羅丸」船長となり、練習量の減少が不安視された。第13回は1stを29.03秒残し、2ndを18.77秒残し、SASUKE史上初の2大会連続の1st、2nd同時最速タイムを達成。3rdパイプスライダーは僅か一振りでバーを後退させながらも着地を成功させ、3大会連続のFINAL進出。快調なペースで登り、最後はゴール地点まで手が届いたものの、またしてもタイムアップ。第14回は1stを竹田敏浩(32.44秒)に次ぐ30.00秒残してクリア。3rd最後の挑戦者となるが、新設されたジャンピングバーで落下。後のインタビューでは「ちょっと(滑り止めの)粉をつけすぎて滑った感じだった」と語っている。第15回は1stを23.5秒残しの最速タイムで通過。2ndでは前に挑戦した6人全員がクリアしていたが、挑戦前に「飛び移りが怖い」と危惧していたメタルスピンで初の2nd脱落となる。第16回は1stそり立つ壁で一回ミスをする場面があったものの、8.99秒残して突破。前回リタイアした2ndメタルスピンも無事にクリアし、2大会振りの3rdに進出。デビルブランコまで到達したものの、バーが後ろの休憩所に絡まってしまうというアクシデント。更にパイプスライダーのバーも掴み損ねて手の届かないほど前に移動してしまい、バーに飛びつきにいったがそのまま転落した。第17回は大会前に白鳥文平宅で竹田敏浩、秋山和彦と共に「SASUKE合宿」を行った。今大会は久々にゼッケン99番での挑戦となり、危なげなく1st、2ndを突破。3rdはトランポリンの長崎峻侑が先にFINAL進出を決めたのを見届けての挑戦となった。前回リタイアしたデビルブランコも落ち着いて対処し、パイプスライダーまで到達。初めて着地時に手をついてしまい、本人も「危なかった。ちょっと滑った」とつぶやくが、無事に4度目のFINAL進出を決める。快調なペースで登りきり、2.56秒残して史上2人目の完全制覇を成し遂げた。長野は直後のインタビューで実況の初田啓介に「(頂上には)何がありましたか?」と聞かれ、「ここには本当は何もないです。ただ、俺はSASUKEが好きで、オールスターズみんなとSASUKEをやることが凄く楽しくて、いつもそれだけで頑張ってます」と、涙を流しながら答えた。第17回放送の翌週にドキュメンタリー番組「SASUKEに生きる男たち」が放送され、オールスターズから祝福の声が届く様子が流された。初代完全制覇者の秋山は「もうSASUKEのチャンピオンは僕じゃなくて、長野誠です」というコメントを残し、かつて長野が憧れた山田は「道のりは長かったね。だからすごい感動できる」というコメントを残している。長野は第18回が大リニューアルすることに対して「SASUKEの進化は楽しみ。逆に俺を落としてくれというような気持ちもある」と語っている。なお、今大会の完全制覇を達成した『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」で最も多くの票を集め、第1位に選出された。全面リニューアルが施された第18回はゼッケン争奪マラソンで「90番〜99番あたりのゼッケンを取りたい」と発言し、宣言通り90番以上で唯一残っていた96番を取った。今大会はゼッケン96番の長野の挑戦前までクリア者3人という状況であった。長野は1stバンジーブリッジをただ一人二足歩行でクリアしてみせ、23.25秒残しの最速タイムで突破。2ndはスタートエリアのダウンヒルジャンプで勢い余って着地時に転落しそうになったものの、3人が脱落しているサーモンラダーに到達。長野はバーが傾いた後、下の位置にある方を強引に持ち上げる手法をとり、初の2ndクリア者となる。3rdは新クリフハンガー2本目から3本目に飛び移る際、左手で上の支柱を掴んでしまうというアクシデント。その際長野は「ダメです!ダメ!」と叫び、自らファールを申告して競技を終了した。長崎峻侑、高橋賢次と並んで最優秀成績タイとなった。第19回大会は3大会振りのゼッケン100番での出場。同大会はここまで2人しかクリアしていない状況であったが、快調なペースでフライングシュートまで到達。しかしジャンプの高さが足りず、ロープを手で掴んでしまったことによって勢いあまって転落。1st連続クリアの記録は8で止まった。第20回前に内臓の疾患で入院。当時の宮崎県知事である東国原英夫の激励も受けた。第20回は述べ2000人目の挑戦者としてゼッケン2000番をつけての出場。1stは前回同様2人しかクリアしていない状況であったが、無事に突破。2ndのスタートエリア・ダウンヒルジャンプでバランスを崩し、ロープを掴み損ねて落下した。第18回に着地を失敗しそうになったエリアだけに、長野自身「苦手意識が働いて、スタート前から落ちると思った」と述懐している。第21回は危なげなく1st、2ndをクリア。前回脱落したダウンヒルジャンプはソリを購入し、人工スキーを使って練習したという。3rdは新クリフハンガーをクリアし、最終エリア・グライディングリングに進出。滑らないリングを腕の力だけで最終地点まで進めたものの、ジャンプ前に力尽きて落下した。後に長野は「リングが思ったより滑らず、最終地点にたどり着くまでに腕がパンパンになってしまった」と述懐している。2009年1月に結婚した。第22回は1stの新エリア・スライダージャンプで順手・逆手で握ったことが仇となり、ネットまでの距離が足りずに転落した。第23回も1stスライダージャンプで落下。しかし、パイプに繋がっているロープがセットの鉄骨に絡まるというセットの不備が判明し、最初の挑戦から43分後、竹田敏浩のタンクトップを借りての1st再挑戦となった。2回目の挑戦では15.79秒残して1stをクリア。2nd、3rdも問題なく突破し、自身5度目のFINAL進出。FINALは頂上付近で惜しくもタイムアップとなり、自身8度目の最優秀成績者となる。第24回は1stジャンピングスパイダーの終盤付近でアクリル板から体がはみ出てしまい、そのまま滑る形で転落した。第25回は抽選によりゼッケンが決められていたものの、完全制覇の3人はシードとしてそれぞれ100(漆原裕治)、98(秋山和彦)が与えられ、長野はゼッケン99番での挑戦。1stで本人も「ここが不安」と語っていたサークルスライダーの踏み切りで高さが出せず、そのまま転落。自身2度目となる2大会連続の1stリタイアとなった。第26回前にはトランポリンの練習に励んだ。しかし第26回は1stのジャンピングスパイダーの張り付きに失敗し、自身初の3大会連続1stリタイアとなる。第27回は、3大会ぶりにゼッケン100番での挑戦。大会前は父が死去し、今回は「父のために2度目の完全制覇をする」と意気込んだ。1stを問題なくクリアし、2ndは1.65秒残してのクリア。4大会振りの挑戦となった3rdは初挑戦のアルティメットクリフハンガーの4→5本目で落下した。40代になって初めての挑戦となった第28回は、大会前にこれまでの「第28金比羅丸」から、新しく製造された「第50金比羅丸」の船長となり、ゼッケン100番での挑戦。オールスターズ4人の脱落を見届けた後の挑戦となったものの、1stの2連そり立つ壁の2つ目の壁でタイムアップとなる。同エリアでの脱落は第8回以来となった。第29回は、ゼッケン100番での挑戦。1stの新スタートエリアであるロングジャンプで右太腿を痛めるアクシデント。先へと進むも、前回同様2連そり立つ壁の2つ目でタイムアップとなった。第30回は、限界説が言われる中「塊王(長男)も理解できる年齢になったので、良いところを見せたやりたい」という思いを胸にゼッケン2999番で登場。前回負傷したロングジャンプは、両足着地に成功。2連そり立つ壁も1発でクリアし、3大会ぶり&40代になって初の1stをクリア。しかし2ndスワップサーモンラダーの2段目から3段目の移動失敗で失格。第31回は、ゼッケン争奪マラソンで決まった第18回を除き、第11回のゼッケン96番以来、約12年振りとなる99番、100番(記念大会での特別な番号は通常の番号に変換した場合)ではないゼッケンとなる98番をつけて出場したが、1stのタックルで脚力を大きく消耗。その影響で、そり立つ壁でタイムアップとなる。第32回、大会前に長野は前回の挑戦で体力の限界を感じ取り、SASUKEからの引退を決意した。ゼッケンは(記念大会である20回大会を含めて)最多15回目となる100番。前回リタイアしたそり立つ壁を残り20秒を切ったところでクリアし、警告音がなる中ランバージャッククライムを圧倒的なスピードで登り切ったが、あと僅かのところで惜しくもタイムアップとなった。しかし、44歳という年齢を感じさせないパフォーマンスに漆原裕治や朝一眞など多くの者達から「まだ全然いける」との声も挙がった。最後の勇姿を見届けた新世代組や山本進悟、妻の目には涙が浮かんでおり、かつて「長野と一蓮托生」と言われたオールスターズの竹田敏浩も「よく頑張ったよ、よく頑張った」と長野の15年間の戦いの結末を労った。挑戦終了後、引退セレモニーが行われ、オールスターズ・新世代・総合演出の乾雅人の寄せ書きが記されたペナントとステージクリアボタンがプレゼントされた。スピーチでは「このSASUKEを通して、今の若い子や子供たちが私の16年間を見て、夢や希望、そして目標を持ってくれたら、ここまで頑張った人に対して、喜びを感じて悔いなく引退できると思う。本当に今日までありがとうございました。」と語った。最後は仲間たちによって胴上げされ、1stの池に落とされた。過去7回の最速タイムを経験している。1stでは過去5回(SASUKEトライアル含む)20秒台のタイムを残しており、30秒台も一度経験している。第18回以降最速タイムから遠ざかっているが、長野は「以前より体が動かなくなったのもあるが、エリアを確実にクリアするため、あえてスピードを落としている」と語っている。過去3rdでは、クリフハンガー前で落ちた経験がなく、高確率で最終エリアまで進出している。また、出場者の多くが苦手としているパイプスライダーのジャンプは過去5回中4回成功している。第18回以降でも3rdの適性の高さを保ち、第21回には初めて最終エリアまでたどり着いた。第18回から第24回の7大会中4大会1stクリア、3回3rd進出は1位タイ。跳躍系エリアが苦手で、これまで第10回のジャンプハング、第25回のサークルスライダー、第26回のジャンピングスパイダーで跳躍時に落下している。14度(第20回記念大会での2000番を含めると15度)のゼッケン100番、8度の最優秀記録、5度のファイナル進出、31回のSTAGEクリア総回数はいずれも史上最多。1stを8大会連続クリアした経験もある。2nd進出回数は12回、3rd進出回数は10回で竹田、山本に続き史上3位。オールスターズで唯一、全カットの経験がある。2003年の第13回終了後、黄金筋肉内の企画として鹿児島県鹿屋体育大学で「基礎体力測定」が行われた。体脂肪率はマラソン選手に匹敵する5.7%を記録。長野は基礎トレーニングの経験が皆無であったにも関わらず、オリンピックアスリート級の数値を記録した。前田明助教授は「普段全くトレーニングしていない人がこの値を出すのは驚きです。」というコメントを残している。その反面、自他共に認めるほど柔軟性に乏しく、前屈で手が届かないほどである。フジテレビの「海筋肉王」にも2005年4月から10月にかけて過去2回出場。個人戦第2弾に初参戦。長野は1stの計算エリア・バーレイで不安を抱えつつも、SASUKEオールスターズで唯一の1stクリア。FINALまで進出し、バーティカル・ロープで残り約50cm及ばず完全制覇を逃す。初挑戦にして最優秀成績となる。個人戦第3弾に参加したが、本人が最も苦手とする1stの計算エリア・バーレイで落下。2010年1月7日のスポーツマンNo.1決定戦「モンスターボックス(跳び箱)公認記録会」に、山本進悟、竹田敏浩と共に参加。14段を記録した。

出典:wikipedia

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