キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本の作曲家、タレント、ラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所は昭和プロダクション。兵庫県宝塚市生まれ。五男1女の末っ子。趣味はゴルフ。タレントの木田美千代は夫人。上記の活動の他、実業家としても活躍。箕面市在住。関西学院高等部在学中の16歳の時、兄のアコーディオンに触れ音楽に目覚める。高校3年でタンゴバンドを結成(担当はアコーディオン)する。プロピアニストに転向後、作曲活動を開始。バンドメンバーには大学時代の同級生でもある藤岡琢也(担当はバイオリン)がいた。同じ舞台で活動していたかしまし娘からは「タローちゃん」と呼称されている。高島忠夫も大学時代の同級生。関西学院大学社会学部を3日で中退。2006年に藤岡が亡くなった際は悲しいとコメントをしていた。数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業社歌を手掛けたことから(2000曲以上とされる)、通称「浪花のモーツァルト」と呼ばれる。彼が手掛ける曲は、特に近畿の人にとっては耳に残るメロディであるようで、一時期は近畿の放送局が制作を手掛けるテレビ番組・ラジオ番組のテーマ曲のほとんどをキダ作品が独占するまでになった。近畿地区での業績が知られるところであるが、小山ゆうえんち、三原本店(仙台市、時計宝飾店)、マツオ(北海道滝川市、松尾ジンギスカン)など他地区からの仕事も少数ながら行っている。キダは「浪花のモーツァルト」の異名を持つ。「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現には続きがある。曰く、「浪花のモーツァルト キダ・タロー。しかし、もし彼がモーツァルトより先に生まれていたならば、モーツァルトが『ウィーンのキダ・タロー』と呼ばれていたことだろう」と続くという。過去の作曲家になぞらえた異名を取った作曲家が、本人も音楽史に大きな名を刻んだ例としては、“ナポリのモーツァルト”ことロッシーニと“シャンゼリゼのモーツァルト”ことオッフェンバックが有名で、奇しくも共にモーツァルトである。★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で収録されている。市町村歌などそれ以外※いずれも、ABCラジオでの出演。いずれも関西ローカルで放送以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。
出典:wikipedia
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