ジムニー("Jimny" )は、スズキ(1990年9月以前は鈴木自動車工業)が1970年(昭和45年)から市販している軽自動車のオフロード四輪駆動車である。通常「ジムニー」は軽自動車モデルを指すが、当項目では普通自動車登録であるジムニーシエラ、ジムニーワイド等についても併記する。ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型で軽量のパートタイム4WD車である。低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視したはしご型フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いている。これは現代の自動車において乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化、サスペンションの独立懸架化が進んでいる今日にあって独自かつ稀有な存在である。そのため、本格オフロード車として日本のみに留まらず、世界中でも高い評価が得られている。小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、特に純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても使用されている。一方、長年ジムニーユーザー = 高い悪路走破性の要求、という構図から、SJ30発売の時点で6.00-16の悪路用バイアスタイヤ(ラグタイヤ、いわゆる「ゲタ山タイヤ」)と、悪路用ラジアルタイヤ(MT = マッドテレーン)しか存在せず、RVブームの隆盛により高速道路での移動が必然となった時代になっても、不整地向け車両用両用ラジアルタイヤ(AT = オールテレーン)が追加されたのみになっていた。しかし、近年いくつかの事情からはじめから舗装路主体のいわゆる「街乗りジムニー」ユーザーが増えたため、タイヤメーカーも需要を見越してSUV向け舗装路用タイヤ(HT = ハイスピード・テレーン)の175/80R16サイズの設定をするようになってきている。2000年(平成12年)9月 - 2001年(平成13年)2月と2001年(平成13年)2月 - 2002年(平成14年)1月に FR車(前者:ジムニーL、後者:ジムニーJ2)が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップとなっている。40年以上の歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか2回とモデルライフが長いことが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年(平成20年)10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース)なお、本車は日本車として最後の2ストロークエンジンを搭載した車種(2代目 SJ30、1987年〈昭和62年〉5月迄販売)として知られている。また、ジムニーの愛好家は通称ジムニストと呼ばれ、日本のみならず全世界に膨大な人数がいると言われている。1977年(昭和52年)に発売されたSJ20以降、普通車登録のジムニーも発売され、日本国外でも販売されている。日本国外では輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」、「KATANA」などを使い分けている。マツダへOEM供給されたモデルはAZ-オフロードの名で、1998年(平成10年)10月から2014年(平成26年)3月まで販売された。日本国内での林業等での作業車としてだけで無く、狭い道路を擁する山岳地域・積雪地において、機動性の高いインフラ生活用車両としての根強い需要を持ち、同時に過酷な地域でのパトロールカーや郵便集配車としても用いられる。他、林道走破や釣り目的の山道・砂浜での走行、スキー目的での雪道走行にも耐えることから、それらを目的としたレジャードライブ用途にも用いられている。簡素で頑丈な構造ながら改造の余地が大きく、破損時の修復も比較的容易なため、トライアル、ダートトライアル、ヒルクライムなど、悪路走行を前提としたアマチュアモータースポーツに出場することも多い。ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(現・ホープ)から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年〈昭和42年〉完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長である鈴木修が、社内の反対を押し切るかたちで買い取ったことに端を発する。「不整地用万能車」と謳われたON型4WDは軽自動車ながら高い悪路走破性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者でON型4WDの開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。小野は当初、ON型4WDのエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年〈昭和45年〉の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行なったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1200万円ほどだったといわれている。このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である。鈴木修はもともと銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8ミリ映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという。ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WDの組み立てはほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼されたスズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WDは、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。1970年4月に軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車として発表。ON型4WDのドライブトレインは、前後リジッドアクスル、16インチホイール、2速のトランスファーなど、ジープ同様の本格的な構成であった。そこでスズキでは、ON型4WDの優れた機能はそのままに生かしながらも、自社生産向けに大変更を加えた。パワーユニットは自社の軽トラック・キャリイ用のエンジンとトランスミッションを流用し、ON型4WD同様に軽自動車枠内に収めた。規格品の鋼材を積極的に導入し、他の部品も自社の既存のものをなるべく流用することでコストを抑えた。また作業車としての用途に応えるため、トランスファーへPTO(動力取り出し装置)を組み込んで動力を取り出し、ウインチを動かすことができるようにした。このPTOウインチはSJ10/20まで純正オプションとして設定されている。その一方でスタイリングを重視し、武骨な形のON型4WDに比べ、スポーツ性を取り入れたデザインとなった。また商用車扱いとして販売価格や維持費を抑えるなど、購買、設計、生産技術、デザイン、営業などとの全方位的な折衝の末、商品として成立させた。発表されると、維持費の安い軽自動車でありながら、大型の四輪駆動車以上の機動力を発揮する実用性で、「それまでにない軽自動車」として市場に評価され、スズキの販売力もあって、大きな商業的成功を収めることとなった。この時代の日本市場で先行して普及していた四輪駆動車は、特殊なトラックを除くとトヨタ・ランドクルーザー、日産・パトロール、三菱・ジープという、格段に大型の3車種のみであったことも注目される要因の一つであった。当時のキャッチコピーは「自然に挑戦する男のくるま」、「男の相棒☆ジムニー」、「最前線志願」であり、カタログなどで使用された。1972年5月、発表。LJ10 との大きな違いは、エンジンを空冷から水冷に変更したことである。水冷となって快適な温水式ヒーターを得たことと、耐候性・安全性に優れるバンモデルの LJ20V が追加されたことも相まって、雪国や寒冷地を中心に販売台数を伸ばした。外見ではフロントグリル穴の形状が、LJ10系の横長型から、縦型に変更され、容易に区別できる。1972年7月には、ソニーと共同で LJ20 にソニーの18型カラーテレビとUマチック方式のビデオデッキを搭載した「ビデオジムニー」を発売した。トランスファーのPTO装置を使って発電し、電力を供給する仕組みであった。法人や自治体を販売対象と想定して、電源のないところでビデオの録画及び再生ができることを謳い、東京モーターショーにも出品したが、結局1台も売れなかった。ビデオジムニー専用の部品もあり、パーツリストには記載されている。1973年11月発売。フロントマーカーランプ(車幅灯)とフロントターンシグナル(方向指示器)が分離され、リアターンシグナルランプが赤からオレンジに変わった。1975年2月、幌モデルに向かい合わせの後席を持つ4人乗りの LJ20F を追加。居住空間捻出のため、スペアタイヤは荷室から車体背面に移動され、幌後半の高さも嵩上げされる。1976年6月、発表。1976年の法律改正により軽自動車の規格が変更され、それに対応して、旧規格の車体サイズのまま、新しいLJ50型エンジン(水冷直列3気筒2サイクル)を搭載し、排気量を550ccクラス(539cc)へと拡大する。愛称は「ジムニー55」となる。幌型で向かい合わせとなる後席の居住性改善のため、幌後半の高さを増大した。1977年6月、新しくなった軽自動車規格に合わせて、新規のホーシングとオーバーフェンダーにより、トレッドと車体サイズを拡幅する。SJ20との部品共通化により、エンジンフードは盛り上がった形状となり、前端にはエアインテークが設けられた。またステアリングホイールが太くなり、フロントバンパーも鋼板が厚くなった。さらにフューエルタンクが26リットルから40リットルに大型化され、航続距離が伸びた。1978年11月、ヘッドランプの取り付け位置(光軸中心)が下がり、それに伴いフロントグリルのデザインが変更される。また、幌タイプにメタルドアモデル(FM)が追加された。また、スイッチ類の設置場所変更など、操作性向上のためのマイナーチェンジが行われた。1979年、バンパーが黒色塗装され、ウインドーウォッシャーが電動式になるなど、装備を充実させるためのマイナーチェンジが行われた。1977年7月、発表。SJ10 の車体に排気量800ccのF8A型エンジンを搭載した輸出仕様のLJ80を基に、日本国内向けとしたものである。このF8A型は、スズキの4輪車では初めての4サイクルエンジンであり、軽自動車の枠には納まらないため小型車(登録車)となった。日本国内での登録台数は、1,799台にとどまっている。輸出向けでは、幌とバンの他に、ホイールベースを延長したピックアップトラックが設定されており、これは2代目にも受け継がれた。1981年5月、発売。11年ぶりのフルモデルチェンジとなり、快適性や操作性など、乗用車としての性能を向上させた。キャッチコピーは「Tough & Neat」(タフ アンド ニート / タフ = 頑丈な、ニート = きちんとした、こぎれいな)で、オフロードとオンロード性能の両立をうたっており、カタログも男くささや野性味を打ち出した70年代とはうってかわり、女性ユーザーをも意識したものとなった。いくぶん柔らかくされたリーフスプリング、前向きとなったリアシート、工具なしで簡単に前倒出来る幌モデルのフロントウインドシールド、フルメタルドアモデルの距離計がトリップメーター付きとなるなど、乗用車からの乗り換え組や、初心者でも扱えるよう配慮された設計となった。同時期、すでにスズキの軽自動車のほとんどは4サイクルエンジンの「F5A型」に移行していたが、不整地では低回転時のトルクが重要となるため、「LJ50型」が継承された。エンジンの改良により、最高出力は28PSに向上し、減速時燃料制御機構と二段式消音システムの採用で2サイクル特有の排煙と騒音を抑えている。トランスミッションは4速MTのみ。また、SJ30の取扱説明書にはハイオクガソリンを給油しないよう書かれているが、これはSJ30-1型発売当時、ハイオクガソリンが有鉛ガソリンだった名残であり、例によって「無鉛ガソリンをご使用ください」のステッカーもあるため現在の無鉛プレミアムガソリンを給油しても問題はない。この SJ30 型は、同じ軽自動車規格の JA71 型の登場後も、エンジン、電装系、内装等のマイナーチェンジを行いながら、1987年まで生産が続けられ、併売された。日本では最後のクランクケース圧縮型2サイクルエンジン搭載の4輪自動車となったが、2サイクルならではの粘り強いエンジン特性と軽量な車重から、未だに根強いファンを持つ。なおCMコピーでは「ジムニー」だけとなったが、SJ30 も JA71 発売以前(-3型まで)の正式な商標は SJ10 から引き続き「ジムニー55」である(取扱説明書に記載されている)。1981年5月発表。バリエーション1983年8月、マイナーチェンジ。幌ドアのFが廃止される。バンVA以外のフロントブレーキがドラムからディスクへ変更され、フリーホイールハブも設定される。又、全車にヒューズがガラス管からブレードタイプに、サイドミラーはドアミラーに、それぞれ変更された。バリエーション1984年6月、マイナーチェンジ。インパネ全面が樹脂で覆われた。またラジオの搭載方法が変更され、現在標準的な1DINサイズのユニットをダッシュボード中央部下に取り付ける形になった。クーラーがそれまでの後組み形に代わって、ディーラーオプションのビルトイン形に変更された。エンジンは点火系が改良される。1986年2月、マイナーチェンジ。全機種にELRシートベルトを装備。1987年9月、マイナーチェンジ。JA71 の登場により、SJ30 は車種を大幅に整理され、幌とバンそれぞれに1車種のみが残された。SJ30で唯一、フロントグラスに合わせガラスを採用している。同年11月、生産終了。日本国内では、1982年8月に発売。1981年にSJ410の輸出が始まり、日本国外で販売台数を伸ばしていた。しかし、ジムニー8の販売が芳しくなかったこともあり日本国内での販売は計画されていなかった。ところが、ユーザーから国内販売を求める声があがり、その希望にこたえる形で国内販売された。エンジンは、SJ20 に搭載された F8A 型をボア・ストローク共にアップして 970ccとした F10A 型を搭載した。このF10A型は、当時のスズキでは最大排気量のエンジンであり、セルボの輸出仕様車(SC100)にも搭載されていたものである。2代目となるボディやフレーム、駆動系は、直列4気筒の F10A 型の搭載を前提として設計されている。また、国内で販売されたジムニーでは初めてピックアップモデルが設定されたが、販売台数が321台と伸びず、この形式のみとなっている。荷箱は同社のキャリイのものを流用している。また、2型である SJ40T-DT はカタログには載ったものの、実際は販売されていないモデルとなった。ピックアップであるため、通常のモデルよりもホイールベースや全長が長くなっている。軽自動車枠の SJ30 とは異なり、195SR15タイヤを標準装着としていたが、15インチホイール(5.5Jオフセット+10)は、PCD139.7mmの6穴仕様となった。これは、ホイールを軽モデルに流用できないようにするため、当時の運輸省(現・国土交通省)の指導があったためとされる。ピックアップモデルのみ16インチホイールを採用したため、軽モデルと同じ5穴ホイールとなっている。1986年の貨物自動車排出ガス規制に対応するため、小型車登録のジムニーは JA51 に移行した。軽貨物車は昭和53年規制で普通乗用車同様の規制値が適用されていた。日本国内での登録台数は、6,558台であった。国内では3年ほどの販売であったが、日本国外モデルである SJ410 は、スペイン、インド、タイ、インドネシアなどで1998年頃までノックダウンおよび現地生産されていた。2007年4月21日、SJ413型ジムニーが南米オホス・デル・サラード火山で6,688m (21,942 ft)の自動車高高度走行ギネス世界記録を達成していた。1986年1月に発売。それまでの2サイクルエンジンに代わり、軽規格のジムニーでは初めて電子制御燃料噴射装置(スズキEPi)および4サイクルターボエンジンが搭載された。550ccのターボエンジンと、5速マニュアルトランスミッションの組み合わせにより、高速走行での余裕と静粛性は高まった。低回転域のトルクが2サイクルに比べ不足する反面、ターボが効くと出力が急に立ち上がるという二面性を持つため、オフロードではシビアなスロットル操作が要求された。スズキ自身もその点を良く把握しており、実用グレードとして従来の2サイクルエンジンを搭載したSJ30型も併売となった。1987年11月、インタークーラー装着車が登場。車両重量はわずかに増大したものの、最大過給圧が1.5倍にアップした結果、約14馬力の出力向上を果たす。バンはインタークーラーありとなしが併売されたが、後者は実用グレードとして細身大径タイヤを装着しており、最低地上高が他のグレードより20 mm高く設定されている。また、この時からエンジンの性能がグロス表記からネット表記へ移行した。小型車のJA51で登場していたパノラミックルーフが追加される。パーキングブレーキもプロペラシャフト部のセンターブレーキから通常の後二輪制動式に変更され、ボンネット上にインタークーラー用のエアスクープが追加された。フロントグリルもボディー同色の鋼板製からJA51型同様の樹脂製となり、フォグランプが内蔵された。内装は後のJA11と共通の物となるなど、主要部品の多くがJA11でも引き続き使用されることとなる。また、3型から4型まで、およそ90 km/hでブザーが吹鳴する速度警告装置が装備されている。1989年11月、軽ジムニー初の特別仕様車「ワイルドウインドリミテッド」(1000台限定)発表。1984年11月に発売。カルタスに搭載されていた3気筒のG10A型エンジンに1気筒を足して1300となったG13A型エンジンを搭載。1気筒増えたにもかかわらず、シリンダーブロックにアルミを多用し、約20kg軽量となった。また、普通車ジムニー初の5ナンバー登録(乗用)車が登場。1985年12月、ハイルーフに明かり取り窓を備えたパノラミックルーフを追加。1986年10月、普通車ジムニー初の特別仕様車「ウインターアクションスペシャル」(100台限定)を発表。1990年2月発表。(JA11-100001〜)軽自動車の規格拡大により排気量が110ccアップされ、前後バンパーも大型化された。これにより JA71 ではフロントグリル埋め込みだったフォグランプの位置が、バンパー上に変更された。JA71 に引き続き、バンは最低地上高の異なる2グレードが用意されたが、エンジンは全車インタークーラー付きターボに統一された。サスペンションスプリングとダンパーの見直しが行われ、オンロード、オフロード共に乗り心地と操縦安定性が向上した。マイナーチェンジで実用域でのエンジントルクの向上等、年毎に改良が続けられた。また、限定車を頻繁にリリースすることで市場での競争力を維持すると共に、その中で評価の高い装備を標準化する方針が採られた時期でもあった。1990年10月、限定車の「ワイルドウインドリミテッド」を発表(バンHCベース、1000台限定)。1991年6月、2型(JA11-150001〜)グリルなど外観を変更。最高出力が58PSに向上。ラジエーターファンのシャフト接続を直結からフルードカップリング接続へ変更。酸化触媒、EGRの採用により、平成2年排出ガス規制に適合した。又、このモデルからアルミホイールもディーラーオプションで設定される。1991年11月、限定車の「ワイルドウインドリミテッド」を発表(バンHCベース、2400台限定)。このモデルに限り、パワーステアリングが初めて装備される。 1992年7月、3型(JA11-200001〜)サイドミラーはドアミラーからフェンダーミラーに変更され、助手席側にはアンダーミラーも装着。一部のグレードにパワーステアリングを標準装備し、バンHCには3速AT車が設定された 。ルーフキャリアを標準装備とした、限定車の「スコットリミテッド」を発表(バンHCベース、3000台限定)。1992年11月、限定車の「ワイルドウインドリミテッド」を発表(バンHCベース、3500台限定 JA11-210767〜)。1993年6月、限定車の「スコットリミテッド」を発表(バンHCベース、3000台限定 JA11-230319〜)。1993年11月、限定車の「ワイルドウインドリミテッド」を発表(バンHCベース、5000台限定 JA11-245770〜)。1994年4月、4型(JA11-280001〜)廉価グレード「バンHA」にパワーステアリングを標準装備。安全関連装備の見直しも行われる。1994年6月、限定車の「サマーウインド」を発表(バンHCベース、4500台 JA11-285009〜)。JA11唯一の赤系塗装車を設定。1994年11月、限定車の「ワイルドウインドリミテッド」を発表(バンHCベース、5000台 JA11-297109〜)。1995年2月、5型(JA11-320001〜)マイナーチェンジ。これに先駆け、特別仕様車の「ランドベンチャー」を発表(バンHCベース)。エンジンはアルトワークスと揃えられ最高出力が64PSへと向上した。追って5型標準車も64PSへと揃えられる。このマイナーチェンジは三菱のパジェロミニの発売を意識したもので、3速オートマチックトランスミッション、フルトリム内装など、それまであくまで実用車であることを優先してきたジムニーにとって、おおよそ考えられなかった装備が採用された。1993年5月、発表。エスクードの登場により廃止された国内用登録車(小型車)ジムニーが、JA51以降の復活となる。日本市場への再投入で、型式は JB31 となり、トレッドのワイド化、燃料供給のインジェクション化、ギアリングの更なる高速化など、北米市場に合わせた改良がなされたがベースとなっている。軽ジムニーとの差別化のため、サブネームとしてオーストラリア向けジムニーに使われていた SIERRA(シエラ)が追加された。サムライのマイナーチェンジで、G13A 型エンジンはわずかに1.3Lを越え、仕向け地によっては税金や保険の区分で不利益をこうむるため、排気量を1.3L未満に抑えた G13B(G13BA) 型エンジンへ変更された。なお、JA51 までの小型登録(登録車)ジムニーは、一輪あたりの荷重(強度)の関係から、軽ジムニーのホイールの流用を防ぐため、国内仕様のみ6穴ホイールであったが、新規格の軽ジムニー用ホイールの強度が上がったことと、規制緩和でその縛りがなくなり、JB31からは再び5穴ホイールとなっている。PCDはいずれもホープスター・OM以来の139.7mmである。1993年11月から3速AT車設定。1994年6月、限定車「エルク」(1000台限定)発売。1995年5月、「シェラデザインズリミテッド」発売。1995年11月発表。サイドミラーは全車、フェンダーミラーからドアミラーに変更された。ジムニー史上初めて、サスペンションに従来のリーフスプリングに代わってコイルスプリングを採用し、主にオンロード走行における操縦安定性と快適性を向上させたモデルとなった。それまで軽モデルは貨物車(4ナンバー)のみであったが、前年に三菱からパジェロミニが出たことを受け、乗用車(5ナンバー)中心のラインナップに改められた。バンHAと幌CC以外はすべて乗用グレードとなり、後に4ナンバー車は消滅することになる。JA22 には、ジムニー史上初のDOHCとなるK6A 型エンジンが搭載され、パワーの向上が図られた。同時に高速時の静粛性向上のため、トランスファーの高速段のハイギアード化も進んだ。ユーザーの使用状況や、業務や山間部などでのニーズに合わせ、F6A 型SOHCエンジンを搭載したJA12系のバンおよび幌モデル(いずれも4ナンバー)は、従来どおりのギアリングのまま残された。パワーステアリングは、JA22は電動式、JA12には油圧式が採用されている。2型をもって、軽モデルとしては JA71-3 型からの設定であったパノラミックルーフ車が廃止された。後期型ではフロントハブの動力断続に、エアロッキングハブを用いたドライブアクション4WDシステムが搭載された。JA12 / 22の登場に合わせて1300シリーズもサスペンションスプリングがコイル化された。G13B 型エンジンはSOHC16バルブ化され、出力が向上した。すぐに特別仕様車「ELK(エルク)」が発表されたため、実際に販売された車輌はほとんどがこの仕様である。JB31 では軽モデルと左右スプリングの取付けスパンが異なっていたが(サムライの訴訟による改良)、JB32 は JA12 / 22 とコイルスプリングの位置は共通で、アクスルハウジング(ホーシング)の延長でワイドトレッド化している。広いトレッドど狭いスプリングスパンを持つため、オフロードのクローリングでの脚の伸び(接地性)が向上したと言われている。1998年10月13日、JB23W-1 型発表。(JB23W-100059〜125412)軽自動車規格の改正に伴いフルモデルチェンジされた。同時にマツダ向けにOEM供給を開始、オートザム店にAZオフロードが新設定される。デザインはそれまでの箱型から丸みを帯びたものに大きく変更され、車体寸法も拡大された。乗車定員は4名で、幌やバンモデルはなく、5ナンバーワゴンのみの設定となる。ただし、用途上貨物車扱いが必須となる郵政仕様など(現:日本郵便仕様)は一般向けと別に特に貨物化改造され、4ナンバー登録されている。ジムニー伝統のラダーフレームと、前後リジッドアクスルサスペンションを継承しつつも、衝撃吸収構造となったフレームやサスペンションなどはいずれも新設計され、オンロードでの操縦安定性と、オフロードでの走破性の向上を果たした。また、フロントのデフキャリアには、アルミ製がおごられているが、これは軽モデルのみの仕様となる。グレードは、黒バンパーで装備を簡略化したベーシックな「XA」、量販グレードの「XL」、最上級の「XC」の3種。それぞれに5速マニュアルトランスミッションと、4速オートマチックトランスミッションを設定し、計6車種での販売開始となった。パワーウインドウや集中ドアロック(1型XAは非装着)、エアバッグとABS(1型はセットオプション)などの装備も、乗用車同様に装備された。1999年10月、2型 (JB23W-200010-208859) へ変更。排出ガス規制に対応するための改良のほか、エアバッグ、ABSを全車標準装備し、安全装備も充実させている。XAにはパワーウィンドウも装備された。2000年4月、3型 (JB23W-210001-242251) となり、ABSユニットなどが変更された。※JB23W-225504以降のキーレスエントリー装備車は赤外線式から電波式リモコン(1ボタン)に変更となる。2000年9月、2WDモデルの「ジムニーL」を追加設定。2001年2月、2WDモデルのさらなる差別化のため、「ジムニーL」の後継車種として、車体色、エンジンフードから独立したフロントグリル、バンパーなどを専用に設定し、15インチホイール&タイヤを装備した「ジムニーJ2」を発表。2002年1月、4型となる (JB23W-310014-348640) 。エンジンフードと独立したグリルが採用された(J2では既に採用)。エンジンの改良、インタークーラーの大型化が行われ、中・低回転域のトルクが改善された。同時に2WDモデルのJ2が廃止された。2004年10月、5型となる (JB23W-400001-) 。マイナーチェンジ。インパネ意匠変更、トランスファーの切り替えがレバー式からスイッチ式へ変更された。同時にトランスファーの型式が変更になり、Hi / Lo のステップ比(それぞれのギア比の差)が大きくされた。マニュアルトランスミッションは、オーバードライブタイプ(1:0.790)を止め、5速を直結 (1:1.000) とし、代わりにデフを1:5.375から、1:4.909へと高速化した。これによりシエラを含め、マニュアル、オートマチックの区別なく、ファイナルレシオは統一された。リアシートの座面分割引き起こし機構が廃止され、座面一体固定式となった。2005年10月、6型となる (JB23W-500001-) 。ドアミラー変更およびマニュアルヘッドライトレベライザー等の装備がされた。2008年6月 7型となる (JB23W-600001-) 。シリンダーヘッドの改良で中・低回転域のトルクが改善された。エアロッキングハブコントローラと4WDコントローラが統合され、2H - 4L間の直接シフトが可能になった。空調温度調節ダイヤル変更、エンジン補機の変更など。2010年9月 8型となる (JB23W-650001-) 。エキゾーストフロントパイプ変更(キャタライザー)、故障診断装置追加、リアシートベルト機構の変更、シート表皮変更、ステアリングホイールのステッチ色をシルバーに変更、灰皿照明廃止、XC標準のオーディオの変更など。2012年5月 9型となる 。改正保安基準である「衝突時の歩行者頭部への衝撃緩和」に対応するため、エンジンフードの高さや構造を変更したほか、後席シートにISOFIX対応のチャイルドシート固定用アンカーを採用するなど、一部仕様変更を実施。2014年3月 マツダへのOEM供給終了。2014年8月 10型となる(以前発売され、11型まで改良されたKei同様、機種記号の世代を表す数字が2桁に対応していないため、数字ではなく"T"を使用している)。メーターやシート表皮などのデザインを変更した。特にメーターはガソリン・水温計・ATシフトインジケーターをデジタルに、タコメーターレッドゾーン領域は久方ぶりに変更され7000〜9000回転となる。軽規格変更が施行される10月まで発表を待ったJB23型に対し、これに先行して発表された。外見上の特徴はワイドトレッド用のホーシングと、オーバーフェンダーで、これを外すと新規格軽に合致するように設計されている。ただし内部にも相違があり、軽ジムニーとは異なりフロントのデフキャリアは一般的な鋳鉄製になっている。エンジンはG13B型をJB32から踏襲しているが、点火方式をディストリビューター+フルトランジスタから、ディストリビューターなしの同時点火(2コイルプラグヘッドコイル)とした他、カムプロフィールが多少異なる。4速AT車はロックアップ機構を持ちJB23用4速ATとは異なる。また、「JZリミテッド」という特別仕様車が存在する。タイロッドエンド形状を変更。一部のアルミホイールが装着できない状況を改善。1999年10月、グッドデザイン賞受賞。JMを廃止し、上級グレードのJZ のみとなる。最終JB33-116353。(当初から1型は存在しない。エンジン変更をマイナーチェンジととらえた特殊な表記である)グレード表記を変更。JZを「ベースグレード」へと改称。以後、装備のバリエーションは「特別仕様車」が補う。エンジンを 新開発のM13A 型へ変更したJB43Wは、当初、ジムニーワイドの名称のまま販売される。「ジムニーシエラ」に改名。日本国内でのシエラの名は、1998年1月にJB32W の販売を終了して以来の復活となる。JB23とともに4型となり、インパネ意匠やトランスファー切り替えをレバー式からスイッチ式とするなどの変更を受ける。ドアミラー変更およびマニュアルヘッドランプレベライザー等の装備が追加される。2006年1月、ルーフキャリア、撥水素材の内装トリムなど、アウトドアライフ向け装備を充実させた特別仕様車「ワイルドウィンド」を発表。2006年4月までの期間限定生産となる。2006年11月、2007年11月にも発売される。2006年6月、茶系の本革シートを採用した特別仕様車「ランドベンチャー」を発表。2007年6月にも発売された。2007年からの特別仕様車に関しては、2006年からの輸出モデルに採用された形状のフロントバンパーが装備される。JB33 および3型までのJB43 型は、JB23 と異なる遮光傘内蔵のヘッドランプを採用している。JB43-3 型からは JB23 とヘッドランプが共用となったが、日本国外用は依然遮光傘を採用している。JB23-7型の変更に準拠した空調パネルの小変更および4WDシステム(4WDコントローラとエアロッキングハブコントローラを統合)の変更など。特別仕様車として2008年6月、2009年6月「ランドベンチャー」、2008年11月、「ワイルドウインド」、2010年4月9日、誕生40年記念車、X-Adventure(クロスアドベンチャー)を発表。法改正に伴い車載故障診断装置を搭載。改正保安基準である「衝突時の歩行者頭部への衝撃緩和」に対応するため、フロントフードの高さや構造を変更し、フロントバンパーのデザインを変更。また後席シートにISOFIX対応のチャイルドシート固定用アンカーを採用するなど、一部仕様変更を実施。特別仕様車クロスアドベンチャー発売。ジムニー同様にメーターやシート表皮などのデザインを変更すると同時に、横滑り防止装置&トラクションコントロールを新たに標準装備した。併せて、特別仕様車「ランドベンチャー」を発売。北米では1971年頃に LJ10 が「ブルート」として約2000台輸出された後、間をあけて1985年から SJ413 ジムニー1300「サムライ」 () が販売された(SJ410ジムニー1000はアメリカ・ハワイ州にのみ輸出されていた)。また、SJ413 ロングホイールベース仕様はその後カナダで販売されていた。転倒訴訟1988年6月に「サムライ」が、コンシューマー・レポートにより、横転しやすいとしてアメリカ政府にリコールを要請された。これは「Jターン」と呼ばれる急旋回テストを行なった際、タイヤをリフトさせたという実験結果に基づいたものである。
さらにこのことがCBSテレビの報道番組「60 Minutes」に取り上げられたことで、購入代金返還を求める集団訴訟が起こされた。ただしこの訴訟は、事故の状況や関係者の証言から、全米ハイウェイ輸送安全局 () が、「すべてのサムライの事故は道路状況や無謀運転が原因」と裁定し、結果的にスズキ側の勝訴となった。この訴訟は、当時クライスラーの会長であったリー・アイアコッカが、巨額の開発費をつぎ込んだ新型車である、ジープ・チェロキーの販売を成功させるため、ライバル車の「追い落とし」キャンペーンを仕掛け、スズキがそのスケープゴートにされたという説がある。アイアコッカは以前フォード在籍時代に自社のブロンコの拡販のため、オフロード車の代表とも言えるAMCのジープ CJ-5()を相手取り転倒訴訟の槍玉にあげた経歴も持つ。なおこの説については「スズキジムニーの20年史」で取り上げられているものの、真偽は定かではない。なお訴訟の時期においてスズキは、サムライに自動車保険を無料でつけるキャンペーンを行ない、逆に売り上げを伸ばした。この後にサムライは、ワイドトレッド化、左右スプリングの取り付けスパンの拡大、ばねやダンパーレートの見直し、低ハイトタイヤの採用などにより、低重心化と操縦安定性の向上が図られた。この保護貿易政策に対抗すべく、スズキは1986年にゼネラル・モーターズ(GM)との合弁事業でカナダにCAMIオートモーティブ(カミ)を立ち上げ、1998年よりエスクードの現地生産版である「サイドキック」の販売を開始する。それと同時に、GMが立ち上げた小型車専用ブランドの「ジオ」からもエスクードのバッジエンジニアリングモデルとなる「トラッカー」の販売が開始され、ジオ消滅後もシボレーブランドでの販売が継続されていたこともあり、JB33 / 43 相当車の北米での販売はされていない。欧州では、スペインの現地法人であるサンタナ()が生産を行なっている。SJ410から生産を開始し、その後SJ413となり、現在は日本でいうJB33/JB43に相当する1300モデルが生産され、欧州で販売されている。SJ413サムライからロングホイールベースが生産、販売の主体となっており、サムライIIでは他の地域では見られないサンタナ独自のフロントマスクや、渦流室式ターボディーゼルエンジンが設定されるなど、欧州独自の仕様が目立つ。サンタナで生産された SJ410 には、「SANTANA」の銘板が付けられた。また、F10A 型エンジンのヘッドカバーにも「SANTANA」のロゴが鋳込まれている。JB43に当たるモデルには、2WDや、日本仕様にはないカブリオレ、ルノー製コモンレールターボディーゼルエンジン搭載車等が存在する。2006年モデルからフロントバンパー形状などが変更された。オーストラリアでは、日本で言う SJ10 に相当するモデルが LJ50 として、SJ20 に相当するモデルが LJ80 として販売された。LJ50 および LJ80 には、現地での使用状況に合わせ、日本では販売されなかったピックアップモデルやキャブシャシ(荷台なし仕様)が設定されていた。後に販売された SJ410 および SJ413 は「SIERRA」(シエラ)という名称で販売された。ロングホイールベース車も設定され、現地メーカーによるFRPトップを装着した車両もあった。また、GMとの提携に基づき、GMの現地ディーラーであるホールデン()に車体を供給し、「DROVER 4WD」としても販売された。スズキブランドである「SIERRA」との違いは、フロントマスクのデザインと、角形となったヘッドランプである。また、現地企業ブランドのため、税制面での優遇措置があり、「SIERRA」より安く販売されていた。東南アジアでは、SJ410と日本で言うJA51系統に相当する1,300ccモデル (SJ413W) が、かつてインドネシアやタイで生産されており、参考出品の形で東京モーターショーにも度々展示されている。途中からはロングホイールベース車のみの生産となり、インドネシアでは「SJ410」→「SJ413」→「カタナ」、タイでは「カリビアン」の名称で販売されていた。フロントマスクは 縦スリットから JA12 / 22 のものへ、さらに角型ヘッドランプの独自のものへと変わっているが、現地の事情に合わせ、SOHC 8 バルブのエンジンと前後リーフリジッドサスペンションを踏襲している。台湾など、アジア仕様のJB43相当車(SN413-2005モデル)搭載の M13A 型エンジンにはVVTが採用されていない。2006年モデルからは日本仕様のものとは異なるバンパーが採用されている。(のちに日本仕様の特別仕様車に流用される)なお台湾では2006年6月現在ATモデルを販売。インドではスズキの子会社であるマルチ・スズキ・インディアが「ジプシー」() という名称で、最初は日本でいうSJ40系に相当するモデル (SJ410) を、後にJA51系に相当するモデル (SJ413 / 413W) を ノックダウン生産している。日本ではピックアップ以外では販売されなかったホイールベース2,375mmのロングが中心で、2WDモデルも多く販売されているが、ピックアップは生産されていない。現在は4WD/2WDともにロングのみで、パワートレインは、G13BB 型 MPFI 16バルブガソリンエンジンに、5MT+副変速機付きトランスファー(4WD)の組み合わせとなっている。現地コーチビルダーによる多くの派生ボディが存在し、4ドアワゴンも存在する。SJ410 で鋼板の縦スリットであったフロントグリルは、SJ413 では JA11 系のものになっている。また、インドで生産した SJ410 を「SUZUKI STOCKMAN 4WD」として、オーストラリアへ輸出していた。
出典:wikipedia