ブライアンズロマンは日本の競走馬。「栃木の怪物」の異名を持つ。地方競馬の今は亡き宇都宮競馬場の末期を代表する競走馬の1頭である。種牡馬ブライアンズタイムの初年度産駒で、同年生まれのカルラネイチャーとは北関東ダービーで対戦し2着に敗れた。中央競馬における代表産駒であるナリタブライアンも同年生まれである。平地競走勝利数43は戦後日本におけるサラブレッド最多記録、重賞競走の勝利数17は日本2位タイの記録。主戦騎手は内田利雄で、栃木時代の内田を代表する馬でもある。育成段階から脚元に不安があり中央競馬の厩舎に預託を断られたため、母・ダイロマンが競走馬生活の後半に在籍した宇都宮競馬場に籍を置くことになったと言われている。競走生活の間は一貫して脚元の様子を伺いながらの競馬に終始したが、厩舎関係者の努力もあって良い意味で安定し、地元宇都宮のレースを中心に出走を重ねて行った。地元宇都宮では1995年から1998年にかけてとちぎ大賞典を4連覇し、栃木県での競走に限れば8歳秋(現馬齢表記では7歳秋)になるまで連対を外さないという強さと堅実さを見せ続けた。また、遠征しても1998年のダートグレード競走・さくらんぼ記念では中央競馬の競走馬を相手に勝利を収めた。その他、高崎競馬場の開設記念を制するなど、1990年代の北関東地区の最強馬として活躍した。2000年、9歳にして中央重賞(オールカマーGⅡ)に初挑戦。メイショウドトウやステイゴールドなどGⅠ級のメンバーが出走する中、最高齢・最低人気ながら中央馬含む二頭に先着した。なお、半妹・ロマンリバー(父・ダイナガリバー)も宇都宮競馬場に在籍していた。こちらも重賞・青峰特別を制し宇都宮から中央競馬のクラシック競走への挑戦も視野に入れていた当地の期待馬であったが、1996年2月3日の朝の調教中に放馬、競馬場から道路に飛びだして自動車と衝突、骨折してしまい予後不良になるという悲運に見舞われている。奇しくもこの日は、あのスーパーオトメが大井競馬場において競走デビューを果たして話題となった日でもある。引退後は種牡馬として太平洋ナショナルスタッドで繋養された。しかし、父・ブライアンズタイム、母父・ブレイヴェストローマン、母母父・パーソロンといずれも日本で成功している血統が重ねられており、しかも、父系が1990年代のサンデーサイレンス・ブライアンズタイムの大成功で全盛を迎えていたヘイルトゥリーズン系であるため、牝馬との配合の難しさや似た様な血統構成を持つ種牡馬との競合もあり繁殖牝馬の確保ができず、2007年8月に用途変更となった。その後は有志が「ブライアンズロマンの会」を結成し身元を引き受け、現在は北海道新ひだか町の荒木牧場で余生を送っている。ちなみに、この荒木牧場では平地最多勝馬のエスケープハッチ(アングロアラブ)も同じく余生を送っている。2003年産2004年産2006年産2007年産地方競馬62戦43勝、中央競馬1戦0勝。
出典:wikipedia
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