エリオ・カストロネベス(Hélio Castroneves 、1975年5月10日 - )はブラジルのレーシングドライバー。ブラジル南部の大都市、サンパウロで生まれる。1998年よりアメリカのトップカテゴリーであるCARTにベッテンハウゼン・モータースポーツからデビュー。翌1999年にはホーガン・レーシングに移籍するが、このチームはボディーに大きくチーム名がプリントされるだけの資金難のチームで、チームの戦闘力が劣ることもあり時折光る走りを見せるも中段の成績しか残せなかった。しまいにはシーズン終盤にチームがこのシーズン限りでの撤退を発表、最終戦もメルセデス(イルモア)エンジンが派手なエンジンブローを起こしリタイヤ、カストロネベスはこれでシートを失うことになると思われていた。しかし、そのレースで翌年ペンスキーへの移籍が決まっていたグレッグ・ムーアが指の骨折をおしてレースに出走し結果事故死、カストロネベスはムーアの代わりとして翌年からペンスキーに移籍することとなる。トップチームのチーム・ペンスキーに所属してからは速さを見せ、CART、2002年より移籍したインディカー・シリーズでもトップドライバーとして活躍し続けている。2001年と2002年の2年連続でインディ500に優勝し、2009年には3度目の優勝を果たした。また2002年の参戦以来2011年を除く全ての年で1勝以上しており、安定した成績を残しているが、未だにシーズンタイトルとは縁がない。2000年のCARTチャンピオンシップシリーズ第7戦デトロイトで初優勝を飾った際に、コースと観客席を隔てる金網によじ登るパフォーマンスを見せたところ、これが観客や関係者に大うけしたことから、それ以後レースで優勝すると必ず「金網登り」を見せるのが恒例となっている(最近ではチームスタッフも一緒になって金網に登っている)。そのため「スパイダーマン」の異名を持ち、観客からは彼が優勝すると「Come On!」と書いたプラカードを掲げて、金網登りを扇動する光景が見られる。2008年10月2日、米検察当局は国内で555万ドルの所得を隠した脱税容疑でカストロネベスを起訴した。ALMS最終戦にポルシェ・RSスパイダーで参戦予定だったカストロネベスはマイアミの連邦裁判所に出廷し自らの無罪を主張したが、有罪の場合は最大で懲役35年の可能性があった。カストロネベスは1000万ドルの保釈金を支払ったが、アメリカ国外への渡航が認められなくなるためオーストラリアのサーファーズ・パラダイスで行われるIRLオールスター戦への出場が困難となった。その後逃亡の可能性は低いと判断されたため出場は認められた。裁判の結果次第では2009年のインディカー参戦も危ぶまれたが、第2戦のロングビーチ市街地コースの初日のプラクティス開始の数時間前に無罪判決が出たため、このレースからインディカーに復帰した。2001年から2003年までのカストロネベスの決勝平均順位は1.33であり、3年単位のアベレージフィニッシュとしては歴代最高タイの記録(1970年から72年のアル・アンサーと同率)である。
出典:wikipedia
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