SB2Aは第二次世界大戦の初期にブルースター社が開発した艦上爆撃機である。愛称はバッカニア(Buccaneer)。ブルースター社が自社で開発し制式採用されて生産した最後の航空機となった。アメリカ海軍は1938年、新型艦上偵察爆撃機に関する要求をまとめ、国内各社に提示した。ブルースター社はこれに応えModel340の社内名称を付けた設計案を提出、前作SBA(SBN)の性能が高かったこともあり、海軍当局はこれを採用しブルースター社に開発を依頼した。Model340の細部を改修した試作機は1940年12月にXSB2Aの名称で発注され、1941年6月に初飛行し、前作SBA(SBN)を上回る性能を示した。これを受けてSB2Aとして制式化され、アメリカ海軍の他にアメリカ陸軍でも急降下爆撃機として採用し、A-34の制式番号も与えられたが、陸軍向けの生産が開始される直前に発注が取り消され、計画のみで終わった。イギリス及びオランダからの発注を受け、ブルースター社では量産型への改修作業と本格的な生産の準備に入ったが、試作機から量産型に改修するにあたり武装搭載量や装甲を改良・強化したことにより機体重量が増加し、動力銃座を廃止するなどして対策に務めたが、量産型は試作機に比べて大幅に性能が低下する結果となった。また工場規模の小さいブルースター社の生産能力の問題から生産も遅延し、イギリス向けの最初の生産機が完成したのは1942年6月のことであった。さらにイギリス海軍で少数を導入して評価テストが行われたが、採用はなされなかった。なおイギリス向けはバーミューダ(Bermuda)と命名された。またイギリス海軍は1961年から同じ愛称を持つブラックバーン バッカニアを配備している。オランダ向けの生産機は生産が遅延しているうちにオランダが降服してしまったため、1943年にアメリカ海兵隊航空隊向けの練習機として完成、主発注者のアメリカ海軍向けの生産機が全て納入されたのは、契約から実に1年半以上遅れた1944年5月である。この時には既にカーチス社の生産したSB2Cが大量に生産されて納入されており、SB2Aの量産機は実戦に出ることなく訓練や標的曳航、一部の機体は地上教材としてのみ利用された。ブルースター社は次に手がけたアメリカ陸軍向けの機体であるXA-32の開発に失敗し、以降はチャンスヴォート F4U コルセアの請負生産に専念したが、これも大幅に生産が遅延して問題となり、アメリカ海軍からの援助が打ち切られ1946年に倒産した。英国に供給されたものも含め、1945年の初頭には大半のSB2Aはスクラップとして処分された。*スペックはSB2A-2のもの
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。