フェリックス・キャンデラ(Félix Candela、1910年 - 1997年)はメキシコの構造家、コントラクター(建築業者)、建築家である。 スペイン・マドリード生まれ。1939年スペインに内戦が起こるとメキシコに亡命し、そこで設計活動を始めた。HPシェル構造を用いて構造と表現が一体化した流れるような曲線や曲面の空間を作り出したことで有名。1971年から米国に移住したが、キャンデラの作品のほとんどはメキシコに存在する。ミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサル・スペースがユークリッド幾何の極限の表象であるとするならば、球面幾何のそれはバックミンスター・フラーのジオデシック・ドームであり、フェリックス・キャンデラが手掛けたのは双曲幾何の建築学的表象であるHP(ハイパーボリック・パラボロイダル=双曲放物面的)シェル構造である。自然界においては貝殻に代表される薄膜構造のシェル構造が建築構造学的に優れている点は、応力が構造体の面内にのみ存在することで力が建築材料に均等に配分され、それゆえ梁や柱が必要でなくなり、軽量で耐久性のあるコスト・パフォーマンスに優れた建築物を作りやすいからである。事実、メキシコ・シティの地盤の弱さに関わらず、1985年のマグニチュード8.1のメキシコ大地震にあっても、キャンデラの建物はすべて無傷であった。1951年、キャンデラはメキシコ・シティの大学都市の中にある宇宙線研究所を建設する際、観測上、宇宙線を通すために極めて薄いコンクリート屋根が要求されるに及んで、HPシェル構造の優位性を直感し、それにより厚みが頂部でわずか1.5cm、基部でも最大4cmという驚異的なシェル構造物を実現させ、建築界に一躍その名を知らしめることとなった。しかも当時、コンピュータによる複雑な構造計算を頼むことの出来ない時代にあって、実験模型も作らずに構造力学的センスと直観だけでこれを行い、以後基本的に、簡単な手計算と実物大モデルの試行錯誤から得られた経験的勘によって行うキャンデラの設計スタイルは、終生変わることがなかった。キャンデラが後年HPシェルの大家と呼ばれるようになるのは、3ヒンジコンクリートアーチ構造の開拓者であり、それまでの伝統的な石造アーチ構造の橋梁から革命的な変化をもたらしたスイスの構造家ロベール・マイヤール(1872年-1940年)への敬慕のみならず、数学が得意なキャンデラ生来の幾何学的好みと構造力学的合理性へのこだわりがあった。しかもそれだけでなく、当時発展途上にあったメキシコにおいては、設計デザインをもっぱらに行う建築家という職業が成立し得ず、したがってコントラクター(建築業者)を兼業せざるを得ない環境の中で、何よりも工場や倉庫といった建物を安く早く請け負う必要があったからである。シェル構造の中でもHPシェルが持つ特異性は、軸方向性をもった二つの直線群がわずかずつずれて行く連続的遷移によって曲面が生み出されて行く点にあり、それゆえRC造においてはコンクリートを打設する際において単純な直線材の型枠で済み、施工が容易であるからである。また型枠を取り外した後に、直線材の使用によって結果的にもたらされるコンクリート面のプリーツ状の打ち跡は、そのテクスチャー表現(質感)において美学的に優れたものとなり、そのような身近な例を日本国内においては、丹下健三の東京カテドラル聖マリア大聖堂のインテリアに見てとることが出来る。意匠デザイナーとしての内的欲求が勝り、従って構造力学的に言うと厳密にはHPシェルの構造物として成立していない丹下健三の東京カテドラル聖マリア大聖堂とは異なり、対照的に構造家としての内的欲求の強かったキャンデラの建築は、その構造力学的合理性への志向のあまり、しばしばエクステリアのデザインやファサード(建築物の顔である正面性)が貧弱となり、建築界においてもキャンデラを建築家ではなく、単なる構造家と見なす向きもあった。しかしながら、表面的な形体だけの華やかさを競ったポストモダニズム建築が失速し、その思潮が後退するに及んで、構造に正直でミニマルなモダニズム様式であり、尚かつアクロバティックな空間表現を成立させているキャンデラの建築家としての力量が再評価されつつある。キャンデラの建築では、HPシェル面に大胆に開けられたスリットがトップ・ライトやハイサイド・ライトとして利用され、ことに教会建築においては、それらが魅惑的で幻想的なステンドグラスの光の乱舞となって降り注ぐ内部空間を生み出し、幾重にも重なり合うHPシェルの内壁面が織りなす光と陰の交錯とも相まって、建物の外観からは想像も出来ない程の心躍る劇的な宗教的空間をこの世に現出させている。
出典:wikipedia
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