内藤 信良(ないとう のぶよし)は、陸奥棚倉藩の第2代藩主。寛永2年(1625年)江戸に生まれる。同10年(1633年)に徳川家光に拝謁し、18年(1641年)に従五位下摂津守となった。寛文5年(1665年)に襲封し、豊前守に改める。同11年9月、弟の信全に新田5000石を分与し、このため棚倉藩の所領は4万5000石となった。寛文13年(1673年)、嫡男の信貞が早世した。後嗣として再従弟の弌信を迎え、延宝2年(1674年)に家督を譲った。元禄8年棚倉において死去、享年71。葬地は棚倉町の光徳寺、のち小石川無量院(廃寺)に改葬されたと伝えられる(『寛政譜』新訂13巻201頁)。現在は村上市の光徳寺に墓所がある。『棚倉町史 1』は棚倉藩内藤家を「浄土宗の熱狂的な帰依者」と推測し、また念仏講が盛んに行なわれたとしている。また「井上氏」の「検断日記」にこの行事に関する記事があるという(353から354頁)。『寛政重修諸家譜』は養子・養女を含め三男三女を記している(新訂1巻201から202頁)。※204頁の記述に拠る。202頁および東京大学史料編纂所蔵「越後村上 内藤家譜」では「信明」としている。分家となった信全の養子・内藤信有の嗣子。
出典:wikipedia
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