拓殖大学は台湾の開拓を実施するための人材を育成する教育機関として開校した(拓殖とは“未開の土地を開拓し、そこに移り住むこと”の意である)。初年度は独立した校舎を持たず、和仏法律学校(現・法政大学)の一部を借用していた。1901年には現在の文京キャンパスである小石川区茗荷谷へ移転している。第二次世界大戦前にアジア開拓など外地に携わる人材育成を目的としていたことから現在でも国際開発の人材育成を主力としている。拓殖大学の建学の精神は、台湾協会学校設立時に桂太郎が唱えた「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為な人材の育成」となっている。また当時学監(現在の学長に相当)だった新渡戸稲造の影響もあり、校歌にある「人種の色と地の境我が立つ前に差別なし」と聖書マタイによる福音書の一節を引用した「地の塩となれ」を教育方針としている。拓殖大学は第二次世界大戦前には拓殖学(植民政策学など)を中心とした教育機関であった。その為、学部構成は当時の名残を残しており、現在でも独立した法学部は設置しておらず、政経学部法律政治学科という政治学の一分野という立場で教育・研究が行われている。政経学部は、早稲田大学・明治大学に次ぐ古い歴史を持ち(第二次世界大戦前には専門部という名称であった)、もともと台湾への入植者に関する教育を実施する大学であったことから学問的な論点もさることながら実際に拓殖地においてどのように行政と経営を実施するかということを研究・教育する学問体系を取っていた。さらにこうした視点から法学まで内包した科目体制を取っており、現在でも法学は政治学の一分野としてのカリキュラム編成がなされ、学科名は法律政治学科である。商学部を中心に地方官吏養成にも力をいれており、その為税理士輩出数においては全国屈指の実績を誇り、関東圏の大学では中央大学や早稲田大学等に次ぐ5番目相当の輩出数を誇っていた時期もあった。2008年に商学部会計学科が設置された。同年11月7日実施の「平成20年度八王子税務署納税表彰式」において、租税教育推進校として表彰される。また附属高校に、漢方医学講座、鍼灸科(理療科)、柔道整復師養成課程もあった。医学部の創設が一時理事会で正式決定されたが、文部省の意向をふまえ中止した。建学の精神に則り、日本文化研究所が設置されており、独自の日本文化や歴史の研究が行われている。機関誌『新日本学』(季刊)を出版している。拓殖大学の校歌は1919年に創立20年を記念して制定。作詞者の宮原民平は拓殖大学の卒業生で当時は教授の職にあった。また、作曲者は陸軍軍楽隊長の職にあった永井建子。拓殖大学のスクールカラーは文京キャンパスが紅葉の名所であったことから紅葉色となっている。なお中国大陸の黄土から黄色が用いられてきたようだが、伝統的に橙色や紅色なども併用されている。短期大学部は設置されていないが以下の短期大学が設置されている。また、かつて文京キャンパスに拓殖短期大学が設置されていたが現在は廃止されている。日本文化研究所は、1987年4月に「現代文明に変り得る、新たな文明の核としての日本を研究する機関」として設立された。当初は日本文化研究室という名称で、研究員は所長と客員研究員3名に加え、各学部・大学院に所属する教員が兼務するという形が取られていた。1994年に「建学の精神に則って我が国と世界の学術と平和に寄与する研究機関」へと設立の目的が変更され、研究室も研究所へ昇格する。昇格により、研究所所長、専任教授、専任研究員を抱えることとなる。研究内容も昇格同時に研究内容が「アイデンティティの探求」という一点に絞った研究に変更された。これにより紀要も大幅変更されることになる。1998年8月には、日本文化研究所付属近現代研究センターが設立。台湾との共同研究「後藤新平・新渡戸稲造事跡国際検討会」の参加や学術検討会などへの参加。また、拓殖大学旧台北分校調査などが行われた。韓国でも拓殖大学旧京城分校の調査が行われた。近年では、明治以降の近代化や戦後の歴史編纂などで掻き消された歴史や文化をもう一度掘り起こし検証することを中心に研究されており、得られた成果を新日本学として紀要や公開講座などで紹介している。紀要は『季刊新日本学』という名の表題とし年四回発行している。また、一般市民向け公開講座を開講している。(名称は毎年変わるが、「日本」という名が入る。)研究所は、拓殖大学国際教育会館内の別館研究所棟にある。所長は澤田次郎。図書館は、文京キャンパスに2ヵ所、八王子キャンパスに1ヵ所設置されている。本館は、八王子キャンパス内の図書館で正式名称は「拓殖大学図書館」という。文京キャンパス内の図書館は「拓殖大学文京図書館」という。学内向けには「八王子図書館」「茗荷谷図書館」といい、図書館の所在地を入れた名称で案内されている。文京図書館は、商学部、政経学部の3・4年および、商学研究科、経済学研究科、言語教育研究科、国際開発研究科が設置されている関係上、社会科学関係の資料を中心に蔵書されている。このうち学部生を中心に蔵書されている図書館を本館とし、別に大学院生向け資料を揃えた分館の計2ヵ所の図書館を配置している。拓殖大学図書館は、商学部・政経学部の1・2年生に加え外国語学部、国際学部、工学部が配置されているため、人文、社会、自然の各分野が全般的に揃えられている。また、各コレクションや文庫、貴重図書もここに収録されている。「拓殖大学海外留学制度:TUSAP(Takushoku University Study Abroad Programs)」という制度が設定されている。留学期間や留学方法により長期研修、短期研修、派遣留学、大学間交換留学、学部間交換留学、個人研修奨学金プログラムに分かれている。留学先として、カナダ・オーストラリア・イギリス・アメリカ・中国・台湾・スペイン・メキシコの8か国・地域が設定されている。長期語学研修は各学部が主催し、全学的に募集している。期間は9か月~12か月で、現地で取得した単位は、振り替えられる。短期語学研修は各学部が主催し、全学的に募集している。期間は3~6週間程度である。派遣留学は学術交流協定締結校へ1年程度留学する制度であり、授業料に加えて生活費や渡航費の一部も奨学金として支給される。大学間交換留学および学部間交換留学は、学術交流協定校に6か月から1年派遣される制度である。この制度では日本学生支援機構(JASSO)から奨学金の支給を受けることも出来る。個人研修奨学金プログラムは、第二語学の話されている又は履修した地域研究の地域へ、個人で計画を立てて短期留学する制度で、地域に応じた奨学金が支給される。拓殖大学が創立されて以来のキャンパスで、大学の本部もここにある。内田祥三の代表的な建築物として建築学会で知られる拓殖大学国際教育会館はこのキャンパスに隣接している。このキャンパスにある恩賜記念講堂・歴史資料館は、2000年に拓殖大学100周年記念事業の一環で、1945年東京大空襲で全焼した恩賜記念講堂(設計:妻木頼黄)を復元した建物である。講堂の復元と同時に歴史資料館を開設した。ここでは、大学設置の許可証や海外の大学との交流、歴代の総長、学長等の資料などが展示されている。また、野球場、ラグビー場、サッカー場、アーチェリー場のほか、ゴルフ練習場や馬場などのスポーツ施設が設置されている。拓殖大学は大学の寮として一般寮、体育寮、そして妻帯者も入寮可能な留学生寮を整備している。また、一部の運動部は独自に寮をもつものもある2008年の12月に、拓殖大学と中国社会科学院との間で学術交流協定が締結された。早速、共同研究のテーマ設定の作業に取りかかり、拓殖大学内の教員相互、ならびに中国社会科学院との間で協議を重ねている。その結果、今後3年間にわたり、以下の2つのテーマについて同時並行して研究を進めることになった。 1.東アジアの人口動態と社会変動(日本側主査 梶原弘和 国際開発学部教授・新田目夏実 国際開発学部教授)2.東アジアの開発体制と経済発展(日本側主査 鈴木正俊 政経学部教授・柳原透 国際開発学部教授)学校法人拓殖大学では以下の大学も設置している。学校法人拓殖大学が設置している教育機関は以下の通りである。以下は、別学校法人であるが系属校という扱いになっている。
出典:wikipedia
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