公益財団法人大原記念倉敷中央医療機構倉敷中央病院(おおはらきねんくらしきちゅうおういりょうきこう くらしきちゅうおうびょういん)は、岡山県倉敷市美和にある公益法人の病院。発行する文書で使用する略称は倉中(くらちゅう)もしくはKCH。倉敷中央病院は、岡山県倉敷市の民間総合病院。市民の間では通称として中央(ちゅうおう)や倉中(くらちゅう)が用いられることがある。岡山県西部の中核的な医療機関であり、地域がん診療連携拠点病院、救命救急センターおよび総合周産期母子医療センター設置病院、地域医療支援病院、岡山県災害拠点病院、エイズ治療拠点病院、医師の卒後臨床研修指定病院でもある。高度医療を担う急性期基幹病院を標榜していることにより、夜間は直線距離で50kmほど遠く離れた真庭市や津山市など岡山県北部からの患者が救急搬送されることも少なくない。また、倉敷市中心部に公立病院はなく、市立病院的な役割も担っている。創立者は、当時、倉敷紡績社長で、大原美術館なども設立した、大原孫三郎である。彼は、石井十次の岡山孤児院に運営資金を提供するなど、社会問題の改善に尽力しており、病院設立もその一環であったと思われる(その他、大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、大原農業研究所なども設立した)。設立時の建物は患者が安心して治療に専念できるように、それまでの病院の冷たいイメージを排除するため様々な工夫がなされていた。その一つに病棟に赤レンガと赤い屋根を取り入れたデザインを採用、患者や外来者が自由に利用できる温室や結核病棟の横には噴水のある中庭などもあった。2階建ての病棟には患者の負担を減らすために倉敷市内では初めてのエレベータが導入された。新しい医療技術の研究・導入にも積極的で、ユニークだったものとして喘息塔がある。これは、上空の清浄な空気を取り入れ、喘息など気管支疾患の患者に供給するための鉄塔であった。その後、1973年(昭和48年)から始まった全面的な増改築により多くの病棟が近代的な建物に変わって行き、喘息塔は水島コンビナートによる光化学スモッグのため、鉄塔程度の高度では清浄な空気とはいえなくなり、撤去されてしまった。一方、病棟の外観は旧病棟に合わせ赤い屋根に統一し、外来棟と臨床検査棟の間に設立当時のものを再現した温室が作られ、外来患者の憩いの場となっている。開業当時のエレベータは若干の改造と塗装をした後、2002年(平成14年)に増築された外来棟の電話ボックスとして利用されているなど、往時の面影も残されている。大原孫三郎が病院設立に先立って、当時の京都大学総長で岡山の第三高等中学校医学部へ赴任したこともあった荒木寅三郎と基本方針を検討。その後、荒木によって京大医学部から多くの人材が派遣された。それ以来、京大医学部とは密接な関係が続いており、現在でも京大出身の医師が多く、小笠原名誉院長や後述の光藤医師も京大出身である。病院の実績を評価する基準に手術件数があるが、多くの手術分野で中四国ではトップクラスにある。特に、光藤和明(みつどう・かずあき)が心カテーテル治療の分野では有名で、1982年(昭和57年)から1万9千例以上の実績がある。以前、台湾で光藤の治療を受けた李登輝元総統が、再度診察を受けるために、2001年(平成13年)4月、倉敷を訪れたことが全国ニュースで報じられ話題となった。
出典:wikipedia
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