サルノキングは日本の競走馬、種牡馬である。1982年の東京4歳ステークス、弥生賞優勝馬。サルノキング事件でも知られる。近親にはカブラヤオー、ダイタクヘリオスなどがいる。デビュー戦こそ単勝2番人気の3着と惜敗するも、その後レコード勝ち1回を含めて4連勝。暮れの目標であった阪神3歳ステークスは直前の体調不良で出走取消となるも、その後も東京4歳ステークス、弥生賞と連勝を重ねる。出走取消はレースをしていないと見なされるのでここまで6連勝を含む7戦6勝という順調な出世ぶりで、とくに弥生賞に関しては主戦騎手の田原成貴が「こんなの攻め馬だよ」とレース後に発言するほどの楽な内容の勝利であった。かくしてこの世代の馬の中では抜けた力の持ち主、クラシック戦線の主役として、スプリングステークスに臨んだ。スプリングステークスでサルノキングは1番人気に支持された。2番人気は「華麗なる一族」出身で当時史上最高金額で取引された話題馬・ハギノカムイオーである。スタートしてまもなく、ハギノカムイオーはいつものように先頭に立つ。サルノキングは後方2番手の馬からさらに20馬身ほど離れた最後方をたった1頭で進む。サルノキングは東上してから先行するレースを続けていたため、これは大方の予想に反する展開となった。そして、まだ中盤の第2コーナーからサルノキングはロングスパートをかけて上がっていき、一気に先行集団に取り付いたため、場内は騒然となった。しかし最後の直線に入ると失速し、楽なペースで逃げることのできたハギノカムイオーがそのまま逃げ切った。サルノキングは4着を確保したとはいえ、関東でのレースしか知らない者にとっては不可解極まるレース振りでの敗戦と見えた。この騎乗に八百長疑惑がかけられ、サルノキング事件と呼ばれるようになった。のちにこのレース中に重度の骨折をしていたことが判明、サルノキングは骨折から復帰することはできず、そのまま競走馬引退を余儀なくされた。引退後は種牡馬となったものの、札幌日経オープンでホクトベガの2着に食い込んで小波乱を演出したモガミサルノなどを出すに止まった。1993年に用途変更、その後屠殺場に送られたと言われる。なお、当馬に惚れ込んでいた田原が後年原作者となった漫画・「競馬狂走伝ありゃ馬こりゃ馬」(土田世紀作画)では、主人公の騎手・氷室翔が騎乗するダービー馬・シンケンの父がサルノキングという設定になっている。
出典:wikipedia
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