ガエル・セバスチャン・モンフィス(Gaël Sébastien Monfils, [http://ja.forvo.com/word/gael_monfils/ [ɡaɛl mɔ̃ˈfis] ] ,1986年9月1日 - )は、フランス・パリ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは7位(2011年7月)。これまでにATPツアーでシングルス6勝を挙げている。身長193cm、体重80kgの長身選手で、長い手足と柔軟な身体能力を生かした広いコート・カバーリングを持ち味にする。「ガール・モンフィス」の表記揺れも多いが、本人は「ゲール・モンフィス」と発音している。モンフィスの家族は、父親がグアドループ島出身の会社員で(フランス・テレコム勤務)、母親はマルティニーク島出身の看護婦であり、モンフィスは西インド諸島のルーツを持つ。モンフィスはバスケットボールにも関心が深く、「テニス選手にならなかったら、バスケットボールをしていただろう」と話したこともある。2004年は4大大会のジュニア男子シングルスで、全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドンの3連勝を成し遂げた。同年にプロ入り。2005年8月にオレンジ・ワルシャワ・オープンの決勝でフロリアン・マイヤーを7-6, 4-6, 7-5で破り、男子ツアー初優勝を達成。その後、10月のモゼール・オープンの決勝でイワン・リュビチッチに敗れた準優勝がある。この躍進を評価されて、モンフィスは男子プロテニス協会の2005年度「最優秀新人賞」を受賞した。2006年全仏オープンで、モンフィスは初めて4回戦に進出した。この大会では、3回戦で第8シードのジェームズ・ブレークを6-2, 6-7, 7-6, 5-7, 6-4のフルセットで破ったが、続く4回戦でノバク・ジョコビッチに6-7, 6-7, 3-6のストレートで敗れた。2007年全豪オープンでは、モンフィスは2回戦で前年度の準優勝者マルコス・バグダティスを7-6, 6-2, 2-6, 6-0で破って注目を集めたが、続く3回戦で同じ年のフランス人選手、リシャール・ガスケに敗れた。それからしばらく不調が続いたが、2008年全仏オープンで初めてのベスト4に入り、自らの4大大会自己最高成績を更新した。初進出の準決勝で、モンフィスは第1シードのロジャー・フェデラーに2-6, 7-5, 3-6, 5-7で敗れた。ところが、第30シードに選ばれたウィンブルドンで、モンフィスは肩の負傷により大会開始直前に出場を断念する。この後、北京五輪にフランス代表選手として初参加し、シングルスのベスト8に進出した。全米オープンでは初の4回戦進出を決めたが、地元アメリカ人選手のマーディ・フィッシュに5-7, 2-6, 2-6でストレート負けした。2009年全豪オープンで、モンフィスは同じフランスのジル・シモンとの4回戦を途中棄権した。この後ツアー大会で成績を伸ばしたことにより、2009年3月2日付の世界ランキングで「9位」に入り、初の世界ランキングトップ10入りを果たした。この後全米オープンで2年連続の4回戦進出がある。地元のモゼール・オープンでフィリップ・コールシュライバーを7–6, 3–6, 6–2で破りツアー2勝目を挙げた。2010年全米オープンでベスト8に進出した。ジャパン・オープン・テニス選手権など3大会で準優勝し、南フランス・オープンでイワン・リュビチッチを6-2, 5-7, 6-1で破り、ツアー3勝目を挙げた。12月のセルビアとのデビスカップ決勝戦にも出場し、第2試合でヤンコ・ティプサレビッチに6-1, 7-6, 6-0で勝利したが、第4試合のジョコビッチに2-6, 2-6, 4-6で敗れ、通算2勝3敗でフランスは優勝を逃した。2011年は全仏オープン4回戦でダビド・フェレールを6–4, 2–6, 7–5, 1–6, 8–6で破り2年ぶりのベスト8に進出した。準々決勝ではフェデラーに4-6, 3-6, 6-7で敗れた。7月には自己最高位の世界ランキング7位を記録した。10月のストックホルム・オープンの決勝でヤルコ・ニエミネンを7–5, 3–6, 6–2で破り1年ぶりのツアー4勝目を挙げた。2012年は右膝の故障に悩み全仏オープンとウィンブルドン、ロンドン五輪、全米オープンを欠場した。ランキングを落とし主催者推薦での出場になった2013年全仏オープンでは1回戦で第5シードのトマーシュ・ベルディハを7-6(8) , 6-4, 6-7(3), 6-7(4), 7-5のフルセットで破る波乱を起こした。2014年の全仏オープンでは3年ぶりにベスト8進出。準々決勝でアンディ・マレーに敗れた。2014年6月24日シングルス通算300勝達成。全米オープンでも4回戦で第7シードのグリゴール・ディミトロフに7-5, 7-6(5), 7-5でストレート勝ち。準々決勝でロジャー・フェデラーから第1セットと第2セットを奪うも6-4, 6-3, 4-6, 5-6, 2-6で敗れた。デビスカップでもデビスカップフランス代表として、決勝でデビスカップスイス代表との決勝に進出し、ロジャー・フェデラーに6-1, 6-4, 6-3で勝利したが、フランスはスイスに敗れた。2015年モンテカルロ・マスターズは第14シードで出場。アンドレイ・クズネツォフ、アレクサンドル・ドルゴポロフを倒し3回戦では第2シードのロジャー・フェデラーにストレート勝ち。準々決勝で第9シードのグリゴール・ディミトロフを倒して自身大会初のベスト4入りするもトマーシュ・ベルディハに敗れた。2016年全豪オープンでは初めてベスト8に進出。準々決勝でミロシュ・ラオニッチに3-6, 6-3, 3-6, 4-6で敗れた。その後、4月のモンテカルロ・マスターズでは準決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガとのフランス対決を制し、マスターズでは6年ぶり3度目の決勝進出を果たす。決勝でラファエル・ナダルに5-7, 7-5, 0-6で敗れ、マスターズ3度目の準優勝となった。7月のシティ・オープンでは決勝でイボ・カルロビッチを5–7, 7–6(6), 6–4で破り、500の大会で初優勝を果たした。ロジャーズ・カップでは準々決勝で第3シードのミロシュ・ラオニッチを破ってベスト4。リオ五輪では北京五輪以来シングルスでベスト8に進出。準々決勝で錦織圭に6-7(4), 6-4, 6-7(6)の僅差で敗れた。全米オープンでは2年ぶり3回目のベスト8に進出すると、準々決勝でフランスの後輩リュカ・プイユに6-4, 6-3, 6-3で勝利し、ベスト4に進出。準決勝でノバク・ジョコビッチに3-6, 2-6, 6-3, 2-6で敗れた。大会後の世界ランキングで8位となり、2011年11月以来4年10か月ぶりにトップ10復帰を果たす。
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